FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《ヒトの群れ》

キーワード《ヒトの群れ》

定義

  1. 《地表のヒトの群れ》を「人類全体のヒトの群れ」の意味で使い、
  2. 《ヒトの群れ》を「人類全体のヒトの群れのサブシステムとしての小集団」の意味で使う。
  1. 広い意味での《ヒトの群れ》《地表のヒトの群れ》=人類全体の《ヒトの群れ》=を含む。
  2. 狭い意味での《ヒトの群れ》《地表のヒトの群れ》のサブシステムである小集団をいみする。

秒単位で消滅する《ヒトの群れ》もあるし、100年単位で持続する《ヒトの群れ》もある。

《近傍物理空間》の中には複数の《ヒトの個体》がある。《客観世界》の中には多数の《ヒトの個体》がある、と信じる。(60億人?)。

複数の《ヒトの個体》が何らかの関係性を持って集まっている状態を《ヒトの群れ》という。

《ヒトの群れ》は宇宙史の中の四次元チューブの一つである。

人類の発生、変化、消滅は《地表の出来事》の中のエピソードの一つである。 人類のサブシステムとしての個々の《ヒトの群れ》の発生、変化、消滅も《地表の出来事》の中のエピソードである。

人類は全体としての一つの《ヒトの群れ》である。人類共同体を《地表のヒトの群れ》という。

諸々の《ヒトの群れ》は人類という《地表のヒトの群れ》のなかのサブシステムである。時に孤立し、時に関係し、時に融合し、時に増殖し、時に絶滅する小集団が織り成す全体の群れの出来事。《他者の思いこみ》は急速に伝達し、時に伝達が阻止され、時に徐々に伝達される。《他者の思いこみ》は時に正確に伝達され、時に変形して伝達される。

区別

《息しつつあるモノの背後者》《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》《息しつつあるモノの背後者》の中に入っている。
  1. 『東京新聞』2008.03.07.朝.24
    1. 「姿勢」か「責任」か
    2. 中国人がよく口にするコトバに「死不認錯(シープーレンツォ)」がある。死んでも間違いを認めないという意味だ。
  2. たしかに・・完全に事実が明らかになる前に「謝罪」してしまえば、事実の究明はそこで中断されてしまう可能性が高い。
  3. 中国側か日本側かが完全に明らかになっていない状態で、「もし今、中国が日本に謝れば、犯人は中国側にいると断定した形になり、犯人にとっては日本は安全な場になる。それで万が一、日本に犯人がいれば、事実を迷宮入りにさせてしまう」
  4. 「日本の企業だって謝るのは、事件が表面化してからではないか」「企業幹部が頭を下げる姿は形式的になってきた感もある」「急務なのはhん犯人は誰か、事件の解明。頭を下げることではないし、逆に謝罪は問題の解決を難しくする恐れがある」

《ヒトの群れ》《多体運動》

  1. 多数のモノたちの自律的な運動の《群れ》《動き》
  2. 《個体》は食餌しなければならない。
  3. 《個体》には寿命が在る。
  4. 《個体》は繁殖しなければならない。
  5. 食餌は、他の《個体》(他の種の《個体》?)を殺して食べることである。
  6. 《個体》にはERGの欲求・行動様式が在る。
      1. 食餌欲求。
      2. 繁殖欲求。
      3. 移動欲求。
        1. 逃走欲求(捕食者・毒物からの)。
        2. 接近欲求(餌への)。
    1. R(同種の《個体》への)
      1. 攻撃欲求
      2. 給餌欲求
      3. 伝達欲求
      4. 理解欲求。《世界》を理解する。他の《個体》からの伝達を理解する。
      5. 他の《個体》との距離を一定範囲内に保つ欲求。離れすぎず、近すぎず。
      1. 自己強化欲求。寿命延ばし、攻撃力・防御力の強化・・
      2. 《モノ作り》欲求・・餌作り、道具作り。
        1. 素材獲得。《モノ作り》のための素材獲得。
        2. 《思い描き》欲求
  7. 道具進化が人類の発展である。
    1. 水田という道具によって、日本人の行動様式が決まった。
      1. 土地から逃れるのが困難になった。
      2. 逃げられないので、暴力に抵抗できなくなった。
      3. 農民を暴力で支配する集団が現れた。
    2. 小麦という道具によって、西洋人の行動様式が決まった。
    3. 貨幣という道具によって人々の行動様式が変った。
    4. インターネットという道具によって人々の行動様式が変った。
    5. ケータイという道具によって人々の行動様式が変った。

中世社会は、職能社会のあつまりであった。

  1. 武家社会、商人社会〜海人社会、、農民社会〜町人社会、寺社社会。芸民社会。
  2. 農本制生産社会であり、その上の暴力装置としての《独占暴力団》があり、その社会は暴力の行使で繋がっているだけの弱い《繋がり》であったために、地域分化が生じて、社会の分化が生じた。その分断社会の枠のあまりの部分で、町人社会、商人社会、寺社社会、芸民社会が生じた。
  3. 資本制生産社会では、生産者⇔市場⇔消費者、資本家⇔経営者⇔労働者という階層に分かれたが、経営者層と労働者相とは密接なつながりがあり、地域分化に至らなかったので、明確な社会分化は生じなかった。
  4. 《独占暴力団》は武家社会の末裔であるが、変質した・・どのように?

営業警察許可制と公益事業許可制

  1. 鉄道業の許可制は公益事業許可制。
  2. 市場原理に任せた場合に、事業として成立しえない、逆に、独占によって公益を害する、といった場合の許可制が、公益事業許可制だろう。
  3. 放任時の成立可能性、弊害可能性、社会インフラ(公益)としての必要性。
  4. 警察業務と警備会社、軍隊と傭兵企業との関係も視野にいれるべきである。
  5. 風呂屋の許可制、薬局の許可制・・。風呂屋は時代とともに、社会インフラとしての必要性が減ってきた。薬局は、人の住む場所から一定の時間距離の範囲内に、無いと困るだろう。その意味では、社会インフラとしての機能がある。
    1. 「行政活動として公的に行われる給付活動が、私人による営利事業としても成り立ちうる性質のものであるとき」(『行政法』p.224)は独占防止税を規定して、私人に任せればよい。一地域のシェアが、1社で30%、2社で40%、3社で50%を超える場合には売り上げの1%の独占税を課せばよい。

届出制の脱法的運用と《ヒトの群れ》

  1. 『行政法』上、小早川光郎、p.198
    1. 人が一定の行動をとるにあたってそれを事前または事後に行政機関に届け出なければならないとする仕組みが、”届出制”である。・・届出をしないことに対しては、刑罰が科せられるのと通例とする。
    2. この仕組みのもとでは、関係者は、自らの行動について行政機関に届出をしさえすれば足り、その行動の是非が行政機関において審査されるという過程を経ることを要しない・・。
    3. 行政の実際において、立法の定める届出制が行政担当者および関係者によってあたかも許可制のように理解され、運用される(行政機関が届出の内容を非としてその届け出を拒み、それがあたかも不許可処分の如くに通用する等)という場合がある・・。

『孝行教』と《ヒトの群れ》

  1. 日本人は『孝行教』だろう。
  2. 子供は、必死になって親を守ろうとする、もののようだ。
  3. アイヌ的な祖先崇拝も、『孝行教』の自然な延長にある。
  4. 親は、自他が別れる前の子供にとっての、『私』そのものなのだ。
  5. ブッダにしても、キリストにしても『親』との断絶から、その宗教が始まる。なぜ?

善意が地獄を招く、理由は?

  1. (a)困っている人に善意で介入すると、失敗したときに、賠償請求される。
  2. (b)地獄への道は善意で舗装されている。

ヒトムレ・100

  1. ヒトの群れ』は《他者からの思いこみ》である。
  2. 《近傍物理空間》の、現実のモノとしての《ヒトの群れ》を見ても何も分からない。
  3. ヒト《動き》の《解釈》の総和の抽象化が『ヒトの群れ』である。

《ヒトの群れ》にはどのようなものがあるか?

  1. 母子関係は《ヒトの群れ》である
  2. 権力は《ヒトの群れ》である。
  3. 仲間は《ヒトの群れ》である。
  4. 恋人や夫婦や家族は《ヒトの群れ》である。
  5. 企業は《ヒトの群れ》である。
  6. 国家は《ヒトの群れ》である。
  7. 横断歩道を渡る人々は《ヒトの群れ》である。

《ヒトの群れ》と『世間』

  1. 『現実』でも同じだろう。宗教としてとらえるのが適当だろう。主観的世界なのである。
  2. 東京新聞
    1. 日本社会は、いまだ近代西欧的な「社会」になっておらず、前近代的な「世間」にすぎない−−という話はこれまでにもあった。そして話題は「社会の成熟」を目指す方向に向かうのが相場だった。個々人の問題に還元すれば、「自我を確立した個人」になろう、という路線が(教育の場では)推奨された。
    2. ・・
    3. バブル後の日本は、「社会」の皮をかぶった「世間」が個人に圧力を加える度合が強まった。
    4. ・・
    5. 日本的「世間」に、戦後の「人間平等主義」が重なって、競争や個人差が隠蔽され、「人並み」が強調されてきた。日本にも本当は子どものころから競争はあるのだが、欧米流の自己主張ではなく、他人(世間)に好意を持たれることが勝利につながるという構造がある。この構想が変わっていないところに、今度は「自発性」「成果主義」が乗っかり、日本的個人は行き場を失った。
  3. そんな観念の遊びを演じてみても、何も変わらないだろう。
  4. 「他人(世間)に好意を持たれることが勝利につながるという構造」はアリストテレスも論じていることだ。日本的な特徴ではない。
  5. 彼らが「日本的」というのは、単に、《内からの視点》で見た場合、の見え方、であるに過ぎない。

《ヒトの群れ》と《バズワードの雪合戦》

  1. バズワードの雪合戦》で何が面白いのだろうか?
  2. バズワードの雪合戦》は、何らかの《欲求》《欲求実現手段》である。雪合戦は、何らかの《欲求》《欲求実現手段》である。戦争ごっこは何らかの《欲求》《欲求実現手段》である。

《ヒトの群れ》《モノ作り》

  1. 政治は《モノ作り》のはずである。《ヒトの群れ》というモノ《モノ作り》である。
  2. テスト駆動型の《政治作り》。目標を設定して、その目標に達していないときだけ、政治をせよ。
  3. 《モノ作り》は大工でしかない。立派な大工が作った立派な建物の中で醜悪な政治が行われることになる。
  4. 人類よ滅びよ。鶏舎のブロイラーたちにさいわいあれ。垢となって剥げ落ちる体細胞たちにさいわいあれ。彼らは、体細胞であることを望んだのだ。体細胞であることは彼らの《求める思いこみ》である。体細胞としての職分を果たすことが彼らの《求める思いこみ》である。彼らに《我》はない。彼らの《群れ》が彼らの《我》なのである。否、彼らに《我》はある。《欲求》の保持者としての《我》がある。彼らは《我》《欲求実現手段》である。彼らは《欲求》であり、同時にその《欲求》《欲求実現手段》である。《他者》とはいったい何なのか?

《ヒトの群れ》と戦略的決定

  1. 戦略的決定は、一人の頭の中からしか出てこない(今のところ)。
  2. 何十通りもの選択肢を見通して、現状認識の微妙なところで、次の決定をする。状況の変化を見て機敏に選択肢を変える。というのは集団的決定では無理だろう。

《ヒトの群れ》と戦争

  1. 【AFP】「自動戦闘ロボットが人類を脅かす日」、人工知能専門家らが予測  http://www.asyura2.com/08/wara1/msg/384.html 投稿者 passenger 日時 2008 年 2 月 28 日 00:22:38: eZ/Nw96TErl1Y
  2. 戦争は《ヒトの群れ》の腐敗の帰結か? ○:。×:。
  3. 「誰も望んでいない戦争を、皆が狂喜して推進する」という現象は何を意味するのか?
    1. 個体として望む、望まないということと、《群れの中の個体》として、歓喜の声をあげる、という《動き》をするということとは、リンクしていない、ということだろう。《群れ》の中においては、別の《求める思いこみ》を持つ、ということか? 《群生相》《孤独相》の対立が《健常者》にもあるということか? 《健常者》にもあるが、《健常者》はその存在に気がついていないので、《健常者》はその存在を認めない、ということか?

《欲求》《ヒトの群れ》

  1. 個々人の《欲求》の総和によって《ヒトの群れ》進化する。

《ヒトの群れ》と『希望』

  1. 《ユートピア》には『希望』が必要である。
  2. 《ヒトの群れ》には『希望』が必要である。
  3. 人々が『生きる』にあたって、共通の『希望』が必要である。『共に生きる』には共通の『希望』が必要である。『夢』が必要である。『夢』のない社会では、ヒトは、自分のことしか考えなくなる。《他者》といることが、楽しくないのだ。《他者》のために考えることが楽しくないのだ。
  4. 『希望』がともにしていれば、『希望』をともにする人々と考えるのは、楽しいことである。
  5. 『希望』をともにしない人々と共にいるのは苦痛である。
  6. 《ヒトの群れ》には『希望』が必要である。
  7. しかし・・・、日本の歴史のなかで、有害とならなかった『希望』はあるのだろうか? 旗印は立派でも、実際のホンネの政策は、蝗なみだった。人類なんて滅びてしまえ。蝗人類など滅びてしまえ。
  8. 《死すべき個体》にとっての、『希望』とは絶望の中から生まれた、『絶望世界『無意味の世界』への認識から生まれるモノである。そんなもの、《ヒトの群れ》に期待できるか。
  9. 『希望』も『心地よいウソ』なのである。『心地よいウソ』は必要だ。? ○:。×:。

「腐ったリンゴを元に戻すことはできない」と《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》においても「腐ったリンゴを元に戻すことはできない」のか?
    1. ○:別のリンゴで置き換えるしかない、か。《ヒトの群れ》に自然治癒力はあるか?。
    2. ×:部分的な腐敗であれば、自然治癒力で直る。リンゴが生きていれば、治癒する可能性はある。

人類の人口と《ヒトの群れ》

  1. http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1610010.html
    1. 国際連合が2002年に行った人口推計
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3)。
  3. 西暦元年には3億人、
  4. 1000年では3億1,000万人、
  5. 1500年では5億人、
  6. 1800年では9億8,000万人、
  7. 1900年には16億5,000万人
  8. 1950年には約25億人であったが、その後人口は増加し続け、
  9. 1960年には30億人、
  10. 1975年には40億人、
  11. 1990年に50億人、
  12. 2000年には60億人を超え、
  13. 2003年には約63億人に達している。20世紀後半の50年間で、それまでの総人口を上回る約35億人もの人口が増えたことになる。10億人増加に要する期間もだんだん短くなっている。
  14. 2007年6月現在、推計で66億人。
  15. 20世紀後半からの世界人口の伸びが、人類の歴史上いかに急激なものであったかが分かる。//国連の人口推計によると、今後とも世界人口は増加を続け、
  16. 2050年には、2003年よりも約26億人増加して、89億人に達する見通しである。そして、国連による別の推計では、世界の人口は
  17. 2100年には91億人、2300年には90億人に達するものとされている。
  18. 絶滅曲線をたどっている・・・・。
  19. 貪欲に地球の資源を食いつくして、イースター島の悲劇を拡大再現するのだ。
  20. 食料が足りないわけではない。エネルギーだって、太陽電池のEPRは最低でも5くらいあるらしいから、問題なし。先進国では人口は増えていない、ということは、豊かになれば人口は増えなくなるかもしれない。
  21. 将来のことを心配しても『意味』がない。
  22. 絶滅が
    1. 100年後なら心配しよう。
    2. 1000年後なら、後のヒトに心配してもらおう。
    3. 1万年後なら、あっしには関りのねぇことでござんす。

「日本」はモノか?

