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《モノの世界》

キーワード《モノの世界》

定義

デカルトが「暖炉は否定されえない」と語った時に、彼が見ていたモノ《モノの世界》と呼ぶ。

    1. 「まつたく疑ひ得ぬ他の多くのものがある。例えば、いま私が此處に居ること、暖爐のそばに坐つてゐること、冬の服を着てゐること、この紙片を手にしてゐること、その他これに類することのごとき。まことにこの手やこの身體が私のものであるといふことは、いかにして否定され得るであらうか」(http://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/library/descartes/med001.html)。

《モノの世界》とは《近傍物理空間》に現れるモノたちが織り成す世界である。

《モノの世界》を定義するのは困難である。定義というのは《コトバの世界》の中での作業である。《モノの世界》《コトバの世界》とは別の世界であるから、《コトバの世界》の定義によって指し示すことはできない。しかし、ヒトが日常的に感じているはずの世界である。

《モノの世界》は弛緩した世界であり、《思いこみの世界》は緊張した世界である。《モノの世界》モノの輪郭は「自ずと定まる」。《思いこみの世界》の中のモノコトバによる定義があって始めてその輪郭が定まる。

区別

《モノの世界》《視点》《モノ作り》《視点》

  1. 同じ? ○:。×:《モノ作り》には《私》《求める思いこみ》が入っている。《欲求実現手段の世界》である。《モノ作り》《モノの世界》《求める思いこみ》との弁証法である。

《混濁》《モノの世界》

  1. 《混濁》において、《混濁》にもかかわらず、《モノの世界》があることは知っていた。

《モノの世界》と論証

  1. 《モノの世界》は論証することはできない。論証というのは、《コトバの世界》の中で、《コトバの世界》のツールに則って、あるコトバ(命題)の正しさを証明することである、が、《モノの世界》というのは、《コトバの世界》の外部に存在するからである(離存性)。

《モノの世界》《ヘラクレイトスの「ロゴス」》

  1. http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/diogenesu.htm
    1. ストア哲学のこのように壮大な自然観、人間観はどこに由来するのだろうか。その源流を訪ねていくと、私たちは古代ギリシャの一人の哲学者、ヘラクレイトス(BC540〜BC480)にたどりつく。
    2. 彼はミレトス派の世界観にみられる生成変化の思想を発展させ、「万物は流転する」と説いたことで有名である。彼は又火を万物の原理とし、火が万物へ、万物は火へ転化するという思想を持っていた。これはストア派の哲学に受け継がれている。
    3.  さらに、彼は生成変化する世界の中に、変わらないものがあると考えた。生成変化を支配する永遠の理法を、かれはロゴスとよんだ。彼は「世界は神々や人間によってつくられたのではなく、ロゴスによって燃え、ロゴスによって消えながら、永遠に生きる火であったし、あるし、あるであろう」と述べている。
    4.  ロゴスは対立し生成変化する世界を統一し、そしてそれは人間の内部にも生きて働いている。ロゴスは万人によって共有され、それゆえに万人に共有される「真理」の存在が可能である。ストア派はこの「ロゴス」の概念をヘラクレイトスから受け継いだ。
    5. <宇宙の自然は、自発的な運動と試みと衝動をもち、魂と感覚によって動かされるわれわれ自身と同じように、それらと合致する行為を示す>(キケロ「神々の本性について」)
    6.  こうしたヘラクレイトス的な発想は、ストア派のみに受け継がれているわけではない。それはギリシャ哲学が一般的にもつ特質でもある。
  2. 『流転する万物を支配する永遠の理法』を《ヘラクレイトスの「ロゴス」》と呼ぶ。
  3. 『流転する万物を支配する永遠の理法』という《ヘラクレイトスの「ロゴス」》モノか? ○:《指し示す思いこみ》であり、それによって《指し示されたモノ》がある。法則は《輪郭》を持ったモノである。×:《思いこみ》であって、モノではない。法則はモノではない。
  4. モノにはモノアニマがある」という命題を立てれば、その命題は《ヘラクレイトスの「ロゴス」》である。「山川草木悉皆成仏」という命題を立てれば、その命題は《ヘラクレイトスの「ロゴス」》である。

