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《楽しみ》

キーワード《楽しみ》

定義

《楽しみ》は存在しない。

  1. 《楽しみ》は存在ではなく、当為である。『楽しむべし』という当為である。
  2. 《楽しみ》は、《知られつつある世界》との間に、《動き》のすき間をつくることである。

区別

《楽しみ》・100

  1. 人々からの《楽しみ》、《好み》。
  2. 《楽しみ》であることを指摘されたときに、怒る《楽しみ》
  3. 共に楽しむことを楽しむ人々
  4. 慰めあいを楽しむ人々
  5. 《極座標の原点》からの《楽しみ》、好み
  6. 《極座標の原点》からの《動き》噴出
  7. 《極座標の原点》からの、それぞれの世界
  8. 《極座標の原点》からの、それぞれの背後者世界
  9. システムの内部状態、と、《極座標の原点》からの背後者世界との座標変換
  10. ヒトが生きるのは、それが楽しいからである。
  11. ヒトが自殺するのは、それが楽しいからである。
  12. ヒトが自殺しないのは、それが楽しくないからである。
  13. ヒトが苦痛に堪えるのは、それが楽しいからである。
  14. ヒトが苦痛のゆえに、泣き叫び、悶え、あがくのは、それが楽しいからである。
  15. ヒトが悲しむのは、それが楽しいからである。
  16. ヒトが義務を果たすのは、それが楽しいからである。
  17. ヒトがカネを儲けるのは、それが楽しいからである。
  18. ヒトが奴隷になるのは、それが楽しいからである。
  19. ヒトが悟りを開くのは、それが楽しいからである。
  20. ヒトが学ぶのは、それが楽しいからである。
  21. ヒトヒトを殺し、傷つけるのは、それが楽しいからである。
  22. ヒトヒトを裁くのは、それが楽しいからである。
  23. ヒトが愚かなウソを信じるのは、それが楽しいからである。
  24. ヒトが地獄への道を突き進むのは、それが楽しいからである。
  25. ヒトが無明の闇に沈むのは、それが楽しいからである。
  26. ヒトが死ぬのは、それが楽しいからである。
  27. ヒトが地獄に落ちるのは、それが楽しいからである。
  28. ヒトが、ウソのコトバを発するのは、それが楽しいからである。
  29. ヒトが後悔するのは、それが楽しいからである。
  30. ヒトが人生に無常を感じるのは、それが楽しいからである。
  31. ヒト絶望するのは、それが楽しいからである。
  32. ヒトが病気になるのは、それが楽しいからである。
  33. ヒトが自らを苛むのは、それが楽しいからである。
  34. ヒトが見、聞き、知り、感じるのは、それが楽しいからである。
  35. ヒトが思い込み、思い描くのは、それが楽しいからである。
  36. ヒトコトバを聞き、コトバを発するのは、それが楽しいからである。
  37. ヒトヒトと触れ合うのは、それが楽しいからである。
  38. ヒト見通しを得るのは、それが楽しいからである。

《楽しみ》『決まり』

  1. 『決まり』には『モノ決まり』と『ヒト決まり』とがある。楽しむ人々は、『モノ決まり』(法則性)によって、楽しんでいるのである。

《楽しみ》《求める思いこみ》

  1. 《楽しみ》と呼ぶか、《求める思いこみ》と呼ぶか、欲求と呼ぶか、は、別として、何か、そのようなモノが在る。
  2. 《楽しみ》モノか? 《求める思いこみ》モノである。《思いこみ》モノである。《外からの視点》においては、《思いこみ》モノである。《他者の思いこみ》モノである。

《楽しみ》《他者からの思いこみ》

  1. 《他者からの思いこみ》から伝わってくるのは人々の《楽しみ》なのだ。

Preferencesと《楽しみ》と設定

  1. Preferencesというのは、「お好み」といった意味のはず。「〜を(選り)好む、むしろ〜の方を好む、〜の方を選ぶ」。
  2. 「display preferences 〔コンピュータや携帯電話機などの〕表示設定」。
  3. 《選ぶ》というのは《動き》である。《楽しみ》《思いこみ》である。