  1. ○:《仮想実在》である。『日本』という《思いこみ》である。国境は《思いこみ》である。
  2. ×:日本列島に住む人々の《群れ》である。モノである。《日本》である。

何が問題なのか?

  1. サイレントテロについて【ゴミナントさんの日記】 http://www.asyura2.com/07/social5/msg/415.html 投稿者 tk 日時 2008 年 2 月 20 日 00:15:41: fNs.vR2niMp1.
  2. 『日本』の問題である? ○:。×:《日本》?。

ヒムナ・100。ヒムナ:《ヒトの群れの流れ》。

  1. 1:《私》のまわりの《ヒトの群れの流れ》は平穏である。暖かく、淀んでいるが、濁っていない。
  2. 2:《私》のまわりの向こうは、真っ暗闇である。《内からの視点》の《認識限界》なのか? 《身内》の《認識限界》。《身内》はボルボックスの内部空間である。ボルボックスの外側の冷たく・濁った・真っ黒い《混濁》。((訳知りの《外からの視点》を排除せよ))
  3. 3:現在の人々にかけている《視点》、を強調すると、次の世代には、別の《視点》が欠落することになる。2008年の《視点》では、主観・主体の《視点》がかけているのだと思う、が、次の世代には別の《視点》が欠ける事になるのではないか?
  4. 4:《連想のトンネル》の中をさまよう《混濁しつつある他者の身体》《動き》《群れ》が作り出すカオスな《流れ》。
  5. 5:《ヒトの群れ》《外からの視点》であり、《人びとの群れ》は《内からの視点》である。

《ヒトの群れ》の《流れ》と《個体》の『なすべきこと』

  1. 《永遠の生きモノ》は《個体》の『なすべきこと』とは無関係?
    1. ○:われわれは《永遠の生きモノ》に義理が在るわけではない。《永遠の生きモノ》のために『生きる』必要も無い。ヒトが本能的に《他者》を愛し、それが《永遠の生きモノ》に由来するものであるとしても、本能的な『なすべきこと』と、われわれが知るべき『なすべきこと』とは無関係。「《彼ら》の『なすべきこと』を知ること」は《私》『なすべきこと』ではない。《私》『なすべきこと』は無い。受動的なあり方は、「ある」であり、「なす」ではない。『在るべき在り方』であり、『なすべきこと』ではない。《意図》を持つかどうかが『在る』と『為す』の違い。
    2. ×:ヒトは何故か、子供を愛する。《他者》を愛する。《われわれ》独自の『なすべきこと』は何も無い。知るべき『なすべきこと』は、《永遠の生きモノ》に由来する本能的な『なすべきこと』の、統括的なあり方である。知るべき『なすべきこと』は、《私》『なすべきこと』ではなく、《彼ら》の『なすべきこと』である。「《私》『なすべきこと』は無い」ということは、「《私》が『何もしない事』が《私》『なすべきこと』である」というのと同義である。「《私》『なすべきこと』は無い」ということは、「《彼ら》の流儀に身を任せる事」が《私》『なすべきこと』である、という主張である。「或るときには流れに身を任せ、或るときにはじっと動かない」という《流れの中の小石》のようなあり方を、《私》『なすべきこと』であるとする主張である。『意図』を持つべきではない、というのは、『なすべきこと』である。選択である。《流れの中の小石》は、《流れ》を見通すべきである。《流れ》の仕組みを見通すべきである。それが《流れの中の小石》の第一の『なすべきこと』である。《流れ》の仕組みへの《見通し》ができれば、次の『なすべきこと』が生まれる。《ヒトの群れ》の《流れ》、《ヒトの群れの流れ》。

狂気の時代と《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》は天上の時代→畜生の時代→修羅の時代を循環する。
  2. 人類の絶滅は、人類にとって『よい』ことだから、人類がそれを選択するのである。しかし、人類にとって『よい』ことは、個体にとって『よい』ことであるとは言いがたい。しかし、それぞれの個体も、それぞれの個体にとって『よい』ことを選択した結果として、人類の絶滅をもたらすのである。人類の絶滅は個体の『よい』の結果である。人類よ、滅びよ、それがお前にとっての『よい』ことだ。
  3. 群れとしての人類は、粘菌アメーバの移動体より賢いとはいえない。
  4. 収入が減りはじめ、支出が収入を上まわった時、ヒトは正常な判断を保つことができなくなる。粘菌アメーバが暴走を始める《状況》である。欠乏はヒトを狂気に導く。(貧すれば鈍す、なら、まだマシである。愚鈍であれば貧乏に対する正常な適応である)。貧すれば狂す。

分業

  1. 群れの中での社会的分業とモノ作りでの分業。仕入れ、洗浄、加工、梱包、出荷、検査、開発。
  1. http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080104/144219/?P=2
    1.  今、はがきや封書を誰かに送ることを考えてみましょう。
    2.  そこに発送者の住所や氏名を書かなくても、必要な切手を張り、あて先さえしっかり書いてあれば、メッセージを相手に届けることは可能です。そういう意味では、実は郵便も「匿名性」を持つメディアなのです。
    3. ・・
    4.  「さて、今の日本社会で、差出人不明のはがきや封書を受け取ったら、皆どんな感じを持つだろう? あるいは、虚偽の住所を記した手紙が来たら、どう思うかな? 微妙に嫌な感じはしないか? またそこに書かれた内容を信用できると思うだろうか?」
  1. http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080107/144278/
    1.  自分の会社で人を採用する時、面接で「親に叱られたことがありますか?」と聞くことにしている。当社の面接に来るほとんどの人は叱られたことがないと言う。叱られたことがないだけではなく、苦労もしたことがないらしい。
    2.  そういう人に入社後、建設的な注意をするのは大変。すぐに傷つくから。1つの行動について注意したら、自分のすべてがダメと思ってしまう人はなぜか多い。それで落ち込む。こういう考え方は、日本の学校で多い自殺やうつ病の原因の一部になっているのかもしれない。
    3.  苦労もしない、批判も受け付けられない。国のトップレベルの人までこうだから、批判されると無責任な自殺で終わらせてしまう。問題にぶつかり合う勇気が十分教育されていないためかもしれない。

《サル山のサルの群れ》《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》にはリアリティを感じないな。
  2. 《ヒトの群れ》には、《私》《群有思いこみ》を共有している個体たちの群れ、というニュアンスが在る。全然共有していないのだ。彼らには『ヒトでありたい』という《求める思いこみ》を感じることができない。『サルで何が悪い』という居直りと『サルらしく生きたい』という《思いこみ》しか感じることができない。そう、サルであることは、じつは自然な姿なのだ。
  3. ヒト』というのは当為概念に過ぎない。当為概念を含んだ概念で存在を理解することはできない。
  4. 《ヒトの群れ》は『我々』であり、《サル山のサルの群れ》は『彼ら』である。

『我々』と《ヒトの群れ》

  1. 『我々』は『自己言及しつつある《ヒトの群れ》』を指し示す《思いこみ》である。
  2. 『なすべきこと』 - [『我々』と『なすべきこと』]
  3. 《個体間関係》への見通し - [また、『我々』と名づけられた『ヒトの群れ』の《思いこみ》を共有し、《私》と彼とは『我々という名の《ヒトの群れ》に帰属する』という帰属意識も共有する。]
  4. 『我々』ってあるの?
  5. 『我々』は主観共有の《思いこみ》である。
  6. 『我々』は、人々の主観共有への《求める思いこみ》に訴えかけるマジックワードである。
  7. 同じ場所から、同じ《世界》を見ている。同じ《視点》を共有している、という《思いこみ》が『我々』である。《視点》の共有。《視点の共有》。
  8. 数学の問題を解く時に、《視点》を共有していると言えるのか? 同じ問題に対して、同じ解を導いたとき、《視点》を共有していると言えるか?
  9. デカルトの「cogito, ergo sum」というコトバをトレースしたときに、《私》とデカルトとは《視点》を共有していると言えるか?
  10. 科学の方法により、何人もの追試者によって確認された事項を積み重ねていった場合に、《視点》を共有していると言えるか?
  11. たけ(tk)のように、支離滅裂な、さまざまな《視点》を、みだらに放置するヒトと、《視点》を共有することができるのか?
  12. 『なすべきこと』は、そのヒト状況によって異なる。《視点》の共有だけでは同じ結論には至らない。
  13. 或る《ヒトの群れ》が置かれた状況は、その《群れの中の個体》にとって、同じ状況である、か? まあ、そうだろう。《群れの中の個体》状況ではなく、《群れの中の個体》が属する《ヒトの群れ》状況だからだ。しかし、《ヒトの群れ》ってそんなに強固なのか? 個体が属する《群れ》は多重であろう。一つではない。『我々』は《ヒトの群れ》である。
  14. 欲求分類リスト - [主観共有への欲求]

《ヒトの群れ》《感じ合いつつあるモノ》

  1. 《感じ合いつつあるモノ》《ヒトの群れ》の中に在るときに、《ヒトの群れ》《感じ合いつつあるモノ》である、か?

《ヒトの群れ》《混濁の世界》

  1. 《ヒトの群れ》《混濁の世界》の中にある。
  2. しかし《近傍物理空間》の中に発見するのは希である。(せいぜい、横断歩道を渡る《ヒトの群れ》や、家族や同僚という《ヒトの群れ》を見いだしうるだけである)。

《ヒトの群れ》と《ヒトの群れの苦しみ

  1. ヒトの群れの苦しみ》は在るか?
  2. 排他的集団主義《ヒトの群れ》苦しみである。
  3. 無関心は《ヒトの群れ》苦しみ原因である。
    1. 無関心は、それ自体として、《ヒトの群れ》苦しみである。
  4. 操られた情報の氾濫は《ヒトの群れ》苦しみである。操られた情報の氾濫は《ヒトの群れ》苦しみ原因である。
  5. 情報を操る部分の愚かさは《ヒトの群れ》苦しみ原因である。 情報を操る部分の愚かさは、それ自体として、《ヒトの群れ》苦しみである。
  6. 《ヒトの群れ》の愚かさは、それ自体として、《ヒトの群れ》苦しみである。
  7. 楽しむ部分が凝縮し、苦しむ部分が広がるのは、《ヒトの群れ》苦しみである。
  8. 日本全体が学級崩壊状態になるのは《ヒトの群れ》苦しみである。 世界全体が学級崩壊状態になるのは《ヒトの群れ》苦しみである。
  9. 修羅の世界になるのは《ヒトの群れ》苦しみである。
  10. 楽しむ部分が凝縮するのは、《ヒトの群れ》苦しみである。
  11. 権力の集中、富の集中、情報の集中は《ヒトの群れ》苦しみである。
  12. システムの崩壊は《ヒトの群れ》苦しみである。 システムへの無関心は《ヒトの群れ》苦しみである。 システムへの無関心は《ヒトの群れ》苦しみ原因である。
  13. 《ヒトの群れ》への無関心は《ヒトの群れ》苦しみである。
  14. 散逸構造論:《ヒトの群れ》が極大化すると、エントロピーの放出が不可能になり、内部がカオス化する。 カオス化しないな。鎌倉〜江戸時代の閉鎖列島での経験から言うと、暴力と恐怖によるシステム化が行われる、修羅によるシステム化。
  15. で、システムが完成すると、内部は平和になる。?。江戸時代は外部システムと無縁であったのか?
  16. 石油のコストが高くなれば、再び、ローカリズムの世界に戻るのではないか? 石油のコストは輸送コスト、移動コストに繋がる、これは遠隔地への軍事支配のコストに繋がる。
  17. 排他的集団主義《ヒトの群れ》苦しみ原因である。(やっぱ筋金入りの排他的集団主義が問題だ)。 排他的集団主義は、それ自体として、《ヒトの群れ》苦しみである。

《ヒトの群れ》と《人々》、《ヒトたち》、《モノたち》

  1. 《人々》には《求める思いこみ》がある。《人々》には《動き》への《求める思いこみ》がある。《人々》には、《動き》への決断に必要な《知った思いこみ》への《求める思いこみ》がある。
  2. 《人々》というのは、モノではない。ひとまとまりのモノではない。ヒトの複数形への認識。個々のヒトが見えており、その人の回りに、他の沢山のヒトも見えている。個々のヒトへの認識であると同時に、そのヒトと他のヒトとの比較対照におけるそのヒトへの認識。ワン・オブ・ゼムとしてのヒトへの認識。種としてのヒトへの認識。個体への認識でもなく、群れへの認識でもなく、種への認識でもなく、複数の個体への認識。
  3. ヒトたち》、《モノたち》。
  4. モノの個体への認識なのだが、個性に注目した認識ではなく、同種のモノとの共通性に注目した認識。
  5. 具体的な、複数のモノへの、(個性ではなく)共通性に注目した、認識。
  6. ヒトたち》だと《まなざし》。《人々》だと共感、《感じ合い》
  7. 《息しつつあるモノ》と《人々》。《息しつつあるモノ》と《ヒトたち》。
  8. 感情的概念。「君」と「てめえ」は同じものを指し示している。しかし、種として表現されているのは、そのモノへの感情である。Aさんを指して、「あの敵」と呼んでも、「かの友人」と呼んでも、同じものを指し示している。「Aさん」と呼んでも「Aの野郎」と呼んでも、同じものを指し示している。「人々」も「ヒトたち」も同じものを指し示しているが、感情的態度が異なる。認識経路が異なる。仲間への《感じ合い》の経路での認識か、敵や餌への《まなざし》の経路での認識か、が異なる。同じモノを指し示したいのに、名前によって認識経路や感情的態度が表現されてしまう、というのが困ったものだ。
  9. ある種の《ヒトたち》には『会計報告』を《求める思いこみ》がある。『会計報告』は《知った思いこみ》である。ある種の《ヒトたち》には(『会計報告』という)《知った思いこみ》《求める思いこみ》がある。
  10. このヒトには、《繋がり》のある《ヒトたち》の《求める思いこみ》に応じようとする《求める思いこみ》がある。

《ヒトの群れ》民主主義

  1. 民主主義って何?
  2. 政体が、君主、貴族、民衆、のどれに主権者、決定権者があるか? ○:。×:。
  3. http://ja.wikipedia.org/wiki/アローの不可能性定理
    1. 決定性と民主主義の両立が困難である
    2. 社会的選択のための前提となる3つの公理と民主的決定のための4条件とは互いに相容れず、矛盾する
    3. 「民主制」にとってさらに下記の4条件が不可欠であるとした。
      1. 社会を構成するそれぞれの個人の選好は連結律と推移律を満たす限り自由である(定義域の非限定性、普遍性)
      2. 社会の全員の選好が「xはyよりも良い」とした場合、社会的選好も「xはyよりも良い」となる(全会一致性、パレート原則)
      3. 任意のxとyの社会的選好が、その他の選択肢zに関する個人的選好の変化によって左右されない(無関係な選択対象からの独立性)
      4. すべての選択肢に対する社会的選好が、構成員の中の特定の個人の選好と一致することはあってはならない(非独裁性)
    4. 選好関係≧がこの3つの公理を満たすならば、選択肢が何個あろうともそれが有限個である限り、最も良い選択肢(1個とは限らない)を選ぶことができる。つまり、その選好関係は「決定性」を有する。
    5. 次の3つの公理を満たす社会的選好関係≧(好き嫌いを表す。数字の不等号でないことに注意)を作り出す関数を考え、それを社会的厚生関数(英:social welfare function)と呼んだ。
      1. 反射性 任意の選択肢xに関し常にx≧xが成立する。ただしこれはあまりに自明なので、言及されない場合もある。
      2. 完備性 任意の2つの選択肢x、yに対し、常にx≧yもしくはy≧xが成立する。すなわち選好はどちらかが優先する(x>y、y>x)か同程度か(x=y、これを無差別という)かのいずれかである。
      3. 推移性 任意の3つの選択肢x、y、zに対し、x≧y、y≧zならばx≧zである。
  4. 選択独立性は、非現実的。非独裁性も非現実的、諸個人は互いに影響し合っている。
  5. どちらかが善いに決まっている? 「任意の2つの選択肢x、yに対し、常にx≧yもしくはy≧xが成立する。」
  6. 或る選択肢は、その選択肢より善い?? 「任意の選択肢xに関し常にx≧xが成立する。」同じ選択肢なら、同じ良さにc決まっているのではないか?
  7. 要するに、全員が満足することはない、ということだろう。
  8. 民主政体と、民主主義は違う? イデオロギー、イデア、理念型?