《モノの世界》と記述可能性

  1. 聞慧・思慧・修慧コトバを聞いて思い描く、《思いこみの世界》の中で吸収する、《モノの世界》直知する。
  2. 格物致知誠意正心。の格物。《こころ》を自由にすると、《モノの世界》が見えてくる。

《モノの世界》コトバで記述された『モノ世界

  1. 《モノの世界》コトバで記述するということ
  2. コトバで記述された《モノの世界》は、《コトバの世界》の中のコトバになってしまう。

《モノの世界》と《伝聞世界》『伝聞世界

  1. 他者からのコトバによって構成された世界『現実』世界
  2. 《知覚世界》と《伝聞世界》。xxによって取得された情報によって構成された世界
  3. 伝聞世界は、『伝聞世界』という《思いこみ》であろう。「心の作用」である。
  4. ヒトの群れの様相』は『伝聞世界』である。国際情勢も、芸能人情報も『伝聞世界』を構成する。

デカルトの暖炉と《モノの世界》

  1. たぶん、デカルトが「暖炉は否定されえない」と語った時、かれは、《モノの世界》は疑いえない、と知っていた。

《モノの世界》とシステム

  1. 《モノの世界》とはモノを内部システムとする包含システムである。
  2. 《モノの世界》を「システム」というコトバに置き換えても意味がない。

《モノの世界》「対話の悲劇」

  1. 《モノの世界》《他者》に語った瞬間に、「対話の悲劇」が始まる。

《モノの世界》《思い描きつつあるモノ》

  1. 《モノの世界》は思い描かれたモノ(知覚が再構成されたモノ)である。
  2. 《思い描きつつあるモノ》はこの《肉の塊》である、か?
  3. 知覚を再構成して《モノの世界》として現出させる《思い描きつつあるモノ》は、知りえないモノ《思い描き》でしかない。それがこの《肉の塊》であるかは検証不可能である。か?
  4. 《モノの世界》を現出させる《思い描きつつあるモノ》は不可知である、か? カントの「モノ自体」のようなものだ。不可知なら言及しても意味がない。
  5. 《モノの世界》《思いこみの世界》との本質的な差はない、ということになる。《モノの世界》は感覚によって的確性のフィードバック制御が行われた《描かれつつある世界》である、ということになる。《描かれつつある思いこみ》

《モノの世界》と語りえないモノ

  1. 何故に《モノの世界》は語りえないか?
  2. 《モノの世界》は、コトバによって指し示すことができる。
  3. 《モノの世界》は、それがどのようなモノであるかをコトバで語り尽くすことはできない。何故? 指し示すことができるのに、語り尽くすことはできない、何故?
  4. 語り尽くすことはできるのである。宇宙のある瞬間の状態はそれを構成する粒子のパラメータの数字の配列によって記述することが可能であり、パラメータの座標軸をとれば、パラメータ座標の一点で表現することができる。況やあるモノに於いてや。ただ、実際には、ヒトがそれを行うことは、不可能である。ヒトの能力において不可能であるだけだ。ヒトが実際にコトバによってそれを行うことは不可能であるが、《思いこみ》においては、それを思い込むことは可能である。だから「可能である」と言ったのである。《思いこみ》においては語り尽くすことが可能である。《思いこみの世界》においては可能である。が、残念ながら《思いこみ》でしかない。「心の作用」でしかなく、ドクサでしかない。

《モノの世界》アレーテイア

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%87%E3%82%B9
    1. パルメニデス
    2. 哲学は真理(アレーテイア)にしたがうものと、思惑(ドクサ)にしたがうものの2部門に分けられる。
  2. パルメニデスのアレーテイア《モノの世界》、ドクサは《思いこみの世界》か?
  3. 『形而上学』上、p.326:あらぬものをありとする「憶断(ドクサ)の道」。まさしく《思いこみの世界》

