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《客観公理》

《客観公理》

定義

《知りつつあるモノ》の存否に関らず存在するモノがある』という《思いこみ》《客観公理》と呼ぶ。

* 『《知りつつあるモノ》の存否に関らず存在するモノがあるかどうかは疑わしい』という《思いこみ》《主観公理》と呼ぶ。

* 《主観公理》においては、《客観公理》《主観公理》は、《私》の主観における、主観的存在である。

* 《客観公理》においては、《客観公理》《主観公理》は、《私》という客観的存在との《繋がり》において存在する、客観的に存在するモノである。

* 主観的なモノは、主観が無ければ存在し得ないが、主観が客観的に存在するのだから、客観的に存在する主観との《繋がり》において存在する、客観的に存在するモノである。

* 『《知りつつあるモノ》による認識の有無に関らず存在するモノがある』という《思いこみ》《客観公理》と呼ぶ。

区別

《客観公理》と主観的なモノ

  1. 「主観的なモノ」と言うのは、《私》が存在しなければ存在しえないモノ《私》が見ている幻。《私》《思いこみ》《私》が存在しなければ存在しえない。
  2. 「主観的なモノ」は「客観的なモノ」である。《私》が見ている幻は、《私》が客観的に存在する以上、《私》の中の現象として、客観的に存在する。《私》が見ている幻は「客観的なモノ」である。
  3. 《私》の存在は《私》の認識の有無に関らず存在する。
  4. 『私』は、《私》による認識がなければ存在しない。《私》によって認識されていない『私』『私』ではない。『私』という《思いこみ》は、《私》《思いこみ》であり、《私》がその《思いこみ》を知っていない限り存在しているとはいえない。
  5. メタ認識。《思いこみ》《私》が思いこみつつある時にのみ《思いこみ》でありうる、ので、《私》の認識に依存している(ノンメタ認識)。《思いこみ》《私》が客観的に存在する以上、《私》の中の現象として客観的に存在する(メタ認識)。「『《私》は認識する』ということを《私》が認識する」ことをメタ認識という。自己言及認識。

《客観公理》による《知りつつあるモノ》《客観世界》との関係の説明

《客観公理》《客観世界》《知りつつあるモノ》に先行して存在し、《知りつつあるモノ》《客観世界》から説明されるべきだとする《思いこみ》《知りつつあるモノ》は客観的に存在する現象である、という説明になる。

Last modified:2008/02/07 22:56:14
Keyword(s):
References:[《仮想実在》] [『意味』] [『精神哲学』]