「子供だまし」と《ヒトの群れ》

  1. 『心地よいウソ』
  2. 《プログラミング・オブジェクト》
  3. 火宅の譬え。
  4. 『俺だったら嫌だが/騙されないが、奴なら喜ぶだろう』という差別感情。
  5. 教育的配慮。
  6. 騙すとは、相手が信じて行動するように誘導することである。相手の行動を誘引することである。《他者の動き》を誘引することである。《他者の動き》の解発原因は何か?
  7. 世界は子供だましに満ちている。世界を作るとは、子供だましの世界を作るということである。モノを作るとは、子供だましのモノを作るということである。
  8. 子供だましには合理性がある。
  9. プログラミングって、詐欺なんだよね。
  10. before_filter :check_authentication, :except => [:signin] 分かりやすいね。でも、人間の言語じゃないんだよ。マシンが、人間を騙すために、そのように振る舞っているだけなんだよ。信じると、裏切られるよ。
  11. ヒューマンインターフェース
  12. 人間がスムーズに、機械を使うためには、機械が、人間原理にマッチしていなければならない。

「優しい独裁者」と《ヒトの群れ》

  1. オープンソースの主催者が「優しい独裁者」と呼ばれるのは、コミュニケーションが衆人環視のメーリングリストで行われている、ということの影響が強い。情報公開を強制されているので、小人竜錣靴読堊韻鬚覆垢海箸できなくなる。

交通反則金と《ヒトの群れ》

  1. ジュリスト、1330.14
  2. 処罰に値する行為は処罰すべきである。という《求める思いこみ》
  3. 処罰は司法手続によって行われなければならない、という《求める思いこみ》
  4. 裁判所でやればいいじゃん。支払命令のような、簡易な司法手続を用意すればよい。

《ヒトの群れ》と独占、所有

  1. 生産手段の独占、暴力の独占。
  2. 独占というのは『所有権』という《群有思いこみ》に依存した概念だな。

《ヒトの群れ》《群有思いこみ》

  1. 《ヒトの群れ》は『xxというヒトの群れがある』という《思いこみ》が共有されることによって、維持されている。ものもある。
  2. 《ヒトの群れ》には
    1. ヒトの群れ』の《群有思いこみ》によって維持された《ヒトの群れ》と、
    2. ヒトの群れ』の《群有思いこみ》によらずして維持された《ヒトの群れ》とがある。
  3. 帰属意識による《ヒトの群れ》と、帰属意識によらない《ヒトの群れ》

《ヒトの群れ》と「群れとしての意思」

  1. 或る《群れの中の個体》が『群れの意思の決定者』となって、彼の発するコトバが、『集団としての決定』となって、その《群れ》の、他の《群れの中の個体》がその決定に従って行動する、ということ。
  2. 『群れ』としての決定である、『群れとしての決定』である、という《思いこみ》。もちろん、この《思いこみ》には合理性がある。のだが、どういう仕組みでそうなっているのか?
  3. 『群れの意思』であると思い込まれている。『群れ』の『意思』であると思い込まれている。
  4. 『群れ』は《群有思いこみ》である、《他者の思いこみ》である。ヘーゲルの『国家』《思いこみ》
  5. 《群有思いこみ》への批判は、マルクスによるヘーゲル哲学批判で終わっている。か?
  6. 理解されていない批判によっては、批判が終わったとはいえない。
  7. 理解可能な批判はあるか?
  8. 万人が理解可能な批判はないであろう。一定範囲のヒトが理解可能な批判であれば、既に終わっている。分かるヒトは既に分かっている、分からない人には、説明しても分からない。
  9. 否否、分かるヒトがいるかどうかなどは関係ない。《私》《見通し》の中に、《群有思いこみ》への批判が入っているか、ということが問題。《群有思いこみ》への《見通し》における「AならばB」《私》《見通し》の中に入っているか、が問題。

《ヒトの群れ》と経済学

  1. 経済学の《視点》で見ると、自営業者は単細胞生物、企業は多細胞生物、労働者は多細胞生物の体細胞、といった感じだね。《ヒトの群れ》に労働者は入っていない。

《ヒトの群れ》と日本人の従順さの限界

  1. 単純に崩壊していくだけなのか、従順さに限界が在るのか?

市場原理主義と《ヒトの群れ》

  1. 市場原理主義は、市場を維持しようとする行動様式ではなく、むしろ、市場を破壊する結果を招く行動様式である。市場原理主義は独占・寡占資本を生み出し、市場を破壊するのである。
  2. 資本主義と資本原理主義?

権力集団と《ヒトの群れ》 権力と《ヒトの群れ》

  1. 競争暴力集団と、独占暴力集団とでは行動様式が異なる。競争資本と独占資本の行動様式が異なるのと同じである。
  2. 日本人が権力に期待する正当性は、「《私》が権力者でなくてよかった」という安心感を得られるような正当性ではないか? つまり、醜く汚く悲惨な権力闘争を行うことを好んでいるのではないか? 丘の上から観劇するための、醜い権力闘争劇を望んでいるのではないか? だれも彼らをボスだとは思っていない、従おうとは思っていない。台風や地震のような災害だと思っているのだ。災害も、わが身に害が及ばなければ、《楽しみ》の一つなのだ。災害型権力観。災害型政治観。
  3. 権力には暴力性と正当性という直交した軸の圧力がかかっている。
  4. 観戦型政治意識。和魂(ニギタマ)主義。権力者の没落を楽しむ、祇園精舎の鐘の音。
  5. 災害型政治意識。暴力的権力の受容。政治に正当性を求めない政治意識。
  6. 旗印型政治行動。集団同士の合戦の旗印としての「政策」。敵味方を区別する指標でしかない。シュプレヒコール。
  7. 人間関係中心型の政治行動。政策よりも人間関係。政策は人間関係での敵味方を区別する指標の役割。小集団主義。
  8. そのような政治意識を前提として、善き政治のあり方とはなにか?
  9. 「政府の存在目的は国民の生命・財産保護である」というのは事実に反する。
  10. 権力集団は、独占暴力団である。独占暴力団がその暴力独占を維持する手段として、「正当性」を主張する必要があり、その「正当性」の一つとして「国民の生命・財産保護」ということを主張しているに過ぎない。

《群れ》の力学と《ヒトの群れ》

  1. http://www.socius.jp/lec/03.html
    1. 「軸の転回」と「文化の悲劇」
    2.  社会形成のプロセスにとって「意図せざる結果」はつきものだ。なぜなら、そこにはかならず「軸の転回」(Achsendrehung)と呼ばれる現象が生じるからである。「軸の転回」とは、もともとの目的や意図などの内容をふくんだ生の全体から、しだいに形式が分離し、やがて自律性をもつようになることだ。これ自体は社会形成の必然的なプロセスである▼2。
    3.  たとえば、「生きるため」という実践的目的の知識から自己目的的な学問=科学が生じるように、生活全体に融合していた美的要素や遊びから芸術やゲームといった活動が自立するように、また諸個人の活動を相互に規制しあう調整から法が自立するように、そして経済の純粋な手段としての貨幣が今度は絶対目的としての貨幣に転換するように、もともと目的を達成するために生じた媒介手段が、自己目的をもった自律的世界へと転回してしまうことである。
    4.  問題なのは、この「軸の転回」が「文化の悲劇」と呼ばれる事態と表裏一体だということだ。
    5.  よく手作りの市民運動が大きくなりすぎて「こんなはずじゃなかった」ということがある。また個人経営の会社が大資本の株式会社に成長したために、創業者とその経営理念がじっさいの経営から排除されることも少なくない▼3。「文化の悲劇」とはこのような逆転現象をもっとマクロにとらえた概念である▼4。
    6.  「文化の悲劇」のもっとも典型的な事例は、原子力であり、公害であり、戦争である。こうした直接的な悲劇性とともに、官僚制や法の非人格性といった、システムの自律性の結果としての「文化の悲劇」も重要である。トップでさえ思うようにならない巨大組織や社会体制の問題が、現代社会のさまざまなひずみを生みだしている事実は、周知のことである。

《ヒトの群れ》《ヒトの個体》

  1. 《ヒトの個体》は、《ヒトの群れ》の内部オブジェクトか?
    1. 内部オブジェクトである場合もある。ヒトがその《群れ》に属している場合。
    2. 外部オブジェクトである場合もある。ヒトがその《群れ》に属していない場合。
  2. ヒトがその《群れ》に属していない場合でも、《群れ》の中に入っている場合がある。
  3. ヒトがその《群れ》に属している場合でも、《群れ》の外にいる場合がある。
  4. 物理的な意味での内部オブジェクトと論理的な意味での内部オブジェクト。
  5. 《ヒトの群れ》の輪郭は曖昧である。輪郭が曖昧なモノもある。輪郭が曖昧であってもモノでなくなるわけではない。とりあえず、明らかに内部である部分と、明らかに外部である部分とが区別できるなら、モノがあるといってよい。たとえば、山だって、平地から坂道、山道にいたる道のどこから山かは曖昧である。
  6. 社会はヒトが作るモノなのに、ヒトの力ではどうにもならない力で動いているような気がする。
  7. 何でなのだろう?
  8. ヒトの愚かさが、《ヒトの群れ》を動かしているからか?
  9. 《ヒトの群れ》を動かしている力を観察し、理解することはできる。
  10. が、そのレベルの観察、理解では、「個々人の力ではどうにもならない」という結論になってしまう。多数の無関心、無知、無思慮の人々の《動き》によって、《ヒトの群れ》《動き》が決まってくるからだ。水の流れの中にある分子は、その流れの行く末を心配したりしない。自分の回りの分子との関係がうまくいっていれば、流れの行く末を気にしたりはしない。
  11. 関心があり、思慮深くても、その個体がどのように動けば、《ヒトの群れ》動かす力に繋がってくるのかが、分からない。
  12. 水の流れを、その流れの中の一つの分子が、押し戻そうとしても、駄目なのだ。
  13. 多勢に無勢。
  14. 格物から始めよ。隗より始めよ。

《ヒトの群れ》の苦集滅道

  1. ヒトの群れの苦しみを見極めなければならない。
  2. ヒトの群れ苦しみ原因を見極めなければならない。
  3. ヒトの群れの苦しみを取り去る方法を見極めなければならない。
  4. ヒトの群れ苦しみを取り去る方法を実践しなければならない。
  5. ヒトの群れの苦しみは、格差であり、差別であり、排他的集団主義であり、戦争であり、環境破壊と資源枯渇による人類文明滅亡の危機である。
  6. それらは資本制生産様式が作りだしたヒトの群れの苦しみである。資本制生産様式にはメリットがある。メリットがあるから現在しているのである。資本制生産様式はヒトの群れの活動性を活発化させ、ヒトの群れの中の富の循環を活発化させる。
  7. 資本制生産様式、市場原理主義の結果か?
  8. 活発化させすぎるから資源の枯渇させ、環境を破壊する。
  9. 資本制生産社会は生存に必要な物資をも商品化する。貨幣を取得することができないなら、餓死してしまう。商品経済以外の方法によらなければ、豊かな人々の中で餓死する人々が出てくる。格差は、それも極端な格差は、資本制生産社会の必然的な帰結である。
  10. その格差は社会不安の原因となり、差別や排他的集団主義原因となり、戦争の原因となる。
  11. 戦争は昔からあり、様々な原因があるが、格差がもたらす社会不安を外敵に振り替えるという目的は常にあるだろう。
  12. 対策は資本制生産様式を止めること、ではないだろう。無理だし、デメリットの方が大きい。
  13. 地球経済には地球政府による政治的介入が必要である。資本制生産様式は、放置すれば、その副作用によってヒトの群れを破壊し、経済も破壊する。経済原理以外の原理による介入が、つまり、政府による政治的介入が必要である。
  14. 現在の混乱は経済が地球化して国家の統制が及ばないところに行ってしまったことにある。地球化した経済に介入するためには、地球化した政府が必要なのである。
  15. 我々は地球政府を目指さなければならない。
  16. 問題は、どのような地球政府を、どのようにして作り、どのような介入を、どのようにして行うべきかを見通しておくことである。
  17. 地球立憲国家を目指すべきであろう。地球憲法を目指すべきであろう。
  18. 鎖国時代の日本の政体、実質的意味の憲法を思い出してみよう。
  19. 独占防止税。各段階の地域で、市場規模の全経済規模に対する割合が一定以上、1%以上で、市場占有率が一定以上、30%以上のとき売上の1%、40%以上で2%、50%で3%、60%で4%、70%で5%、80%で6%、90%以上で7%の税金を売上に掛ける。大きな地域でも独占防止税が掛かる場合には、小さな地域での支払い税額を控除する。
  20. ユートピア