安藤昌益の「活真(いきて・まこと)」と《モノの世界》

  1. http://www006.upp.so-net.ne.jp/hizumi/sub9.htm
    1. 活真
    2.  宇宙・万物を構成する根源的物質。「イキテマコト」とも読み、「活」は運動性と生命性を、「真」は実体性と物質性を含意している。つまり「活真」とは、存在と運動のエネルギーの根源を実体化した概念である。
    3.  活真は常に宇宙に横溢し、万物に内在して、宇宙・万物を存在せしめ、再生して止まない根源的存在である。転にあっては「転真」、人にあっては「人真」、人体の胃にあっては「胃真」「胃土活真」、人家の炉にあっては「炉土活真」と呼ばれ、それぞれの存在と運動の根拠となっている。
    4.  具体的には、活真が大きくあるいは小さく「進退退進」と「通横逆」の自己運動を展開し、「気」となり、万物を生成・発展・運動せしめているとする。この活真の運動の総体が「自然」である。
    5.  活真は、昌益思想の発展段階によって表現が変わり、初期では「真」「中真」「自然真」が、中期では初期の三つに加えて「一真」が使われる。晩期にいたって「活真」「土活真」が用いられるようになる。→進退・互性・通横逆
  2. モノ《動き》の総体が《モノの世界》である。モノに内在する《アニマ》

ハイデガーの「アレーテイア」と《モノの世界》

  1. 『哲学の根本的問い』

《モノの世界》と『モノ語り

  1. 《コトバの世界》の『モノ語り』と、《モノの世界》の《モノ語り》とが在る。
  2. すべてのモノには、彼の《モノ語り》がある。
  3. 《モノの世界》モノたちの《モノ語り》に満ちている。
  4. 《コトバの世界》とは、《ヒトの群れ》で共有されたコトバが描き出す《思いこみ》である。
  5. コトバとしての『モノ語り』と、モノ記憶としての《モノ語り》。
  6. ヒトはそれぞれ自分の《モノ語り》を持っている。しかし、それのすべてがコトバとしての『モノ語り』として語られるわけではない。

《モノの世界》格物

  1. 《モノの世界》への《見通し》に到達すること=格物
  2. 《モノの世界》への《見通し》にいたる(格)ことは、うれしいことではない。意味という《思いこみ》を失うことである。
  3. 《思いこみ》に由来する意味を失うが故に、意を誠にして、《肉の塊》の好悪を感じることから始めて、意味を再構築しなければならなくなる。「如悪悪臭、如好好色」。
  4. 《モノの世界》への《見通し》アレーテイアへの実感である。アレーテイアへの直接知である。→『哲学の根本的問い』

《モノの世界》大自然の営み

  1. 《モノの世界》が《ヒト世界》を含むとすれば、《モノの世界》大自然の営みである。
  2. 世界はその中心のモノとの対立概念。大自然の営みはすべてのモノがその中心にあり、すべてのモノとその世界とを含む一切なので、世界に過ぎない《モノの世界》大自然の営みとでは異なる。
  1. http://red.ap.teacup.com/fiat850coupe/
    1. 中国南部での言い伝え
    2. 月には「月桂樹」が生えてると信じられています。
    3. 満月をよーく見ると、たしかに生えてるように見える。
    4. その横に人のような影が見える。
    5. この人物は「呉剛」(ごごう)という名である。
    6. 呉剛は人間界にいる時に、大きな罪を犯してしまいました。
    7. 天帝は彼にその月桂樹を切るよう命じました。
    8. この木を切り倒せば、罪を許し人間界に返してあげようというわけです。
    9. しかし、いくら呉剛が木を切っても、たちまち、また元に戻ってしまうのです。
    10. そう、呉剛はいまだに、毎晩毎晩、切り続けていると言われています。
    11. 呉剛は人から後ろ指を指されるのが大嫌いで、人間が月を指差すと、自分が笑いものになってると勘違いし、その指を指した人間の両耳を切り取ってしまうと言われています。
    12. じゃあ、間違って指を指してしまったらどうすればいいのか?
    13. すぐに以下の呪文を唱えればいいらしい。
      1. 「月光おじさん、月光おじさん、
      2.  恐くありませんよ。
      3.  私の耳を返して下さい。
      4.  あなたに刀を返しますから」
    14. これでOKだって。
  2. この話は示唆的だな。月という《モノの世界》入り込むと、《ヒトコトバ》が聞こえなくなる。

《客観世界》《モノの世界》

  1. 《モノの世界》は今ここの《知りつつあるモノ》の《認識限界》によって、《近傍物理空間》《客観世界》とに分かれる。《客観世界》《知りつつあるモノ》の《認識限界》によって区別されない《モノの世界》である。
  2. 《近傍物理空間》は、今ここの《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《モノの世界》である。

《モノの世界》《体外感覚世界》《体内感覚世界》《背後者世界》

  1. 《モノの世界》《体外感覚世界》《体内感覚世界》《背後者世界》に分割できるか? これは認識手段・認識経路による分類。

《体内感覚世界》《モノの世界》

  1. 広い意味での《モノの世界》には《体内感覚世界》も含まれる。
  2. 狭い意味での《モノの世界》《体内感覚世界》と対立するモノ

《モノの世界》《近傍物理空間》

  1. 《モノの世界》を構成するモノ《近傍物理空間》に現れたモノに限られるか? 《認識限界》の先にあるモノたちを含むか?