《楽しみ》と欲求

  1. たぶん、同じモノであろう。《楽しみ》はヤマト言葉であり、欲求は中国語である。
  2. ラク:R⇔T:タノシミ。粒:りゅう⇔ツブ、龍:リュウ⇔タツ、立:リュウ⇔タツ、瀧:ロウ⇔タキ。力:リキ⇔チカラ、例:レイ⇔タトエ、旅:リョ⇔タビ。労:ロウ⇔ツカレ。

《楽しみ》相変異

  1. 孤独相における《楽しみ》、と、群生相における《楽しみ》
  2. 相変異は《認識限界》である。
  3. 孤独相と群生相とでは《ドメイン》が異なる。構成原理が異なる。
  4. 孤独相における《生きつつある身体》と、群生相における《生きつつある身体》
  5. 群生相においては《生きつつある身体》は死んでいる、か?
  6. 群生相においては《生きつつある身体》は死んでいる。イデア化してしまう。群生相とは《他者》とのイデアの約束の世界である。

生きる意味と生きる《楽しみ》

  1. 生きる意味とは生きる《楽しみ》のことである。
  2. 《楽しみ》は、一瞬にして生まれる。《不快》を感じた時に、それは一瞬の変化で、《楽しみ》になる。その《不快》《生きつつある身体》《動き》との繋がりを見つけた瞬間に、《不快》な事物は《楽しみ》になる。

《生きつつある身体》《楽しみ》

  1. 《生きつつある身体》だけが《楽しみ》を知っている。
  2. 《楽しみ》とは「事物と《生きつつある身体》《動き》との繋がり」だからだ。
  3. 《生きつつある身体》は、その《動き》が楽しみであるが故にそのように動くのである。

《快》《楽しみ》

    1. 《快》という漢語が《私》にとってのクオリアを有しない。抽象化され、《身体》から切り離された《楽しみ》《快》であり、《身体》との繋がりを持った《快》《楽しみ》である。《快》は動詞になりえないが、《楽しみ》は動詞になり得る。楽しむということは《身体》に結びついた《動き》だが、《快》は感覚的な対象でしかない。

2006-06-08(木)

  1. ビルのベランダの植え込みの樹と対話した。彼は、命とは求め続けることだと言う。或る時は葉を伸ばすことを求め、或る時は花を咲かすことを求め、花が枯れたら種を飛ばすことを求め、或る時には、冬に備えて葉を落とすことを求める。毎年、同じ時期に、同じような求めることの循環をする。そして、成長することを求め、最後には枯れることを求める。そして、種に属する個体としての生命と成長と死とを求め、種としての発生と繁栄と絶滅とを求め、もっと大きな地球上の生命としての進化を求め、地球上の生命の発生とぜめ絶滅の循環を求める。
  2. 個体は、葉っぱや枝のようなものだと言う。個体の生命は群れの中の個体生命の循環なのだと言う。群れの生と死は種の生命の循環なのだと言う。種の発生と絶滅は地球上の生命の循環なのだろう。地球上の生命の発生と絶滅は《地球》と言う生命の循環なのだろう。《地球》の発生と消滅は《宇宙史》と言う生命の循環なのだろう。
  3. そこには《楽しみ》なんて存在はしないのだ。存在を捜しても《楽しみ》は見つからない。しかし、求め続けることは、それが《楽しみ》だから、求め続けるのだ。モノたちは求め続けることを楽しんでいるのだ。
  4. 存在と当為、なのか、認識・認知と当為なのか。主観的に言えば、存在と当為である。主観において、認知は問題とならない。存在はすなわち認知である。《私》は存在を知るが、認知を知ることはない。《他者》に(とっての存在と認知に)関しては、存在は問題とならない。《他者》と存在とは離れており、《他者》が存在を認知するかぎりにおいて、存在は《他者》世界の中に入る。→存在と認知に関しては飛び過ぎ。
  5. 《楽しみ》は『楽しむべし』という当為でしかあり得ない。存在ではないのだ。存在の中を捜しても無駄だ。《知られつつある世界》の中で捜しても無駄だ。《楽しみ》は存在ではなく、当為だからだ。『楽しむべし』という当為だからだ。
  6. 当為は、存在の《視点》から見れば存在の一種である。存在は、当為《視点》からみれば『認識すべし、存在すべし』という当為である。しかし、相互包含関係であり得るということは、同じモノであるということではない。当為と存在とは別なのである。《求める思いこみ》《知った思いこみ》当為の座標軸と存在の座標軸とは別にあり、《私》は両者の座標軸の原点に在る。→存在と当為に関する話も飛んでいる。
  7. 『楽しむべし』という当為は、《求める思いこみ》なのだろうか? 一種の命令だろう。モノたちはコトバの命令を受けているわけではない。言語の命令ではない。コトバを、他のモノの外形からの情報であるとみれば、コトバの命令の一種だろう。他のモノの外形からの情報としてのコトバが、モノたちに『楽しむべし』と命じているのである。