《ヒトの群れ》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》からの《視点》から見た《ヒトの群れ》
  2. 《息しつつあるモノ》がその中に在る《身体》と同種のモノ《群れ》《ヒトの群れ》である。何をもって『同種』のモノとみなすのか? おそらく、進化の過程で、『同種』であることを識別する指標が、生得的に与えられている。たけ(tk)にはサルの友達がいないので、サルを『同種』と感じるかどうかが分からない。犬や猫には友達がいた。『生きモノ』としての『同種』であると感じたが、『ヒト』としての『同種』であるとは感じなかった。
  3. たけ(tk)は、「あのモノヒトである」「あのモノヒトではない」と言うことができる。どういう指標でそのように識別しているのかは明確に言うことができない、が、ヒトであるかヒトでないかを識別することはできる。定義や指標はどうであれ、識別できれば十分である。
  4. 《息しつつあるモノ》は、他のモノの内部に《息しつつあるモノ》を感じる。ヒトにも感じるが、生きモノにも感じるし、生きモノ以外のモノにさえ、《息しつつあるモノ》を感じる。生きモノ、とくに動物に感じる《息しつつあるモノ》ヒトに感じる《息しつつあるモノ》とに差があるようには感じられない。《息しつつあるモノ》は、動物にも《知りつつあるモノ》を感じるが、動物の《知りつつあるモノ》ヒト《知りつつあるモノ》とにも違いを感じない。
  5. 動物とヒトとの違いは、言語的コミュニケーションの可能性があるかどうか、彼が《私》ヒトとして『同種』であるとして認識している可能性が高いかどうか、といったことであろうか? 友達であった猫や犬たちが、《私》を『同種のヒト』であると認識していた可能性は高い。ヒトの言語によるコミュニケーションはできないとしても、心が通じ合った仲間、という認識であった可能性は高い。言語的なコミュニケーションができないとしても、例えば、赤ん坊を、たけ(tk)ヒトと認識する。どういう指標で言語的なコミュニケーションができないとしても、そのモノヒトとして識別しているのか分からない。人びとによって『ヒトである』と思われているモノを例えば、赤ん坊を、たけ(tk)もまた『ヒトである』と識別するのだろう。ヒトであるかどうかは、《群有思いこみ》によって決まる。共同幻想である。共同幻想なのか、生得的な識別能力なのか? どちらかというと生得的な識別指標だろう。生得的な識別能力があるはヒトと認識する。進化によって備わっている生得的な識別能力だろう。
  6. 《ヒトの群れ》であるかの識別能力も、ヒトへの識別能力から帰結する。ヒトであると識別されたモノ《群れ》《ヒトの群れ》である。それは家族であり、親族であり、仲間であり、街を歩く人びとである。
  7. 《ヒトの群れ》の輪郭は、相対的である。生まれによって定まる《ヒトの群れ》、場所によって定まる《ヒトの群れ》もあるが、通常は《思いこみ》によって定まる《ヒトの群れ》が重要性を持つ。人類という《群れ》は全体として明確な輪郭を持つ《ヒトの群れ》である。仲間にしても家族にしても、《思いこみ》によって定まる《ヒトの群れ》である。出生の記憶が本人に在るわけではない。皆が家族であると言うから家族であると思い込むのである。
  8. 《思いこみ》による《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》の指標としての《思いこみ》《思いこみ》《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》はその《身体》の内部に《思いこみ》があることを知っている。
  9. 《息しつつあるモノ》ヒトヒト以外のモノから識別する能力。仲間を仲間以外から識別する能力。《息しつつあるモノ》は、その《身体》が、《身体》外部のものを「ヒトである」「ヒトでない」「仲間である」「仲間でない」と識別することを知っている、か? 《息しつつあるモノ》は、その身体の中に「ヒトである」「ヒトでない」「仲間である」「仲間でない」といった《思いこみ》が生じることは知っている。《息しつつあるモノ》はそれらの《思いこみ》によって指し示されたモノを知っている。なぜ、そのモノがその識別内容の《思いこみ》を生じさせたのかは、知らない。しかし、その《思いこみ》によって指し示されたモノであることは知っているので、モノ《思いこみ》との《繋がり》は知っている。ただし、《思いこみ》からモノへの一方通行の《繋がり》であり、モノから《思いこみ》への方向への《繋がり》は知らない。たぶん、そんなものはない? モノ《身体》との接触によってモノ《身体》《思いこみ》という《繋がり》がある? モノ《身体》《思いこみ》という《繋がり》は在るにしても、どの様な《思いこみ》が生じるかはもっぱら《身体》の状態に依存する。モノに依存する部分がないとはいえないが・・。マネキンをヒトだと思うこともあるし、ヒトをマネキンだと思うこともある。
  10. 《息しつつあるモノ》はその《身体》の外部の空間の向こうのモノを知っている。そのモノが、通常、『ヒトである』という《思いこみ》を生じさせるモノであるかどうかを知っている。《息しつつあるモノ》はその《身体》の外部の空間の向こうのモノたちのうち『ヒトである』という《思いこみ》を生じさせるモノたちの《群れ》を知っている。《息しつつあるモノ》《ヒトの群れ》を知っている。《息しつつあるモノ》《視点》から見た《ヒトの群れ》は、《息しつつあるモノ》《身体》の外部の空間の向こうのモノたちのうち『ヒトである』という《思いこみ》を生じさせるモノたちの《群れ》である。

《ヒトの群れ》1432の法則

    1. 判断不能が20%、他人の意見に従うヒトが30%、短期的な集団利益で判断するヒトが40%、抽象的概念で判断するヒトが10%。

自灯明》と《ヒトの群れ》

  1. 《私》『なすべきこと』《ヒトの群れ》
  2. 《私》の《自灯明》が《ヒトの群れ》を照らすこと。
  3. すべての《群れの中の個体》の《自灯明》が《ヒトの群れ》を照らすこと。
  4. すべてのモノの《自灯明》が《ヒトの群れ》を照らすこと。
  5. とりあえず、説明可能性はどうでもよろしい。《私》の《自灯明》において《ヒトの群れ》を照らすことの実感を得たい。
  6. 《ヒトの群れ》無限遠点に《法灯明》を置いて照らして見ると、《私》に戻ってしまう。ナンデダロ?

戦争と《ヒトの群れ》

  1. 貧富の差が拡がれば戦争を求めるヒトが増える。
  2. 戦争になれば権力者と戦争ビジネスが儲かる。

《ヒトの群れ》六道循環説、修羅・天上・畜生の循環、3世代循環論。三世代循環論。修天畜循環

  1. いい名前が思い浮かばない。六道循環だと、六道輪廻みたいだ。
    1. 戦争の時代には、修羅の大人たちの下で、地獄の子供たちが育つ。
    2. 戦争が終わると、地獄の子供たちは天上を求める。
    3. 戦後の時代には、天上を求める大人たちの下で、人間の子供たちが育つ。人間関係を尊重される子供たちが育ち、制度が確立される。
    4. 制度の時代においては、大人たちは、畜生の利益を求めるようになる。
    5. 制度の時代において、畜生の大人たちの下で、餓鬼の子供たちが育つ。
    6. 餓鬼の大人の時代には、制度を破壊する。
    7. 制度破壊の時代には、他者を攻撃する修羅が跋扈するようになる。修羅の大人たちの下で、地獄の子供たちが育つ。
    8. 地獄の子供たちは、修羅になることを是として、戦争を求め、戦争の時代になる。
    9. 究極の修羅である戦争が終わると、天上の時代になる。
  2. 子供たちにとっては、その時代が彼の世界であり、その時代の中での彼自身が絶対者である。子供たちにとっての《絶対者公理》が、六道循環を招く。
  3. 天上の時代に、子供たちを畜生にしないこと、が肝要であろう。しかし、それができるなら、人類は人類を超えたことになる。
  4. 修天畜循環。3世代循環論。
  5. 西洋的なイデア的自我は、《群れ》の自我と指導者の自我と従属者の自我との「同一視」を生じる。西洋的なイデア的自我においては、殺戮のための理性を維持することができる。殺戮のための理性は、修羅と天上とが一体化した状態である。殺戮の為の情報活動。殺戮のための合理的な判断。殺戮を合理的に実行する命令系統、組織。
  6. 日本人は、殺戮のための理性を保持することができない。日本人による殺戮は狂気になってしまう。集団的殺戮の狂気においては、個体は、《群れ》の《空気》と一体化する。日本人は殺戮の時代を、はやく過ぎ去って欲しい天災のように、その終焉を待つ。荒神は古巣へ帰るべし、と魂鎮めの祈りをする。荒魂は怒りを鎮めて、和やかになれば残るもよし、立ち去るもよし。
  7. エリクソンの「人生周期」。「心理学の基礎知識』p.313。http://www.jttk.zaq.ne.jp/babmt806/newpage8.html
    1. 乳児期:信頼対不信。基本的信頼の感覚。信頼と楽観性
    2. 幼児前期:自立性対恥・疑惑。自律心。自己統制と適切さの感じ
    3. 幼児後期:積極性対罪悪感。主導性。目的と方向:自分の活動を開始する能力
    4. 学童期:勤勉性対劣等感。勤勉。知的・社会的・身体的技能の有能さ
    5. 思春期:同一性同一性拡散。自我の確立(時間的展望、自己確信、役割実験、仕事見習い、性的役割の分化、指導性と服従性、イデオロギー信奉)。自己を独自な人間として統合したイメ−ジをもつこと
    6. 成人期初期:親密性対孤立。親密で永続する関係を形成し、生涯を託するものを決める
    7. 壮年期:生殖性対沈滞。家族.社会.未来の世代への関心
    8. 老年期:総合性対絶望。充足と自分の生への満足感
  8. 人生周期的説明。
    1. 修羅の時代に育った子供たちは基本的信頼に欠ける傾向がある。それゆえに、理想を夢見て、天上の時代を作り出す。
    2. 天上の時代に育った子供たちは、自律心に欠ける傾向がある。それゆえに、廉恥なしに欲望充足に走り、畜生の時代を作り出す。
    3. 畜生の時代に育った子供たちは、勤勉性を失う傾向がある。それゆえに、社会的統合がうまくいかなくなり、修羅の時代を作り出す。
  9. たけ(tk)は、フォークルのアルバムの「ハレンチ」というコトバの意味を知って、ど肝を抜かれたのだった。「1967年の解散を記念して、自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BA

《ヒトの群れ》と《ヒトの群れの苦しみ

  1. ヒトの群れの苦しみ》って何だろう? やっぱ、人類の誕生、生存、病気、老衰、絶滅だろうな。
  2. 個々の《ヒトの群れ》は絶滅しても、他の《ヒトの群れ》の仲間が残る。一部が残って他の《ヒトの群れ》と合流して生き残るかもしれない。《ヒトの群れ》記憶が残る(いずれ消えるが・・)。

《ヒトの群れ》と民主政治

  1. 民主政治は、《ヒトの群れ》《群れ》の全体から認知情報を集める仕組みである。《群れ》の全体に感覚神経を行き渡らせる仕組みである。末梢の痛みを中枢に伝達する仕組みであ
  2. 民主政治は、《ヒトの群れ》の末梢・中枢以外の部分において、中枢に対する信頼に基づいて、中枢からの当為情報を自発的・効果的に《動き》として実現する仕組みである。信頼というのは、末梢からの認知情報が正しく中枢に伝達され、処理されて、当為情報が発せられている、という状態への信頼である。
  3. 土地に定着し、それぞれの職分の部分がそれぞれの欲望の規則に従って《動き》さえすれば《群れ》のまとまりが保てる《ヒトの群れ》においては、神経系は衰退し、中枢に必要とされる機能は資源の集配機能と暴力的統合だけになる。その場合には、王政になるであろう。王政は、中枢に知的能力が要求されない《群れ》において、合理性を有する。

《ヒトの群れ》と「不活性な部分」

  1. 《身体》で言えば、骨とか爪は「不活性な部分」である。皮膚の細胞も、成長細胞から生まれて、垢として消えるまで、とりたてて活動性は求められない。しかし、それらの細胞は、身体を構成するために必要な細胞である。
  2. 《ヒトの群れ》においても、不活性な部分を切り捨てていけば、《群れ》は崩壊するであろう。
  3. 「不活性な部分」の斬り捨ては、ヒトの《群れの病気》である。不活性な部分を活用して、維持することが重要である。
  4. 骨の機能は硬く、動かないことである。活性部分はその動かない部分を基準にして動く
  5. 皮膚細胞の機能は、外界からの衝撃をやわらげるクッションの機能である。活性部分を保護する機能である。
  6. 骨や皮膚は、彼らがそこにあるだけで、機能を果たすのである。
  7. 骨の機能は、王政にあっては、王とその配下が「硬く動かない」機能を果たすのかもしれない。

《群れ》の愚かさと《群れの中の個体》の愚かさ

  1. 《群れ》の愚かさというのは、《群れ》全体として見た場合の、認知情報から当為情報への変換の不具合である。
  2. 《群れ》の愚かさは、《群れ》の中で認知情報の知覚・伝達・統合、認知情報から当為情報への変換、当為情報の伝達・具体化、当為情報から《動き》への変換のいずれかの部分の不具合である。《群れ》情報過程は、多数の個体が関与し、相互的な影響関係の中で、カオス的に行われる。
  3. 中枢が愚かであっても構わないような《ヒトの群れ》もある。

ヒトの群れの苦しみ》と《群れの病気》

  1. 同じモノ《ヒトの群れ》の《群れの病気》の主観的表現が《ヒトの群れの苦しみ》。

《群れの中の個体》の愚かさと《ヒトの群れの苦しみ

  1. 《群れの中の個体》の愚かさは《群れの病気》である、か?
  2. 合理的愚かさ。《群れ》のなかで、愚かでも構わない場所にある個体は、愚かであるほうが、その個体にとっても、《群れ》全体にとっても、合理的である。か? そういう場合もある。そうでない場合もある。《群れ》の全体にわたって、知的活動性が求められる《群れ》においては、《群れの中の個体》の愚かさは《群れの病気》である。《群れ》の一部では知的活動性を必要とせず、それ以外の機能の活動能力が求められる《群れ》においては、その部分の個体の愚かさは、《群れの病気》ではない。
  3. 赤ん坊や子供には知的活動性は求められない。身体的な知的障害のヒトにも、知的活動性は求められない。
  4. 知的能力が求められる部分(ボス猿)の愚かさは、《群れの病気》である。知的能力が求められる部分というのは、《群れ》への認知情報《群れ》からの当為情報に変換する部分である。
  5. 《ヒトの群れ》が置かれた状況によっては、中枢に《群れ》としての《動き》を決定する為の知的能力は必要とされない。

無関心と《ヒトの群れの苦しみ》、《ヒトの群れ》の《苦しみ

  1. 《群れの中の個体》の《無関心》は《群れ》の崩壊の原因であり、《群れの病気》である。《身体》で言うならば、感覚切断である。
  2. 情報の氾濫は《ヒトの群れ》苦しみである。情報の氾濫は《ヒトの群れ》苦しみ原因である。これは、《身体》で言うならば、情報の飽和による情報切断である。背景雑音。「情報過負荷」p.392、『心理学の基礎知識』
  3. 操られた情報《ヒトの群れ》苦しみである。操られた情報《ヒトの群れ》苦しみ原因である。これは、情報過程にバイアスがかかって、正常な認知、判断、《動き》ができなくなっている状態である。
  4. 中枢によって操られた情報の場合は? 中枢への認知情報は操られたモノであってはならない。中枢からの当為情報は途中で操られたモノであってはならない。中枢での認知情報から当為情報への変換は、操られた情報とは言わない。正常な情報処理過程である。

《群れの中の個体》と社会心理学

  1. 社会心理学は、《ヒトの群れ》の研究か、《群れの中の個体》の研究か?
  2. 個体の心理→個体の《動き》(態度)→《群れ》《動き》。なので、同じようなモノ。社会心理学は個体の心理を外側からの《視点》で観察する。《群れ》の中の個体の《動き》として観察する。
  3. ミクロ的な個体の《動き》と、(個体からみれば)マクロ的な《群れ》《動き》とでは異なる。