《モノの世界》《思いこみの世界》

  1. 世界には《モノの世界》《思いこみの世界》とがある。ただし、《モノの世界》《私》《思いこみの世界》ではない、という保障はない。
  2. 《モノの世界》は、《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》を、噴出するに任せたときに現れる世界である。《知りつつあるモノ》《噴出しつつあるモノ》から離れたときに現れる世界である。《知りつつあるモノ》《思いこみ》から離れたときに現れる世界である。その意味では、《モノの世界》《思いこみの世界》から、定義において区別されている。
  3. 《思いこみの世界》は、《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》噴出する《思いこみ》の中に《知りつつあるモノ》が在る状態のときの、《知りつつあるモノ》世界である。

モノの群れ》と《モノの世界》

  1. 全然違う概念だな。

《モノの世界》《アニマ》

  1. そういえば、たけ(tk)も、高校のころは、なにか、絶対的な命令者を求めていた。それに忠誠をつくし、その命令を実行していれば、すべてうまくいくような命令者を求めていた。そんな都合の良い命令者などはありはしない、と気がついて、自分の目で見ようとし始めたのだ。自分の頭で考えるほかないと思い始めたのだ。
  2. 思うに、絶対的な命令者とは、自分の身体を含めた、自分のまわりのモノたちの存在自体だ。モノの法則に反する生き方など出来るはずがない。そういう意味で、モノたちの存在は絶対的な命令者なのだ。しかし、その命令者の命令にしたがっても、自由度がありすぎる。幅がありすぎるから、《私》の自由が残ってしまうのだ。その自由度の中では《私》《私》の決断で生きていかなければならない。
  3. ヒトを含めたモノたちの世界ヒトモノからなる、《私》の近傍の《他者の世界》というモノ《私》の《近傍の他者たちの世界》というモノ《アニマ》を見いだすこと。《モノの世界》ヒトを置いて、モノ世界《アニマ》を感ぜよ。ロビタの大自然のなかのヒト《アニマ》を感ぜよ。ヒトが参加している《モノの世界》《アニマ》が、かつて求めていた絶対的な命令者になるであろう。

《モノの世界》時間

  1. 《モノの世界》時間の中に在る、か?
  2. 永遠の今時間公理、持続する時間公理、断絶した時間公理、座標軸の時間公理四次元チューブ時間公理。軌跡の時間公理

《モノの世界》《他者の思いこみ》

  1. 人々は《モノの世界》《群れの思いこみ》をかぶせて認識する。モノコトバ(普通名詞や固有名詞)で認識され、『所有者』によって分断される。所有者のテリトリーに属するモノ所有物)として認識される。

《モノの世界》と「モノがおりなす世界」:

  1. 《思いこみ》モノであるとすれば、「モノがおりなす世界」には「《思いこみ》がおりなす世界」も含まれることになる。

《思いこみ》《モノの世界》

  1. 《モノの世界》《思いこみ》であろう。《モノの世界》という《思いこみ》ルールによって構成された《思いこみ》であろう。
  2. 《モノの世界》ルールによると《思いこみ》《モノの世界》の中のモノである。
  3. 《思いこみ》としての『モノ世界』は、《思いこみ》である。
  4. 《思いこみ》としての『モノ世界』は、《モノの世界》とは別のモノである。

《モノの世界》ルールと認識

  1. 《モノの世界》ルールによれば、認識は《思いこみ》というモノである。認識することは《思いこみ》というモノを作る作業である。『認識されたモノ』は《思いこみ》であり、《認識されたモノ》というモノとは別である。
  2. 《コトバの世界》ルールによれば『認識されたモノ』という《思いこみ》は《認識されたモノ》というモノと同じである。