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《ヒトの個体》

キーワード《ヒトの個体》

定義

生物学上の『ヒトの個体』が指し示すモノ

  1. 生物学的指標における「ヒト」というのは、かなり明確にモノから《他者》を分別しうる。《たけ(tk)の思いこみ》における「ヒト」も生物学的指標における「ヒト」なのだ。生物学的な指標における「類」というのは、雑婚が可能かどうかだろう。つまり、獣姦によって子供が生まれたなら、その獣はヒトである、ということになる。

《ヒトの個体》《私》《他者》の総称である。

  1. 《同質者公理》によれば、《私》《他者》とは同質であるから、同質なモノを総称することができる。
  2. 《私》は絶対的認識者であるが、《同質者公理》によれば、《他者》もまた《他者》にとって絶対的認識者である。《ヒトの個体》はその個体にとって絶対的認識者である。《私》は無条件の絶対的認識者であるのではなく、「《私》にとって絶対的認識者である」、《私》という視点から見て絶対的認識者である。相対的絶対者。《同質者公理》によれば、《私》は相対的絶対者である。座標系の原点と同様の相対的絶対者である。
  3. もう一つの問題は、《他者》は広義では《ヒトの個体》以外のモノを含む、ということ。狭義の《他者》は「広義の《他者》のうち《ヒトの個体》であるようなモノ」となるが、これでは定義が反復してしまう。

区別

《他者》《ヒトの個体》

  1. 《私》《他者》とをあわせたモノ《ヒトの個体》と呼ぶことにする。
  2. 《他者》《ヒトの個体》に限定されない。

モノ《ヒトの個体》

  1. モノ《ヒトの個体》と識別する指標は何か?
  2. 生物学に任せよう。定義などできはしない。
  3. 《私》に似ているモノ、が、《ヒトの個体》だろう。「似ている」という判断のためには『ヒト』のイデア《思いこみ》)が必要になるけどね・・。
  4. そもそも、「胎児はヒトか」という議論もある。「脳死者はヒトか」「ヒトの死体はヒトか」「切断されたヒトの腕はヒトか」などなど・・。
  5. 《私》が『ヒトの個体』だと思ったモノ《ヒトの個体》なのだ・・。《私》《思いこみ》(『ヒト』のイデア)が識別指標なのだ。
  6. 《私》はそのモノと同類である』という《思いこみ》を「同類者意識」と呼ぶことにしよう。同類者意識の元になる『ヒト』のイデア《私》《思いこみ》
  7. そもそも、「モノをxxであるとみなす」というのは《思いこみ》の作用なのだ。
  8. 《思いこみ》を捨て去った《見通し》においては、モノモノでしかない。モノにはそれぞれの《アニマ》がある。《私》と似ている《アニマ》もあるし、似ていない《アニマ》もある。『ヒト』という《思いこみ》で区別する必要はない。
  9. 《見通し》を説明する段階では、適当な分類をして、適当な輪郭を決めて、色分けして、コトバに対応させて、説明する必要がある。
  10. 説明する段階では、一般に通用しているコトバを使うべきであろう。一般に通用しているコトバとその意味というのは、《ヒトの群れ》の約束ごとで決まっている。《ヒトの群れの思いこみ》なのだ。が、便宜上、それを使うのがよい、ということ。

《特別者公理》《ヒトの個体》

  1. 《特別者公理》によれば、《私》《他者》とは異なった性質の存在(絶対的認識者、世界の中心、座標の原点)である。異なった性格の存在を総称することはできない。
  2. 《特別者公理》によれば、《私》は「《他者》《私》の同質性」を確認することができない。《他者》《私》と同様の認識者であることを確認できない。
  3. 《特別者公理》は、論破できないが、有用な結論を導かない。
  4. 絶対者である、というのは、単なる事実として認めるべきではないか?

《ヒトの群れ》《ヒトの個体》

  1. 《ヒトの群れ》から離脱した《ヒトの個体》は、成員が1人だけの《ヒトの群れ》、《成員が1つだけの群れ》である。

生物学上の概念と《ヒトの個体》

  1. 『生物学的指標における「ヒト」』というのは《群れの思いこみ》だな。

《他者》を「《知りつつあるモノ》を撹乱するモノ」と定義した。(でも、最近では、いろいろなモノ動きに撹乱されるようになってしまったのよね)。《知りつつあるモノ》が撹乱されるというのは、そのモノからの呼びかけに対して即応できるような状態に変化する、ということだ。《私》の状態が個体内循環の状態から個体間循環の状態に変化することだ。

しかしそうすると、システムの管理者が、システムの変動に即応できる状態になっているとき、システムは《他者》であるということになる。手塚治虫のロビタにおけるような、同類と異類の混淆状態もありうる。

  1. 「コンピュータが私の恋人」というヒトにとっては・・。

《ヒトの個体》《思いこみ》である。『あるモノ《ヒトの個体》である』という《思いこみ》を伴って認識されるとき、その《思いこみ》によって指し示されたモノ《ヒトの個体》である。『《私》と同じ類に属するモノ』という《思いこみ》によって指し示されたモノ《他者》であり、《ヒトの個体》である。

* 極悪非道の犯罪者に対して「あんなのヒトではない」というときの「ヒト」? 「ゴイムはヒトではない」というときの「ヒト」?