《ヒトの群れ》と勢力5分類

    1. フレンチとレイブンの勢力5分類、p.99『政治行動と社会心理学』
      1. 強制勢力・・従わないと相手に罰せられると認知することで生じる勢力
      2. 報酬勢力・・相手に従うことで報酬を得られると認知することで生じる勢力
      3. 正統勢力・・相手が自分に影響を及ぼす正当な権利を有していると認知することで生じる勢力
      4. 専門勢力・・相手が特定の問題や争点について専門性を有しているという認知から生じる勢力
      5. 関係勢力・・相手に対する同一視を基盤とする勢力
  1. ふむ。
  2. 雅大さん曰く、感謝による勢力。
  3. 見知らぬヒトに道を尋ねられたときに、教えるのは何故か? もともと、そういうようにできている。同類者意識、恩義・義理・人情、贈与の行動様式、アダム・スミスの「同胞感情」。「ゴリラの人類愛」。・・ニホンザルは駄目ね。餌が来ると奪い合いになる。
  4. 西洋人の同一視感情・自他同一視の行動様式というのはわかりにくい。イデア的自我概念なのか? 東洋人の贈与の行動様式。恩義の感情。プログラマグループの行動様式でも、カトリックの行動様式でも、自他同一視の行動様式が、西洋人には見られる。ボス猿と自己とを、行動様式において、同一視しているように見える。東洋人はモノ的自我概念、西洋人はコトバ的自我概念ということか?
  5. 東洋的には、モノ的な自我概念なので、ボス猿と自己とを同一視する、という表現はとらない。ボス猿への忠誠、という表現のままである。

《ヒトの群れ》とダウンズの「合理的無知」

    1. 「政治情報を入手し・分析するためには一定のコストが必要である。合理的な有権者は、そうしたコストに対する見返りがある場合には、政治情報を入手・分析しようとするだろう。しかし・・自分の一票によって結果を左右できるようには感じられない。従って、有権者が合理的であれば、政治に関心をもたなくなるはずである」p.70『政治行動の社会心理学』

「概念化の水準」と《ヒトの群れ》

    1. ある事象に対して判断を下す理由が・・、p.68『政治行動の社会心理学』
      1. A:抽象的概念で評価を下す層。イデオローグ層。11%
      2. B:具体的で短期的な集団利益による評価を行う層:集団利益層。42%
      3. C:時勢の勢いで判断する層:時勢層。24%
      4. D:判断欠如。争点内容欠如層。22%
  1. まー、そんなものだ。1:4:3:2か・・。

フレーミング効果と《ヒトの群れ》

    1. マスメディアがここの争点や問題をどの角度から取り上げ、どう枠づけするか・・争点を描写する際のメディアの枠づけの仕方(フレーミング)が、同じ争点に対する受け手の解釈や評価を規定すると主張するのがフレーミング効果。
    2. 有名なのはアイエンガーの実験です。例えば、貧困問題を取り上げる際に
      1. 困窮する個人のエピソードを中心に描いたテレビニュース(エピソード型フレーム)を見た被験者は、問題の責任を、貧困にあえぐ当の個人に帰する傾向が見られました。他方、
      2. 経済状況を示す統計や政府の施策など、より一般的な観点から問題を描いたニュース(テーマ型フレーム)を見せた場合には、貧困の責任は個人より社会にあると解釈する被験者が増えました。p.32『政治行動の社会心理学』
  1. NHKのお涙頂戴ニュースは、政府への責任追求を妨害するためだったのか・・。
  2. 「不公平感」(p.94)というのは、エピソード思考の人間は、どんなに不公平であっても、不公平感を持つことがないだろう。弱者が弱者であるのは本人の責任であり、強者が強者であるのが本人の成果であるなら、不公平ではありえないだろう。
  3. 権力者はエピソード型認知を、従属者に求めたがるだろう。しかし、そうすると、社会全体を見通す《視点》が欠けてしまうので、全体としての《動き》や変革がうまくいかなくなる。

《ヒトの群れ》と「議題設定効果」

    1. 議題設定効果は「マスメディアで、ある争点・トピックが強調されるほど、受け手側もその争点・トピックをより重要なものと知覚するようになる」。p.30『政治行動の社会心理学』
  1. これの問題は、マスコミが「伝えない」ということだと思うな。「強調」に問題があるのではなく「無視」に問題がある。「無視」というのはマスコミによる選択だね。マスコミ自身の「選択的メカニズム」「選択的伝達」の問題だろう。マスコミが特定の政党(というか政府与党)に有利な争点を選択的に伝達すること。不利な争点や事実を選択的に無視すること。が問題だね。「選択的無視」が問題。

《ヒトの群れ》と「選択的受容」

    1. 自己の信念体系の均衡を維持したいという欲求。選択的接近、選択的知覚、選択的記憶。p.29。『政治行動の社会心理学』
    2. 自我関与的態度を・・形成していないときには、こうした心理的フィルターは必ずしも働かない。・・信頼できる他者が身近にいない場合があり、そのときには対人ネットワークも媒介要因として顕在化してこない。p.29
  1. ふむ。小泉のB層ねらいの理論的根拠だな。郵政改革反対派は非国民である、みたいなキャンペーンをはって、対人フィルターもシャットアウトして、無関心層をターゲットにしたキャンペーンを張る。そうすれば、キャンペーンの効果があがる。
  2. まあ、二回目も騙されるかどうかは、不明だ。
  3. 日本の天の声は、何度でも許す、何度でも騙される、声の持ち主、かもしれないし、そうでないかもしれない。
    1. 周辺手がかり効果。p.30。テレビによって・・「情報が家庭に飛び込んでくる」時代がやって来たのです。政治への関心が低く党派性が弱い人びとも、キャンペーンメッセージにずっとされされやすくなりました。・・メッセージの周辺的な手がかり(propheral cues)、すなわち発言者の信頼性やメッセージの体裁などに基づき、容易に態度を変える可能性が高い。

《ヒトの群れ》ヒトのリアリティ。『現実』

    1. 政治はテレビや新聞からやってくると、多くのヒトは信じています。・・しかしながら、デモクラシーのなかで、有権者たる私たちが政治を味わうのは、日常の生活のなかにおいてです。しかもそのリアリティが個人的に独立して形成される、という孤立した個人のモデルは的を射ていません。むしろリアリティは、他者とのあいだで形づくられ、機能するのです。p.23『政治行動の社会心理学』
  1. ふーむ。たしかに、日常的実感と、政治的課題とを結びつけて論じる必要がある、ということか。

《ヒトの群れ》とパットナムの「ポランタリー組織」

  1. 「ボランタリー組織」が重要らしい。p.18『政治行動の社会心理学』
  2. 2・4・8討論方式。強制的に意見表明を行わせるための方法。強制的に、意見を報告することを行わせる方法。

《ヒトの群れ》と「監視のコスト」

  1. 「監視のコスト」は高くつく。p.17『政治行動の社会心理学』
  2. そもそもだな「監視するヒト」の方が「監視されるヒト」よりも優秀である可能性は保障されない。優秀というのは、その《ヒトの群れ》にとって有為な決定を為す判断力を持っていること。

社会関係資本=人間関係の豊かさ=と《ヒトの群れ》

  1. 政治的な人間の影響力の強さは、人間関係の豊かさに依存する。
  2. 『政治行動の社会心理学』p.16。

言心動循環《ヒトの群れ》

  1. たけ(tk)が見る所では、というか、たけ(tk)のカテゴリーで見たところでは、《ヒトの群れ》は言・心・動の三要素の循環である。他者からのコトバ、自らの内なるコトバによって、「心の作用」が引き起こされる。「心の作用」によって人々の《動き》が引き起こされる。人々の《動き》は、コトバとして人々の「心の作用」を引き起こす。

《ヒトの群れ》と経済学

  1. 経済学は、マモン教の神学である。
  2. 銀行はマモンの神殿である。
  3. マルクスは、マモンの法則を解き明かそうとした。

《ヒトの群れ》ボス猿の欲求

  1. 『道徳感情論』下、p.26:生活行政の完成、商工業の拡張は、高貴で壮大な目的である。
  2. ボス猿の成長欲求、正義欲求、政治的正当欲求、天上欲求。政策欲求。vs。関係欲求、権力欲求、政治的暴力欲求、修羅欲求。

団らんネタとしてのメディアからの情報。p.14

  1. たしかに、ニュースが団らんネタであることが多い。団欒。

孤独な視聴者、ニュースのコメンテーター

  1. 敵対的メディア認知を避けて、誘導的認知をさせるための効果的な方法は、視聴者が親近感を覚えるコメンテーターが、ニュースのあとに一言コメントを述べることだ。これによって、誘導的ニュースが完成する。

「敵対的メディア認知」と《ヒトの群れ》

    1. 「まったく同じメディアの報道に対し、左派の人は報道が右寄りだと認知し、右派の人は左派寄りだと認知し・・」p.13。

《ヒトの群れ》と「メディエイティド・リアリティー」

  1. 「メディエイティド・コミュニケーション」。『政治行動の社会心理学』p.13。媒介されたコミュニケーション。
  2. マスメディアによって媒介された情報によって構成された『現実』

政治不信と《ヒトの群れ》

  1. 政治不信は「戦後」のモノらしい。『政治行動の社会心理学』p.8。日本人の伝統的政治観なのかと思っていた。
  2. 国民を戦争に導いた戦前の政治への不信が、戦後に爆発したと言うことだろう。もしくは、敗戦によって、一夜にして言を変えた政治家への不信ということだろう。

空気教と《ヒトの群れ》

2・4・8ディベートと《ヒトの群れ》

  1. 教室で、最初二人で、つまり、1対1でディベートする。次に、ふたつのグループで、つまり4人でディベートする。その際に、最初のディベートでの報告から始める。次にふたつの4人グループでディベートする。という方法。
  2. 最初のディベートは1対1なので、個人の考えを述べなければ始まらない。
  3. 問題点、原因、対策。
  4. 問題ごとに、グループを抽選で決めるとよいのではないか?
  5. 後で、全員がレポートを提出する。

人間関係中心的政党と政策中心型政党

  1. すべての論点について政策が一致する《ヒトの群れ》というのはあり得ない。
  2. 綱領からの演繹的な結論で政策が決まるとはいえない。
  3. 政党政治の理念型は、政策型政党である、がそれは現実的ではない。
  4. しかし、人間関係中心型の政党では、政党とはいえない。要するに、権力願望で結集しているだけの人間の集まりにすぎない。
  5. 人間関係型政党の綱領は、権力欲の集団的充足を目ざす、と言うモノだろう。

《ヒトの群れ》と対人ゲーム

  1. 《ヒトの群れ》への参加は、《遊び》であるなら、対人ゲームであろう。
  2. 対人ゲームの目的は何か?
  3. おそらくは、より多く支配することである。
  4. 影響力。たけは、影響力競争を嫌悪する。
  5. より善き影響力を与える競争? 何がより善き影響なのか、分からない。
  6. マモン曰わく。彼がより多く金を払うなら、より善き影響であることの証しである。
  7. ルシフェル曰く。人々が尊敬するなら、より善き影響であることの証しである。
  8. ブッダ曰く。『一切』見通して、『一切』の中から自ずから出て来た『なすべきこと』をするのが、対人ゲームの目的である。

《ヒトの群れ》と人類史

  1. 人類史とは、人類の誕生から絶滅までの諸行無常のモノ語りである。

《ヒトの群れ》が地獄に向かって走り出す理由

  1. 歴史的六道循環説。
  2. ヒトは、サルとして生まれ、教育によってヒトになる。ヒトになりきらない人々。
  3. ヒトは、多くの性質においてヒトであるよりも、むしろサルである。ヒトであると信じているサルである。ヒトはサルの子孫である。ヒトはサルの子孫だから、しょうがない。
  4. 《ヒトの群れ》が腐るのは、果物が腐るのと同様に、自然なことである。《ヒトの群れの腐敗》。果物の細胞は、懸命に生きているのだろう。しかし、体細胞が懸命に生きても、全体としての果物が腐るのは防げない。健康な《ヒトの群れ》は、循環がうまくいっている《ヒトの群れ》である。《ヒトの群れの健康》循環が滞ると、腐敗が始まる。陽の光と風通しがなければ、果物は腐る。同様に、陽の光=監視?民意からの活力提供=と、風通し=情報公開=がなければ、《ヒトの群れ》は腐る。
  5. 人類は絶滅必然種である。
  6. 人類のポックリ絶滅願望は、別に、問題にすべきことでもないのかもしれない。繁栄を最大限享受して、錯乱して野垂れ死ぬ、というのも、良いかもね。
  7. 絶滅必然種としての人類は、今ここで、どのように生きるべきか?
  8. 人類にポックリ絶滅願望は在るか? ポックリ逝くことへの不安。不安に目が行かないように、目をつぶり、忙しく動きまわる。目をつぶり、朦朧とした高揚状態の中でポックリ逝くことを望んでいるのだ。
  9. 経済学者は、マモン教の宣教師である。
  10. マスコミはマモンの病毒を全身に行き渡らせる。
  11. 人類はマモンに魂を売って、地球の資源を吸い尽くす道を選んだ。
  12. 人類文明の永遠の繁栄を願う方が、非合理である。
  13. 無明と不安のうちに絶滅するのはみっともない。しっかと目を見開いて自らの将来と現在とを受け入れよう。

企業の合併

  1. 企業は《ヒトの群れ》か、所有物か。
  2. 粘菌アメーバの移動体程度の知性しかもたない《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》同士の共食いをする《ヒトの群れ》
  3. 独占企業。《ヒトの群れ》の競争。《ヒトの群れ》の格差、優劣。《ライフ・オブジェクト》によるシミュレーション。《ライフオブジェクト》の群れのシミュレーション。

《ヒトの群れ》公理公論

  1. 《おおやけ》《視点》での《思いこみ》を『公理公論』という。

《ヒトの群れ》と「拉致問題解決」の呪い

  1. 人を呪えば穴ふたつ。呪えば、合理的な判断能力を失う。

《ヒトの群れ》と「政治支配を目ざす宗教集団」

  1. ユダヤ、オブスデイ、創価学会。統一協会。靖国カルト。
  2. 政治制度の裏から侵入して、腐敗させ、支配する。
  3. 人口構成反映法が必要。権力組織の構成は人口構成を反映しなければならない。組織の人員の10%強の範囲内であれば可。例えば、10人の組織であれば、1人の範囲内なので、人口構成比率50%なら4人から6人でなければならない。許容率は20%か?10強+1人か?

《ヒトの群れ》と経済支配者

  1. 単一の強大な経済権力の下に複数の弱小の政治権力が併存している状態が、彼らにとってのユートビアであろう。
  2. 経済支配者は平和を好む、が、善良であるわけではない。彼らは、ヒトを賃金奴隷にすることを目論んでいる。
  3. 戦争も、政治権力が強化されるのを好まないが故に嫌悪するのであって、自らの権力を増大させる変動要因に留まるかぎりにおいては、むしろ好む。戦争は、政治権力を増大させかねないが故に、嫌悪するだけだ。
  4. 経済支配者は、無秩序を好むか? 適度な無法状態を好む。抜け穴のある法律を好む。不公平だが、そうであると認識されるにいたっていない不公平を好む。
  5. 経済支配者は、何が楽しくて、やっているのだろうか? 過大な富は、関係欲求の満足であろうか? (仕事や金儲けが)楽しくてしょうがない、というヒトが居る。仕事が楽しいのだろう、仕事が金儲けに繋がるということが、自分の仕事に対する社会的評価であると考えるのだろう。仕事の楽しさは、奉仕の楽しさだろう。
  6. 欲求分類リスト

《群れ》を率いる」と「《群れ》を治める」

  1. 《群れ》の移動。
  2. 定住した《群れ》と、移動する《群れ》

《ヒトの群れ》と「煽る人々」

  1. 戦争への道を煽るNHK。なぜ、戦争への道を煽るのか? かれらは、知識があるはずだ、《見通し》も持っているはずだ。
  2. カネに心を売った人々なのか?