検索

ゴミ箱 - [##精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長をバックアップするのかという疑問も前述の19項目をみると直ちに理解されると思う。これらが日本人の間に巣喰ってしまうと、楽しみはただ「カネ」ということにならざるを得ないであろう。つまり、すべてを「カネ」のために、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。]

科学 - [#モノは、そのモノにとっての《楽しみ》のために存在している。科学者というモノは、そのモノにとっての《楽しみ》のために科学を研究するのである。]

《浄化球》 - [《楽しみ》《浄化球》]

『なすべきこと』 - [#《拡大された私》における、《ブッダの「一切」》。《拡大された私》とは《ヒトの群れ》の現れとしての《今・ここの・このモノ》である。《拡大された私》は《拡大された私》の《楽しみ》を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の健康を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の《ブッダの「一切」》を知ろうと欲する。《拡大された私》は《背後者身体》としての《身近な人びと》を背後に感じ、《拡大身体》としての《身近な人びと》を拡大された体内感覚で感じる。]

人間と畜生のイメージの逆転のパラダイム - [法の支配も戦争プロパガンダも天上の楽しみということになるでしょう。]

《視点のパラメータ》 - [##《群れ》《視点》《群れの中の個体》《視点》ヒト《視点》というのは、じつに、体細胞の《群れ》《視点》なのだよ。《群れの視点》と《群れの中の個体の視点》。《群れ》には《群れ》動きがある、《群れ》《楽しみ》がある。《群れ》による情報の保持がある。群れの中の情報の維持は、《群れの中の個体》情報伝達、情報伝達のループによって保持される。《群れの中の個体》の中の情報の保持によっても保持される。《群れの中の個体》《楽しみ》の原理が《群れの中の個体》《動き》を《決め》、《群れの中の個体》《動き》《群れ》《動き》を決める。《群れの中の個体》《動き》《群れの中の個体》に与えられ、保持された情報によって決まる。《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》とは別の次元に属する。《群れの中の個体》《動き》の総体としての《群れ》《動き》が、《群れ》の存在維持に役に立つかぎりにおいて、《群れ》《楽しみ》となる。《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》に反映される。《群れの中の個体》の存在維持は《群れ》の存在維持に依存する、が、故に、《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》として取り込まれる。依存対象の《楽しみ》は自らの《楽しみ》として取り込まれる。《群れの中の個体》《視点》《群れ》《視点》とでは次元が異なる。《群れの中の個体》《視点》世界《群れ》の外部の世界《群れ》の内部の世界、とくに他の個体で構成される。]

ノイズ・インデュースド・オーダー - [《浄化球》 - [#《楽しみ》ノイズとする、《混濁》ノイズ・インデュースド・オーダー。]]

《混濁》 - [#《群れの中の個体》『なすべきこと』《ヒトの群れ》《楽しみ》や健康に寄与することである。]

《複素数の時空》 - [#実空間のすべての点から、その《背後者》からの噴出がある。彼らは楽しんでいる。《楽しみ》噴出している。近傍の《複素数の時空》。]

ゴミ箱2006-04 - [「I'm looking for that」と「楽しみにしてます」とでは、言語の意味的空間が全く異なる。共通なのは「be --ing」と「・・している」という現在進行形くらいのもの。省略されているモノ、暗黙の前提となっているモノは「I」と「(私は)」と「that」と「(それを)」。「for」に「楽しみ(を求める)」という暗黙の意味があるのだろう。]

《知りつつあるモノ》 - [#《混濁》は「苦しみ」とか「楽しみ」とかいった言語的なノイズによって、別な形で分離するのではないか?]