『あるモノ《ヒトの個体》である』という《思いこみ》とは? 『あるモノ《私》と同じ類に属する』という《思いこみ》である。 この《思いこみ》同類者意識と呼ぶことにする。

「生き物のやり方」でモノを見はじめたときにすでに「モノのやり方」で見えていた世界は見えなくなっているのだ。アメーバにとっての事物は「食べ物/敵/同類」という程度の極めてモノトーンに近い世界だろう。子供の認識もにたようなものだ。

類的他者の認識→動作→他者による認識→動作→私による認識→・・のループ。間接的な自己認識。

《近傍物理空間》に《蟻の個体》や《犬の個体》が現れるのと同様に《ヒトの個体》が現れる。イデア的に、先験的に、《私》は《蟻の個体》や《犬の個体》や《ヒトの個体》を知っている。先験的に、というのは幼児期からの記憶によって、ということだろう。イデア的にというのは、幼児期からの習得によりその名前を知っている、コトバを学習しているということだろう。コトバの学習段階に応じて、《ワンワンの個体》から《犬の個体》になり、《ポメラニアンの個体》や《プードルの個体》になる。

胎児は《ヒトの個体》か、死体は《ヒトの個体》か、脳死者は《ヒトの個体》か、というのは、《ヒトの個体》時間的輪郭の曖昧さの問題。

《ヒトの個体》は《ainuの個体》か《humanbeing の個体》か《mannの個体》か《人(ren)の個体》か《saramの個体》か。

日本語の「ヒト」には日本人的な価値観に合致する行動をするモノという価値判断的要素を含む、アイヌ語の「ainu」にはアイヌ人的な価値判断が含まれ、ドイツ語の「mann」にはドイツ人的な価値判断が含まれている。

価値のないモノには名前もない。ヒト価値をそのモノに何らかの認めるときに、そのモノに名前を付ける。主知主義者が何にでも名前を付けるというのは、実用主義者にとっては価値がなくても、主知主義者にとっては価値があるからである。主知主義者にとっては、知るべきモノという価値があるからある。

価値判断を伴わないでモノの識別をすることはできない。

とするなら、《ヒトの個体》という識別には、価値判断が含まれている。『《私》を保護してくれるモノ』という価値判断だろう。

ローレンツを親だと思った雛たちは彼らにとって彼ら自身は《ヒトの個体》なのであり、狼によって育てられて少女にとっては狼が《ヒトの個体》なのである。

  1. 《私》に似ているモノ《ヒトの個体》である」とするなら、グッピーにとっては、そのグッピー自身が《私》なのであるから、他のグッピーが《ヒトの個体》である。
  2. 《ヒトの個体》に関する適確な定義など、しようとするだけ無駄。

《思いこみ》としての『ヒトの個体』と、モノとしての《ヒトの個体》

  1. 《思いこみ》としての『ヒトの個体』と、モノとしての《ヒトの個体》とは区別すべきだろう。《思いこみ》としての『ヒトの個体』は幻であっても構わない、死んだおばさんでも父親でも『ヒトの個体』である。モノとしての実体がなく、モノを指し示すことができなくても、『ヒトの個体』でありうる。
  2. そもそも、《ヒトの個体》であるようなモノはあるのか? 「《ヒトの個体》」というコトバで指し示されたモノ、はある。それがモノだ。そのモノが、そのモノ自身の属性として、「《ヒトの個体》である」という属性を持っているわけではない。
  3. モノ離存性

かつて存在したモノは、四次元チューブとしての《客観世界》の中に存在するモノなのではないか? いま・ここの《近傍物理空間》の中に存在しないモノは、直接にその存在を検証することができない。その意味では同じである。《客観世界》とのものが《思いこみ》なのであるから、《客観世界》の中にあるモノもすべて《思いこみ》である。《思いこみ》の概念が広過ぎる。

  1. 四次元チューブというのは《思いこみ》なんだよね。
  2. 四次元チューブは、《思いこみ》を捨てた《見通し》の中にある。

《ヒトの個体》とは「ヒト」というコトバで指し示されたモノである。「ヒト」というコトバモノとは別のものである。「ヒト」というコトバが何を指し示すかの、必然的な繋がりはない。「ヒト」というコトバが何を指し示すかは『ヒト』という《思いこみ》によって決まる。モノとしての《ヒトの個体》は『ヒト』という《思いこみ》によって決まる。

  1. モノ離存性被指示性
Last modified:2006/01/08 23:29:24
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