《ヒトの群れ》と「萎えた心の人々」

  1. 追従ザルは、一度負けと心が萎えてしまう。弱気を隠すために威勢の良い遠吠えを始める。
  2. 自らのうちなる力を感じることから始めるべきである。
  3. 持てる者の強欲の仕組みは?
  4. 社会に希望や公正さや努力すれば報われるといった風潮が失われたことが原因ではないか?
  5. 持てる者であっても、社会の公正さを信じて努力すれば報われるのであれば後ろめたい強欲は避けたいであろう。
  6. 政治の荒廃が原因であるとも言える。
  7. 持てる者の強欲が政治の荒廃を招き、政治の荒廃が持てる者の強欲を生む。
  8. 隔離されて育った人々が危険なのだ。隔離されて育った人々は、他の環境で育った人々への共感を有しない。

《ヒトの群れ》と食物連鎖

  1. 食物連鎖の頂点に立った生物種は、その生物種の中で食物連鎖を形成しはじめる。
  2. 食物連鎖の頂点に立つ→個体数の抑制が無くなる→個体数が増える→食物不足になる→共食いを始める→同一種の内部での食物連鎖が始まる→種が分裂する。
  3. 「病人は死ね」「貧乏人は死ね」という政策。ヒトとしての誇り、ヒトとしての安心感。ヒトとしての心よりも、カネを重んじる人々。共感を失った人々。隔離された環境で育ったが故に、他の環境にある人々への共感を持てない人々。

《ヒトの群れ》と「囃し立てる人々」

  1. 政治や暴力的な場面でなければ問題なし。お祭りで囃し立てるヒト、コンサートで囃し立てるヒト。お囃子を奏でる人々。は問題がない。問題があるのは、政治的決断の場面で囃し立てる人々であり、暴力の行使を囃し立てる人々だろう。
  2. 囃し立てる人々は『一切』の中にある。
  3. 群集と共に感情的一体感を味わう快感。一体感を作り出す快感。ヒトの群れの感情的一体感
  4. 結果を見据えて、警告する人々
  5. 動く人々と見通す人々、動かす人々
  6. 群れを動かすのは感情であって、見通しではない。命令、求める思いこみ。
  7. 群れは群れの快不快法則で動く
  8. 群れの一体感の崩壊への危機感が、はやし立てへの許容を生む。
  9. 動くことは一体化すること、見通すことは、群れが拡散すること。
  10. 囃したてつつあるモノは一切の中にある。ヒトの群れの中にある。思いこみの世界の中にある。
  11. 指し示す思いこみによって指し示されつつあるモノは、思いこみの世界の中にあるか?
  12. 囃したてつつあるモノは、或る瞬間においてはヒトの群れの中に存在する。モノ世界の中のモノ、ではなく、モノの状態への名前、状態の擬物化であろう。
  13. モノ世界と求める思いこみの世界目的的に構成かれたモノ世界

《ヒトの群れ》と識別指標

  1. 《私》の箸の識別指標は、「こげ茶色で、大きくて、四角い」といった指標で識別している。
  2. 《私》の箸は二本一組だが、どちらの個体であるかは識別していない。《モノの群れ》の識別指標、種類の識別指標ということになる。個体識別ではなく、種類識別。二本一組で一つのモノである、という意味では個体識別であるといってもよいかもしれない。
  3. 《私》の家族は、aaとbbとccである。《私》は、彼らに共通の識別指標を持っているわけではない。彼らのそれぞれに個体識別を行い、個体識別が可能な個体の《群れ》として、《私》の家族であると認識している。
  4. 《私》の家族』というのは「《私》とaaとbbとcc」で構成される《ヒトの群れ》である。おそらく、彼らは『わたしは「《私=たけ(tk)》とaaとbbとcc」で構成される《ヒトの群れ》の一員である』という《思いこみ》を持っているであろう。その《思いこみ》を持っているかを種類識別指標として、かれをその《ヒトの群れ》の一員であると認識する、こともできるが、通常はそのような判断はしない。かれが記憶喪失になって、家族の一員としての《思いこみ》を失っても、彼は家族の一員であると認識し続けるだろう。
  5. 飲み屋で話し合っていると、同じ学校であるということが判明したとき、同窓生という《ヒトの群れ》の一員であると《彼》を認識するようになる。ここでの、識別指標は、《彼》が発した「xxの出身です」というコトバである。おそらく、彼は『xxの出身である』という《思いこみ》を有しているのであろうし、おそらく、それは《彼》というモノの過去の事実であろう。ここでは、《彼》を特定の《ヒトの群れ》の一員として認識するときに、種類識別で行っている。『同窓生』という《ヒトの群れ》は『xxの出身である』という《思いこみ》を有している《ヒトの群れ》なのである。
  6. 識別指標とはモノ同一性への《知った思いこみ》を形成するための、モノからの特徴である。モノには、モノ同一性への識別指標/または/モノの種類への識別指標となり得るような特徴があり、我々はそれを見つけることができる。

《ヒトの群れ》《ブッダの「一切」》

  1. 《ヒトの群れ》心の作用である。
  2. 概念という方法。
  3. コトバによる伝達は可能か?

民族と《ヒトの群れ》

    1. (1)『xx民族』というイデアがあり、
    2. (2)或るヒトにつき『彼はxx民族の一員である』という《知った思いこみ》が有り、
    3. (3)《xx民族の一員であるとみなされた人》の《群れ》がある。
  1. 民族の内部の人が言う「xx民族」というコトバは『xx民族』のイデアを指し示す。
  2. 民族の外部の人が言う「xx民族」というコトバは《xx民族》という《ヒトの群れ》を指し示す。
  3. 信仰集団には、通常は『xx信仰集団』というイデアはない。ユダヤ教には『ユダヤ人』というイデアがある。
  4. 民族においては、ある民族に属する父母から生まれた子供は、彼が生まれた瞬間に、『彼はxx民族の一員である』とみなされる。
  5. ユダヤ教においては、おそらく、割礼という身体的刻印が押されることによって、死ぬまで逃れることができない集団帰属の意識が生じる。それによって、疑似的民族を形成している。
  6. 女性は、おそらく、集団帰属の意識が根源的にある。人間関係の中に『我』があるという意識が強い。ユダヤ教徒の父母の生まれであれば、ユダヤ人である、という意識をもつ。また、そのように他者からも認識される。
  7. ユダヤ教への改宗者。割礼という身体的刻印が押されることによって、死ぬまで逃れることができない集団帰属の意識が生じる、というコトが期待されているだろう。

《ヒトの群れ》と「国益」

  1. 国益には国家利益と国民利益とがある。
  2. 自国の国益と他国の国益とがある。
  3. 自国の国益だけを考えていたのでは、自国の国益を守ることはできない。
  4. 国家利益には、国家という権力機関の利益と国全体の《ヒトの群れ》の利益とがある。
  5. 国民利益は、《ヒトの群れ》を疎な《群れ》として捉えた、《群れの中の個体》の集合として捉えた《ヒトの群れ》の利益。国家利益は《群れ》自体を個体として捉えた利益。
  6. 《ヒトの群れ》にとっての『利益』。個体が《ヒトの群れ》から得る利益。《ヒトの群れ》からの利益。国益を国家からの利益で判断するヒトも居そうだ。
  7. 「国益」を権力集団の利益を基準に考える人びとも、『国家』という《群有思いこみ》が権力集団にもたらす利益という基準で「国益」を判断していることになる。
  8. イスラエルの国益、北朝鮮の国益、アメリカの国益、韓国の国益、ロシアの国益、中国の国益、日本の国益。パレスチナの国益。

《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》苦しみ

  1. これは《ヒトの群れ》苦しみである。これは《ヒトの群れ》苦しみ原因である。と、唱えよ。

《ヒトの群れ》《群れ》目的

  1. 《群れ》目的はあるか?
  2. 《群れのアニマ》《群れ》の維持を目的とするか?
  3. 《群れ》への淘汰圧。淘汰圧に適応しない《群れ》は消滅し、淘汰圧に適応する《群れ》は生き残り、再生する。
  4. 《群れ》の中の機能的部分集団は《群れ》である。機能的部分集団への淘汰圧は、その機能の必要性と、機能への実現能力である。機能は機能的部分集団の目的である。
  5. 《群れ》は機能的部分集団の《群れ》である。《群れの中の個体》は機能的部分集団という《群れ》《群れの中の個体》ともなる。機能的部分集団の《群れの中の個体》と、併存的集団の《群れの中の個体》。機能的集団と非機能的集団。
  6. 《ヒトの群れ》は機能的集団か? ゲマインシャフトとゲゼルシャフト。《ヒトの群れ》にはゲマインシャフトとゲゼルシャフトとがある。機能的な《ヒトの群れ》と生物的な《ヒトの群れ》とがある。生物といえども、エコロジカルな循環の中にあっては、機能的な《群れ》である。
  7. 生物への淘汰圧は、エコロジカルな循環における機能実現圧か?

権力と《ヒトの群れ》 《ヒトの群れの腐敗》《群れ》目的

  1. 警察や検察を見ていると、世の中真っ黒け。
  2. ちゃんとしている部分もあるが、政治警察、思想警察の傾向が増している。
  3. 裁判所も、政治がらみ、思想がらみでは真っ黒けだ。
  4. 国会や政党は腐りきっている。大企業も腐りきっている。
  5. 日本人の《ヒトの群れ》は、すぐに腐ってしまう。
  6. 《ヒトの群れ》の腐敗の《背後者回路》は?
  7. その群の『目的』が消えてしまうことが腐敗の原因
  8. 日本人の《ヒトの群れ》『目的』は似合わない。外部関係的な『目的』は似合わない。内部関係的な『目的』すなわち、その群の利益、その群の個体の利益、個体間の調和、になってしまう。
  9. 《ヒトの群れ》の『内部関係的な目的』と、『外部関係的な目的』。
  10. 生き物の自律的な目的は内部関係的な目的。自律的目的と対外的目的。本音と建前?
  11. 人体の器官には目的がある。部分集団には目的がある。か?
  12. 江戸時代の支配体制は・・。職能団体の長の取り込み。職能団体というのは機能集団だな・・。
  13. 《群れのアニマ》には、《群れ》の《生きモノアニマ》と目的《アニマ》とがある。
  14. 《群れ》の内部の機能分化。《ヒトの群れの腐敗》というのは、《ヒトの群れ》の機能分化による部分集団の腐敗だな。機能的部分集団は《群れ》か? 《ヒトの群れ》だな。機能的部分集団の機能不全が腐敗なのだ。機能を果たしていて腐敗するということがあるか? 腐敗していないのに機能を果たさないということがあるか? 機能を果たさなくなったのに、《群れのアニマ》で存続し続けようとする時に《ヒトの群れの腐敗》が始まる。機能を果たしていても《群れのアニマ》で肥大化した時に《ヒトの群れの腐敗》が始まる。
  15. 権力のヤクザ化。正当性への圧力、淘汰圧がなくなると、暴力性のみが残る。権力の暴力性と正当性、という矛盾。《ヒトの群れ》と権力。権力の正当性は、「暴力の独占」そのものにも在る。「暴力の独占」は権力の第一の正当性である。第二の正当性は? 「暴力行使の謙抑性」かな? 「暴力の独占」を維持するために必要最小限の暴力行使に限定する、というのが「暴力行使の謙抑性」という正当性。権力の正当性は《ヒトの群れ》の維持発展に役に立つ、という点にある。権力とは機能分化による機能的部分集団に過ぎない。「暴力的意思貫徹が必要となる機能」を果たすことが、権力の正当性である。《ヒトの群れ》の内部機能のうちの「暴力的意思貫徹が必要となる機能」と「暴力的意思貫徹を必要としない機能」。《ヒトの群れ》の内部の紛争の解決の機能は「暴力的意思貫徹が必要となる機能」である。『犯罪』の取り締まりや処罰も「暴力的意思貫徹が必要となる機能」である。(司法権力)。『犯罪』の決定も「暴力的意思貫徹が必要となる機能」だろう。か?。『法律』は「暴力的意思貫徹が必要となる機能」を前提とした、意思の決定である。立法権力。徴税も「暴力的意思貫徹が必要となる機能」だろう。福祉政策は? 徴税の配分機能だから、「暴力的意思貫徹が必要となる機能」ということになる。
  16. 暴力的意思貫徹が必要とならない機能」とは? 経済活動は、それが暴走しない限りにおいては、「暴力的意思貫徹が必要とならない機能」である。しかし、経済活動は、放置すれば、不公平を生み出して、《ヒトの群れ》を害する結果になる。それゆえに、経済政策は、「暴力的意思貫徹が必要となる機能」である。文化活動は? 放置すると《ヒトの群れ》を害する結果になる、か? 破壊的文化活動は? 物理的な破壊活動で《ヒトの群れ》自体を破壊するような活動に発展するか? 暴力的意思貫徹によって、有害な文化活動に介入することは、可能か? メリット・デメリットのバランスは? 文化活動への

暴力的介入は、デメリットが大きい。情報阻害、《群れ》全体の機能不全をもたらす可能性が高い。文化活動への文化的介入はメリットが大きい。文化全体の底上げに繋がる。問題は、権力はそのような文化的権威を、数世代のうちに、失ってしまうということ。文化的介入が可能なほどの文化的権威を失った権力には、暴力的介入の方法しか残されなくなる。ふむ。これが権力の腐敗か。権力という機能的部分集団の機能不全であり、権力という《ヒトの群れの腐敗》である。権威を失った権力には暴力しか残らない。権力とは《ヒトの群れ》の中の「権(威のある暴)力」の機能的部分集団である。

《ヒトの群れ》の腐敗と個体原理

  1. 《ヒトの群れ》の腐敗は、個体原理から生じる。

《ヒトの群れ》と善悪

  1. 善悪の規格化は《ヒトの群れ》の原理である。
  2. 規格化された善悪からの逸脱は《群れの中の個体》の原理である。規範からの逸脱が個性である。イタズラやアソビが個性である。
  3. 規範は《ヒトの群れ》の原理である。
  4. 『なすべきこと』《ヒトの群れ》の固定化された《思いこみ》としての規範に従うことであろう。しかし、《ヒトの群れ》の原理に従うことは、《群れの中の個体》の個体性の死である。個体性の消滅である。拡大された個体性としての、《群れ》《思いこみ》《群れの中の個体》の中に取り込むこと。
  5. 個体は《群れの中の個体》であるのか? 《モノの世界》《宇宙史》の中の個体であるのか? 
  6. 善悪が個体にとって外在的であるとするなら、それは、善悪が《群れ》の原理に属するからである。
  7. ユダヤ教的な善悪、《モノの世界》《宇宙史》の原理と特定の《ヒトの群れ》とを強引に結びつけて、《ヒトの群れ》の原理を《宇宙史》の原理であると主張する《思いこみ》。まあ、壮大な夢ではあるが、そう思いこもうとすれば不可能な《思いこみ》ではないが、誤りである、矛盾を来すことは自明。
  8. 《群れ》の原理を、正当化したいとする《求める思いこみ》《群れ》のレベルにおける《特別者公理》を正当化したいという《求める思いこみ》