《息しつつあるモノ》 - [#《視点》と《動点》と《楽点》。モノは自らの《楽しみ》のために動き、見るのである。《息しつつあるモノ》は自らの《楽しみ》のために動き、見るのである。《楽しみ》動きつつある時に感じつつある快感であり、知りつつある時に感じつつある快感である。《楽点》は《楽しみ》を感じる点であり、《動き》の中に《楽しみ》を感じる点、知ることの中に《楽しみ》を感じる点であり、楽しむが故に《動き》を作り出し、楽しむが故に知ることを作り出す点である。]

ゴミ箱2006-03 - [ヒトは、《ヒトの楽しみ》のために生きている。]

テレビ - [マスメディア《楽しみ》]

『家畜化主義』 - [#《楽しみ》を求めて、《仕合わせ》を奪われるのが家畜化だろう。]

《怯え》 - [#梵我一如にも、それなりの《楽しみ》はある。《ヒトの楽しみ》ではない。《モノとしての楽しみ》、《モノとしてのヒト》の《楽しみ》であろう。]

モノたちとの対話 - [#君には生きる楽しみってものがあるのかい?]

《共振しつつある身体》 - [《生きつつある身体》を感じつ事が出来れば、《我》の楽しみの一つは《生きつつある身体》を生かすことだということになるだろう。]

ゴミ箱2005-12 - [##戦国時代という死闘を終焉させた徳川幕藩体制で、人間の退屈を救ったのが祭りと歌舞伎であると言われております。農村でも祭りがなければやってはいけません、民は日常の退屈さに沈没し、労働意欲が保持できたのは、祭りの興奮と楽しみがあったからであると思います。その頃の娯楽も自給自足であったと思います。]

《どのように生きるべきか》 - [#《息しつつあるモノ》は、生きる喜びを知っている。《息しつつあるモノ》は他のモノを生かすこと、が楽しみであるといっている。]

「生きる意味について」 - [楽しみにしてみてください。]

ゴミ箱2005-09 - [##「今回の選挙とかけて『野菜の嫌いな子供』ととく。そのココロは『ピーマンとほうれん草』。どっちか食べろといわれても、選ぶ楽しみがない」という主婦からのメールが届いた。アクの強いほうれん草と中身がスカスカのピーマン、言いえて妙だ。しかも同じ緑色の野菜、似たもの同士ともいえる。]

ゴミ箱2005-07 - [#君には生きる楽しみってものがあるのかい?]

ゴミ箱2005-06 - [#2005-02-05(土):問題はunix系のコマンドは、ユーザーインターフェースなど眼中にないということだ。マシンよりの設定ファイルを扱うことが何よりも楽しみな管理者のためにあるということだ。呪文を唱えるのが好きな管理者のためにあるということだ。みんな嬉々として学習している。アプリごとに呪文が違う、複雑な概念を完全にマスターした後でなければ使えない、そういう呪文が大好きな連中のためのOSだ。誰でも使えるインターフェースを作るのは大変だ、それを作るためには完全に使いこなせるハッカーでなければならない、そのハッカーは、そんなインターフェースなど要らない、だから作らない、ということだ。自分のために作るプログラムだから、自分が要らないプログラムは、誰も作らない。悲惨じゃ。たしかに、金でも貰わなけりゃ、そんなプログラムは作りたくない。]

《生きつつある身体》 - [《生きつつある身体》を感じつ事が出来れば、《我》の楽しみの一つは《生きつつある身体》を生かすことだということになるだろう。]

Last modified:2007/10/01 13:18:03
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