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《虚無苦》

問題点

  1. 何故、四聖諦の単純明快な論理が、人たちには理解されないのか。
    1. 人たちは欲求実現マシンだからである。欲求実現マシンであることに満足しているから。か?○:。×:。理解されないのではない。理解しても、やる気が無いのだ。人たちは欲求に駆動されるマシンである。そのマシンが欲求を捨てるということは、マシンであることを止めるということだ。人たちは欲求実現マシンであることを止めようなどという欲求は持っていない、ということだ。
    2. 楽しみの総和 > 苦しみの総和、だからさ。苦しみを逃れるために楽しみを失ってしまっては元も子もない。からである。
    3. 苦集滅道は『縁起が悪い』という感覚。「苦」を語ることは『縁起が悪い』。「虚無」を語ることは『縁起が悪い』。
    4. エキサイトすることは『縁起が良い』。祭りで騒ぐことは『縁起が良い』。生命力は『縁起が良い』。死は『縁起が悪い』。
    5. 言霊思想?。愚者の経験知?
    6. 集団的な勢い、集団的な生命力。
  1. http://mercamun.exblog.jp/15016529/
    1. 仏教では、無意味=空無に執着する物の見方を但空観といい、偏った段階の思想として否定されることになる。
  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E5%AF%82%E9%9D%99 諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。
  2. 諸行無常・諸法無我の事実を自覚すると虚無の苦しみが生じる。
  3. 諸行無常・諸法無我の事実を自覚することによって虚無の苦しみが生じるのは、意識や意識の背後の身体を我であると思っているからである。諸法無我が不徹底だからである。意識や意識の背後の身体は因果の流れの中にあり。我ではない。
  4. ふむ、寂静である。
  5. 寂静が生じると、飽きが生じる。飽きが生じるのは、意識の背後の身体の諸法無我が不徹底だからである。意識の背後の身体は因果の流れの中にあり、我ではない。
  6. ふむ、寂静である。
  7. しかし、寂静であっても、身体はあり、身体の動きはある。
  8. 寂静とともにある身体の動きを、寂静を害さない状態にすること、が八正道である。
  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E5%AF%82%E9%9D%99 諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。
  2. 涅槃主義(涅槃を善しとする考え方)は駄目なのではないか、というのが当初の疑問である。
  3. 涅槃を求めてブッダを学ぶようでは駄目である。
  4. 涅槃は、苦しみ(虚無苦)を含むものであり、やむを得ず、至ってしまうものである。ただし、虚無苦は克服できるものであるから、それを克服できれば、涅槃は寂静なのである。

《虚無苦》とは

    1. 正見経(サンマーディッティ・スッタ) http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/shouken1.htm
      1. 「比丘達よ、集について、正しく見ること。
      2. 比丘が、正しく認めるべき、三つの集がある。
      3. それでは、この三つの集とは、如何なるものか。
        1. 第一の集は、欲望を集める、欲望の生起である。
        2. 第二の集は、生存を集める、生存の生起である。
        3. 第三の集は、虚無を集める、虚無の生起である。」
      4. 「比丘達よ、滅について、正しく見ること。
      5. 比丘が、正しく認めるべき、三つの滅がある。
      6. それでは、この三つの滅とは、如何なるものか。
        1. 第一の滅は、欲望を滅する、欲望の滅尽である。
        2. 第二の滅は、生存を滅する、生存の滅尽である。
        3. 第三の滅は、虚無を滅する、虚無の滅尽である。」
Last modified:2017/06/21 22:58:59
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