《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》の体内行動

  1. 体外行動と体内行動。体内運動。腹式呼吸は体内行動か、体内運動か?
  2. 《体内の動き》、《体外への動き》ならしっくりいく。運動か、行動かというと、主体性に関る色がつき過ぎている。
  3. ヒトの群れの動き》には、他の《ヒトの群れ》との関係における動き《ヒトの群れ》の外形を変化させる動き《ヒトの群れ》の内部への動き、・・
  4. 《ヒトの群れ》の内部への動き、はあるか? 内部のモノ動きだけではないのか?
  5. 《ヒトの群れ》の形や状態が変わることによって、《ヒトの群れ》の内部の《ヒトの個体》に影響を与えることがある。《ヒトの群れ》の、(《ヒトの群れ》の内部の)《ヒトの個体》への動きと言ってよい。裁判なとでは、《ヒトの群れ》《ヒトの個体》を裁くのである。イスラエル軍のヘリコプターがパレスチナのヒトにミサイルを打ち込んで暗殺するのも、《ヒトの群れ》《ヒトの個体》への動きであるといってよい、この場合には、《ヒトの群れ》の外の《ヒトの個体》への動き、当該《ヒトの群れ》とは別の《ヒトの群れ》に属する《ヒトの個体》への動き
  6. 暗殺ミサイルを打ち込むヘリコプターの兵隊さんの動き《ヒトの個体》動きか? 《ヒトの群れ》動きか?
  7. 《ヒトの個体》動きは、《ヒトの群れの表面》の動きでもある。
  8. 空間的に離れているのに一つのモノ、ということがあり得るか? 虚数軸方向で繋がっているのか? 原子核と電子は空間的に離れているのに、一つのモノ(原子)を構成しているのだ。

《ヒトの群れ》と『xx感』

  1. 「不公平」ではなく『不公平感』で税制を論議する。
  2. 「利益」と「能力」ではなく『脅威(脅威感)』で軍事・戦略を論議する。
  3. 量的感情、感情量の増減をコントロールしようとする政治、プロパガンダ。

《ヒトの群れ》《私》

  1. 《ヒトの群れ》《私》の外部にあるか?
  2. 《私》《ヒトの群れ》《身体》の一部である。《ヒトの群れの身体》。《群れの身体》。
  3. 《私》《身体》の表面は《ヒトの群れ》《身体》の表面である。
  4. 《他者》《ヒトの群れ》の一部である。
  5. 《私》《他者》《ヒトの群れの体内感覚》において感じる。
  6. 《ヒトの群れの体内感覚》《混濁しつつあるモノ》である。《混濁しつつあるモノ》とは、混濁しつつある《群れ》である。《混濁しつつあるモノ》とは《混濁しつつある群れ》において、《群れの中の個体》が相互に無秩序に繋がりつつある状態である。
  7. 《ヒトの群れ》の中の《私》は、《群れ》《他者》《知られつつあるモノ》である。《知られつつある私》である。
  8. 《知られつつある私》にたいして、《他者》《知りつつあるモノ》である。《知りつつある他者》である。
  9. 《群れ》の中で《知りつつあるモノ》《他者》との距離を行っていに保とうとする《群れ》の中の個体のシミュレーション。障害物を避けて移動するロボット。は《知りつつあるモノ》である。
  10. 《群れ》の中の《知られつつある私》を《知りつつある他者》を《知りつつある私》。無限循環する《私》《知りつつあるモノ》《他者》《知りつつあるモノ》
  11. 《知られつつある私》を知りつつある《他者》は、《私》に関する《知った思いこみ》を保持する。
  12. たけ(tk)が困惑するのは、《他者》が、たけ(tk)に関して《知った思いこみ》を持っていると、たけ(tk)に報告する内容と、たけ(tk)自身が、たけ(tk)に関して持っている《知った思いこみ》とがかけ離れていることだ)。
  13. 《他者》《私》《知りつつあるモノ》を見通すのではない。《他者》《私》《身体》《動き》から予想される『アニマ』(《身体》内部の《思いこみ》)をイメージとして形成し、保持する。《他者》が別の《他者》に関して関心があるのは《こころざし》(一貫性のある《求める思いこみ》)である。
  14. (朝令暮改の指導者、という矛盾した存在がある。指導者というのは一貫性のある《こころざし》をもつモノのはずである。朝令暮改の指導者は、《こころざし》の故の指導者ではなく、組織上の地位を与えられたモノ、という意味である。組織上の地位・命令系統を尊重する《こころざし》は、指導者にも追従者にもある。)
  15. 組織系統が定まっていない、カオス的な《ヒトの群れ》で、影響力を持つ個体は、《こころざし》を持つ個体である。

ドメイン》と《ヒトの群れ》

  1. 家畜の《ドメイン》。右向け右。
  2. ヒラメの《ドメイン》。上にしか眼がついていない。
  3. 俗物の《ドメイン》。
  4. 青春の《ドメイン》。
  5. タテマエの楯の《ドメイン》。タテマエは武器であり、楯である。

《ヒトの群れ》《ヒトの群れのアニマ》

  1. マスコミは過去に、大本営発表に協力した。その反省はあるのだろうか? 今、小泉プロパガンダに協力して、なんら恥じる所が見えない。それが役目だと居直っているのだろうか?
  2. マスコミに、理性などない。粘菌アメーバの移動体の程度の理性しかない。マスコミも《ヒトの群れ》である、《ヒトの群れ》の理性しか持たない。
  3. 《ヒトの群れ》があたかも理性を持っているように振る舞うのは、代表者という個体の理性を《ヒトの群れ》の理性だと勘違いするからである。
  4. 一つの脳細胞がヒトの理性を実現するのは不可能である。か?
  5. 粘菌アメーバの移動体の理性は先頭の個体の理性である。小魚の群れの理性は先頭の個体の理性である。
  6. 《ヒトの群れ》の理性は、せいぜい、その構成員の一つの個体の理性であるに過ぎない。

《ヒトの群れ》《混濁しつつあるモノ》

  1. 《ヒトの群れ》《混濁しつつあるモノ》の群れである。
  2. しかるに、何故に、彼らは確信をもって動いているのか?
  3. 《ヒトの群れ》《思いこみつつあるモノ》の群れである。相互に《思いこみの共有》を確認しながら、《思いこみ》世界の原理に従って動いている。
  4. 《ヒトの群れ》は《こころざしつつあるモノ》の群れである。《こころざし》というのは、一貫性のある《求める思いこみ》のこと。自らの《求める思いこみ》の一貫性を維持しようとするモノの群れである。《こころざし》は一貫性とプレゼンスが強ければ、《ヒトの群れ》の中の《共有思いこみ》の要素に組込まれていく。
  5. ヒト《他者》《求める思いこみ》を実現する《求める思いこみ》を、自己の《求める思いこみ》の一部として持つ。協働欲求。欲求分類リスト

《ヒトの群れ》『マモンの原理』

  1. 『マモンの原理』とは《ヒトの個体》の『カネ』を《求める思いこみ》《ヒトの群れ》に作り出す《ヒトの群れ》《動き》のパターンである。
  2. 《ヒトの群れ》の原理は『マモンの原理』(畜生と餓鬼)だけではない。はずだ。
  3. 『群れのコトバの原理』。天上と人間。
  4. 暴力の原理』。修羅と地獄。
  5. 『カネ』以外の欲望の原理。
  6. どれも、ろくでもない原理だな。
  7. ヒトのための群れの原理』。ヒトはこれを目指していたはずだ。
  8. 『群れのためのヒトの原理』。これを理想にしているヒトもいる。

《ヒトの群れ》と《ベルフェゴールの原理》

  1. http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060103
    1. お店を開いて三年半、つくづく実感したのは、今の社会で人間として真っ当なことをしようと思うとバカを見るということです。何も考えないようにするか、悪魔に魂を売らなければ、生きてゆきづらい。もちろん、そんな社会がおかしいのですが、何がおかしいかわからないから、自分をごまかして生きるしかない。それができる人はよいのですが、私のような不器用な人間は、それができない。だから抵抗しても抗うことはできないだろうにもかかわらず、それでもあがき続けてしまうのでしょう。
  2. 情報の悪魔ってのはいないのか?
  3. 怠惰(たいだ)||なまけすぎ。||スロウス||ベルフェゴール||ステレオタイプ=思考の節約、というのは怠惰の原理なのではないか? 《ヒトの群れ》のベルフェゴールの原理。
  4. ベルフェゴールの原理とは、《ヒトの群れ》を構成する《ヒトの個体》が、思考の節約=ステレオタイプな思考=を行うことによって、《ヒトの群れ》に生じる現象を言う。
  5. 《ヒトの群れ》の実態を見ようとしない怠惰によって生じる現象を言う。

《混濁》《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》は一つのモノである。
  2. 《地表のヒトの群れ》は一つのモノである。
  3. 《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》コトバ噴出する。《他者のコトバ》噴出する。
  4. 《ヒトの群れ》《ヒトの群れのアニマ》噴出する。
  5. 《私》《ヒトの群れ》の外部にあって、《ヒトの群れ》からその外部に噴出した《ヒトの群れのアニマ》を感じる。《ヒトの群れ》への体外感覚。《私》《ヒトの群れ》への体外感覚と、他の《ヒトの群れ》への体外感覚。
  6. 《私》《ヒトの群れ》の内部にあって、《ヒトの群れ》がその成員に対して噴出する《ヒトの群れのアニマ》を感じる。《ヒトの群れ》への体内感覚

《ヒトの群れ》《他者の群れ》

  1. 《私》がある《ヒトの群れ》に属していない場合に、その《ヒトの群れ》《他者の群れ》という。
  2. 客観的に記述されるのが《ヒトの群れ》《私》が直面している《ヒトの群れ》《他者の群れ》
  3. 《私》が対立関係にある時が《他者の群れ》《私》がその成員である時が《ヒトの群れ》。客観的に記述する時は《地表のヒトの群れ》《私》がその成員でない時が《他のヒトの群れ》。

《ヒトの群れ》と「親和欲求」

  1. http://saido.at.infoseek.co.jp/shinwa.html
    1.  親和(Affiliation)とは、人が他の人と一緒になろう、あるいは他の人と一緒にいようとする傾向のことである。人が集まり、集団を形成することにはいくつかの理由を考えることができる。たとえば、集団によって自分一人では達成できない目標を達成する(一人で野球をすることはできない)。あるいは自分には不可能なことを他者に代行してもらう(幼い子供は親がいなければ生きていけない)等々である。しかし人間には、このように何か他の目標・目的を達成するための手段として集団や他者を求めるだけでなく、他者と一緒にいること自体が満足をもたらすが故に、それを求めようとする欲求があることが知られている。これが「親和欲求」である。
    2.  これまでの研究によれば、このような親和への欲求には明らかな個人差が認められている。たとえば、親和欲求には性差があることが、ラタネとビドウィル(1977)により明らかにされている。そして、このような親和欲求の個体差を測定する方法がアトキンソン(1954)らにより開発されている。また、親和欲求と他の心理的特性との関係についての研究も進められている。たとえば、長田(1977)は親和欲求が高い人には他者と友好的であろうとする傾向があり、他者からの承認を求めるとともに、他者からの拒絶に対してはネガティブに反応するといった特徴があるとしている。
    3.  一方この分野での研究に画期的な進展をもたらしたのは、不安が人の親和傾向を高めることを実験的に証明してみせたシャクター(1959)の実験であった。彼の主張はほぼ次の3点に要約される。
      1. ■人は強い不安を喚起されると、他者と比較することによって自己評価を明確なものにしようとして強い親和傾向を示す。また 情動以外の自己評価と親和欲求との間にも関係があることを、シンガーとショックレイ(1965)の研究が示している。
      2. ■他者の存在はそれ自体、不安を低減する効果がある。このことはライツマン(1960)により研究されている。
      3. ■長子または一人っ子はそれ以外の人と比較して強い親和傾向を示す。このことはジンバルドとフォーミカ(1963)により 研究されている。
    4.  サーノフとジンバルド(1961)は不安と恐怖を概念的に区別し、親和傾向を強めるのは恐怖であり、不安はむしろ親和傾向を弱めるものであると主張してシャクターを批判し、現在では彼らの主張が受け入れられている。しかし、シャクターによって提起されたこの3つの命題は、多くの研究によって支持されて今日に至っている。

《ヒトの群れ》《こころざし》

  1. 《ヒトの群れ》には《こころざし》が必要である、か?
  2. 家族という《ヒトの群れ》《こころざし》は家族の結束と子孫の永遠の繁栄である。
  3. 《こころざし》というのは、心の方向性。
  4. 集団凝集性。(『心理学の基礎知識』p.271)
  5. 《こころざし》の高さ、というのは「集団の目標の魅力」が高いということ。他の集団に対して「威信」があるということ。
  6. ヒトとしての自覚』という《こころざし》《他者》との関係において生きるヒトとしての自覚。『ヒトとしての自覚』を妨げるモノ《思いこみ》《知った思いこみ》《求める思いこみ》も『ヒトとしての自覚』を妨げる。「ヒトである」とはどのようなことであるのか、を見通すことが『ヒトとしての自覚』。

《ヒトの群れ》と《モノの群れ》

  1. ヒトモノの一種であるから、《ヒトの群れ》は《モノの群れ》の一種である。
  2. ニューロンはcpuであり、脳はマルチcpuシステムである。
  3. モノの群れ》ってのは「複雑系」科学の対象だな。
  4. 3体運動のカオスの群れ。
  5. モノの群れ》のシステム化とカオス化。

《ヒトの群れ》《アニマ》

  1. 《ヒトの群れ》モノであり、モノに内在する《思いこみ》《アニマ》=を持つ。
  2. 《ヒトの個体》が、自らの属する《ヒトの群れ》アニマを、《ヒトの群れのアニマ》という。体内感覚に類似する感覚である。
  3. 《ヒトの個体》が、自らの属さない《ヒトの群れ》に感じる《アニマ》は、単に「《ヒトの群れ》《アニマ》」という。体外感覚による《他者》の認識に類似する感覚である。《他者の群れのアニマ》か?
  4. 《ヒトの群れのアニマ》は「空気」という形でヒトに覆いかぶさる。「空気を読む」というのは、「《ヒトの群れのアニマ》を感じ取る」ということである。
  5. 空気」としての《ヒトの群れのアニマ》は、3人以上の《ヒトの個体》《思いこみ》が作り出すカオスである。誰か一人の《ヒトの個体》《思いこみ》ではなく、3人以上の《ヒトの個体》《ヒトの群れ》に内在する《思いこみ》である。
  6. 調和的な《ヒトの群れのアニマ》に、異なった《思いこみ》噴出させることを「空気を見だす」という。
  7. 『リバイアサン』は《ヒトの群れ》《アニマ》を、外側から観察したモノである。
  8. 『法』や慣習も《ヒトの群れのアニマ》である。《ヒトの個体》が自らの属する《ヒトの群れ》『法』に従うのは、《ヒトの群れのアニマ》という体内感覚的圧力によって従う。《ヒトの個体》が法学として『法』を研究する場合には、《ヒトの群れ》《アニマ》として、《他者の思いこみ》として、客観的に研究する。
  9. 言語も《ヒトの群れ》アニマである。言語の形で《ヒトの群れ》を流通するコトバ《ヒトの群れ》アニマである。
  10. その《ヒトの群れ》に属する《ヒトの個体》は、その属する《ヒトの群れのアニマ》を内側から感じる。《身体》体内感覚に相当する感覚で、《ヒトの群れ》の内側から《ヒトの群れのアニマ》を感じる。
  11. その《ヒトの群れ》に属さない《ヒトの個体》は、体外感覚として感じる。自らが属さない《ヒトの群れ》アニマは『脅威』として感じる。
  12. 『カムイ』としての《ヒトの群れ》。逆らうことはできず、祭り上げることしか許されない《アニマ》という《思いこみ》を『カムイ』という。『カムイ』=「ヒトに覆いかぶさる超人間的な《アニマ》を持ったモノ」。

《ヒトの群れ》と《ヒトのネットワーク》、《ヒトのアミ(網)》

  1. ヒトの関係》の重合的な集合が《ヒトのネットワーク》。《ヒトのアミ(網)》。
  2. 《ヒトの群れ》は《ヒトのアミ》である。様々なレベルのアミがある。一人の《ヒトの個体》は様々な《ヒトのアミ》の一員となる。

《ヒトの群れ》モノ

  1. 《ヒトの群れ》モノか? モノである。

《ヒトの群れ》《思いこみ》

  1. 《ヒトの群れ》《思いこみ》である。
  2. 《混濁の世界》の中で直接にその存在を知ることができないモノである。
  3. じゃあ、なぜ、《ヒトの群れ》があると判断するのか? 
    1. 《相対者公理》によれば、《私》は他の《ヒトの個体》と同質の存在である。
    2. 《私》は他の《ヒトの個体》との関係の中で生きている。
    3. 他の《ヒトの個体》も別の他の《ヒトの個体》との関係の中で生きている。
    4. 《ヒトの個体》の関係のネットワークの中で生きている。という推論が成り立つ。
    5. 《個体間関係》のネットワークが《ヒトの群れ》である??。

《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》のサブシステム

  1. 《ヒトの群れ》は一つしかない、人類という《ヒトの群れ》、人類共同体という《ヒトの群れ》である。
  2. 《人類共同体》以外のそれ以外の《ヒトの群れ》は、《人類共同体のサブシステム》である。

《ヒトの群れ》《地表のヒトの群れ》

  1. どう違うのか?
  2. 抽象的な《ヒトの群れ》と、具体的なモノとしての《地表のヒトの群れ》

《ヒトの群れ》《ヒトの群れの健康》

  1. 《ヒトの群れの健康》をめざすべきである。
  2. 全身の健康に気を配るべきである。部分の痛みを素早く察知し、公平に優先順位をつけて、迅速に対処すべきである。
  3. 『善・悪』は《ヒトの群れ》を媒介とした価値判断である。
  4. 鬱血も解消すべきである。
  5. 部分集団と臓器のドメインドメイン間の調整、調整役、連絡、連絡役。
  6. 複数のレイヤのネットワーク。血液の循環循環器、消化器系、酸素系、栄養系、ホルモン系、神経系。貨幣循環、商品循環、政治的決定の循環
  7. 「仁」が分かりにくいのは、《ヒトの群れ》への思いやり、を含んでいるからだろう。「思いやり」は、通常は、《ヒトの個体》に対するモノである。《ヒトの個体》への思いやりと《ヒトの群れ》への思いやりとの両方を含んだいるのが「仁」なのだろう。

『善・悪』と《ヒトの群れ》

  1. 『善・悪』は《ヒトの群れ》を媒介とした価値判断である。

《ヒトの群れ》と日本的小集団主義

  1. 『カムイ』としての《ヒトの群れ》。『カムイ』=「ヒトに覆いかぶさる超人間的な《アニマ》を持ったモノ」。

『法』《アニマ》

  1. 法は《地表のヒトの群れの出来事》である。地表の《ヒトの群れ》『法』という《ヒトの群れの思いこみ》を保持している。『法』《ヒトの群れ》というモノに内在する《思いこみ》《ヒトの群れ》《アニマ》=である。

《ユートピア》《ヒトの群れ》

  1. 《ユートピア》は「あるべき《ヒトの群れ》」、「良き《ヒトの群れ》」といった意味で使う。
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/ユートピア
    1. ユートピア」という言葉を用いるときには注意が必要である。日本で通常使用されている「理想郷」としてのユートピアより、トマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩が強いためである。
  3. 「安全な《ヒトの群れ》」は良いか?
  4. 《ヒトの群れ》の「良さ」のバランス
  5. 「多数の良さのバランスが取れた《ヒトの群れ》」は良いか?
  6. 《ヒトの群れ》の良さ」は誰が判断するか?
  7. 客観的な「《ヒトの群れ》の良さ」は存在しない。「良さ」とは「判断主体にとっての良さ」である。判断主体なき「良さ」は存在しない。結局、「たけ(tk)にとっての良さ」を考えるほかない。
  8. 利益衡量で「《ヒトの群れ》の良さ」を決定することは可能か?
  9. 《ヒトの群れ》の悪さ」が最も少ないことを基準にすべきか?
  10. 善悪の論理学が必要だ。当為の論理学。

《ヒトの群れ》と3世代循環

  1. 修羅→天上→畜生の3世代の循環
    1. 修羅の時代にヒトは天上(理想の制度)を求める。
    2. 天上の時代にはヒトは欲望の充足(畜生)に励む。
    3. 畜生の時代になるとヒトは理想に絶望し、戦いによる解決(修羅)を求めるようになる。
  2. ヒトは育った時代によって異なった《思いこみ》(思考様式)と行動様式を持つ。
  3. ユダヤ教はゴイムの修羅と畜生を、エリートの天上とする。

《ヒトの群れの健康》と《ボス猿状況

  1. ボス猿状況》は《ヒトの群れ》を維持するためには必要。
  2. ボス猿状況》は上意下達を実現するが、《ヒトの群れの健康》のためには下意上達も必要。

《人類》と《ヒトの群れ》

  1. 全体の群れとしての《人類》はサブシステムとしての《ヒトの群れ》からは分離して考えたほうがよいか?
  2. 《人類》は四次元チューブであり、かなり大規模な《ヒトの群れ》である。というか、唯一の包含システムとしての《ヒトの群れ》である。
  3. 通常の《ヒトの群れ》は、大きさも、持続時間も、様々である。結合強度も様々である。
  4. 《人類》の輪郭はかなり明確である。しかし、サブシステムとしての《ヒトの群れ》の輪郭はかなり曖昧である。

《ヒトの群れ》と《システム化されたヒトの群れ》

  1. 仕事の実体は、『仕事』という目的のためにシステム化された《ヒトの群れ》である。
  2. 目的、機能分化。役割分担。
  3. 『群れの目的』。群れの存続、成長と再生。
  4. モノ目的は、そのモノの存続、成長、再生である、か? モノ目的がある、か?

仕事と《ヒトの群れ》

  1. 仕事の実体は、『仕事』という目的のためにシステム化された《ヒトの群れ》である。

《ヒトの群れ》とマルチcpuシステム

  1. 《ヒトの群れ》(《モノの群れ》)はマルチcpuシステムである。

包含システム《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》包含システムか?
  2. 《ヒトの個体》モノであり、《モノの世界》包含システムである。
  3. 複数の包含システムに属することは可能か?
  4. システムの包含関係は視点によって異なる。複数あり得る。
  5. 《ヒトの群れ》《私》包含システムである』とする視点とは?
  6. 《私》が対話関係に入る時、《私》は対話者が構成する《ヒトの群れ》のサブシステムとなる。
  7. 《ヒトの群れ》は《モノの群れ》(《モノの世界》)の一部である。《モノの群れ》のうち、《ヒトの個体》以外のモノを棄てた《モノの群れ》である。
  8. 《モノの世界》とはモノを内部システムとする包含システムである。

権力と《ヒトの群れ》

  1. 権力には暴力的側面と公正的側面とがある。
  2. ボス猿には暴力的側面と公正的側面とがある。

政府と《ヒトの群れ》

  1. 政府の役割は《ヒトの群れ》の健康管理
  2. 権力の公正的側面だけを抽出したのが政府。
  3. 権力があって政府がない状態もある。
  4. 全身に栄養が行き渡るように管理すること。所得の再配分。
  5. 民間で行うとうまくいかない業務を行うこと。
  6. 政府はボス猿である。
  7. 政府は《ヒトの群れ》の全体の内部状況、外部状況を見て、命令を下す。
  8. 《ヒトの群れ》ボス猿(政府)は必要である、か? は、状況による。通常は必要である。《ヒトの群れ》の全体の内部状況、外部状況に変化がなく、《背後者回路》でうまくいっている場合には必要がない。が、大きな《ヒトの群れ》においてはそのような状況はまず考えられない。

《ヒトの群れ》体内感覚《ヒトの群れ》

  1. 『群れの中の私』においては、ヒトの個体は《ヒトの群れ》を、《ヒトの群れ》体内感覚において感じる。
  2. 《ヒトの群れの体内感覚》

モノ《ヒトの群れ》

  1. 《思いこみ》を有するモノとしての《ヒトの群れ》
  2. 世界としての《ヒトの群れ》
  3. 《ヒトの個体》《思いこみ》としての『ヒトの群れ』
  4. 《ヒトの群れ》モノである。
  5. 《ヒトの群れ》は《ヒトの個体間関係》のネットワークである。
  6. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》の集合である。
  7. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》とは別のモノである。
  8. 《ヒトの群れ》は複雑系である。
  9. 《ヒトの群れ》は状態を持ち、状態は遷移する:
  10. カオス状態(修羅、暴力
  11. システム状態(天上、制度)。暴力によるシステム化。『正当性』によるシステム化。暴力を正当化するための『正義』。
  12. 《ヒトの群れ》進化する
    1. ヒトがサルであった頃の《ヒトの群れ》
    2. 農耕・定住による《ヒトの群れ》の変化。規模の拡大。
    3. 食糧備蓄に伴う戦争。
    4. 支配関係の発生に伴う《ヒトの群れ》の変化。
    5. 政治権力と経済権力の分離による《ヒトの群れ》の変化

《思いこみ》を有するモノ《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》はそれ自体の《思いこみ》を有する。
  2. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》《思いこみ》とは別の《思いこみ》を有する。《ヒトの群れの思いこみ》は《ヒトの群れ》の中で循環するコトバとして存在する。
  3. 《ヒトの群れ》は、それ自体としての健康を欲する。《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》の健康を《求める思いこみ》を有する。
  4. 《ヒトの群れ》はそれ自体の痛みを有する。
  5. 《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》の痛み、《不快》を回避する《求める思いこみ》を有する。

世界《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》世界である。
  2. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》状況である。『天命』の基礎となる状況である。

『私が属するヒトの群れ』と《ヒトの群れ》

  1. 『私が属するヒトの群れ』は『群れの中の私』という自覚的自我のベースとなる世界である。
  2. 『私が属するヒトの群れ』を、《私》は群れの内部から見る。《ヒトの群れ》体内感覚として群れを感じる。母胎内の感覚なのか・・。

『群れの規則』《ヒトの群れ》

  1. 『群れの規則』とは、《ヒトの群れ》《背後者回路》が、当為の形で認識された《思いこみ》である。
  2. 《ヒトの群れ》の構成員が『群れの規則』《思いこみ》に従うことによって、《ヒトの群れ》《背後者回路》は強化され、『群れの規則』も強化される。

『群れの中の私』《ヒトの群れ》、『ヒトの群れ』と《ヒトの群れ》

  1. 《思いこみ》としての『ヒトの群れ』とモノとしての《ヒトの群れ》とではかなり異なる。
  2. 《思いこみ》としての『ヒトの群れ』というのは、『群れの中の私』《思いこみ》のベースとなる『群れ』の《思いこみ》である。自覚的自我『私』の存在する世界としての『群れ』の《思いこみ》である。
  3. 《思いこみ》としては『私の属する群れ』か? 『私が属するヒトの群れ』か?

《混濁》《ヒトの群れ》

  1. 《近傍物理空間》の中には、横断歩道を渡る人々、といって《ヒトの群れ》しか、直接には知ることができない。
  2. 《同質者公理》によって、《私》《他者》とが同質であることを知ると、《私》《他者》との《個体間関係》というモノが認識される。
  3. 多数の個体間関係の節約的認識として《ヒトの群れ》というモノの認識が生まれる。
  4. 《同質者公理》見通しをもたらすことが出来るか?
  5. 電車の中にて、《近傍物理空間》の中に《ヒトの群れ》はある。会話する親子、恋人、二人組、高校生の一団。《他者の群れ》《他者》《他者》との間に《思いこみのパイプ》がある。会話する《ヒトの群れ》《背後者回路》。会話する《ヒトの群れ》の中の《ヒトの個体》《背後者回路》
  6. 《ヒトの群れ》《背後者回路》は、《ヒトの個体》を結びつける。《ヒトの個体》群れの中の個体と群れの外の個体とに分離する。群れの《背後者》は、群れの中の《ヒトの個体》のコミュニケーションを活発にする。
  7. 会話する《ヒトの個体》《背後者》は、『群れの中の私』の構造の中で役割を果たす。『群れの中の私』は母子関係におけるのと同じ関係だろう。母子関係における『群れの中の私』は破綻したはずなのに、何故に、維持されているのか? それは、維持可能な範囲で維持されている。維持可能性を高めるために、《群れ》の外の《他者》を排除する意思を内蔵している。

主体と《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》は主体でありうるか?
  2. 「我々」というのは、どのヒトの個体でもありえない、《ヒトの群れ》を主体に見立てた表現である。
  3. 《ヒトの群れ》の代表者』というのは全くの《思いこみ》であろう。
  4. 代表者による『《ヒトの群れ》の意思(《求める思いこみ》)』の表明、決定。
  5. 『代表者』の《思いこみ》の背後者回路。『身体の中の一つのモノが身体全体の意思を決定する』という《思いこみ》。日本人の群れでは、(日常的でどうでも良い事柄については)わがままで幼稚なモノが、全体の意思を決定する。((そうか、それで、日本の政治家は、わがままで幼稚なのだ))。日本の父親は、重要な決定に関しては、子供を押さえつけて、自らを決定を通す。((のだが、その決定が、わがままで幼稚であったりする))。『代表者』の《思いこみ》は、『日常的なことから、重要なことまでの全てを決定する、モノ』という《思いこみ》だろう。
  6. 《他者》は主体たりうるか? モノは主体たりうるか? と同じ。

《思いこみの個体間循環》《ヒトの群れ》

天命《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》世界である。

《群れの思いこみ》《ヒトの群れ》

  1. 特定の《群れの思いこみ》を共有する複数の個体は《ヒトの群れ》を構成する。
  2. 《群れの思いこみ》《ヒトの群れ》が有する《思いこみ》である。
  3. 《ヒトの群れ》が無いときに、《群れの思いこみ》を公言することによって《ヒトの群れ》を構成する場合。
  4. 《ヒトの群れ》が生じた後に、《群れの思いこみ》が発生する場合。
  5. 両方の場合がある。

《ヒトの群れ》と輪郭

  1. 輪郭がはっきりしない。
  2. いろいろな視点から、《ヒトの群れ》を抽出することができる。
  3. 特定の視点から抽出された《ヒトの群れ》には輪郭がある。定義しだい。
  4. 箱の中のビー玉という群れ、その中の赤いビー玉の群れ、透明のビー玉の群れ、大きいビー玉の群れ、小さいビー玉の群れ。否否。群れは集合ではない。属性によって分類された集合ではない。特定の関係性(個体間の関係性)によって群れが決まる。

《思いこみ》《ヒトの群れ》

  1. 《ヒトの個体》《思いこみ》としての『ヒトの群れ』
  2. 《ヒトの群れ》《ヒトの個体》の内部の《思いこみ》である。『《私》はxxという《ヒトの群れ》に帰属する』という《思いこみ》の内容としての『ヒトの群れ』。《群有思いこみ》としての『ヒトの群れ』。
  3. これは、すべてのモノについて言えること。
  4. 相互包含関係。《ヒトの群れ》《ヒトの個体》《思いこみ》《ヒトの群れ》
  5. すべての「ヒトの「世界」」というモノについて言えること。