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《アニマ》

キーワード《アニマ》

定義

記述

  1. 《アニマ》を最初に感じたのは、窓の外の樹を見たときではないかと思う。《私》にとっては彼(樹)は《私》のまわりの環境の一部である。しかし、彼(樹)にとっては、《私》が彼の環境の一部なのではないか。《私》が彼を感じているように、彼もまた《私》を感じているのではないか。《私》が彼に近づくとき、彼も《私》に近づいている。《私》が彼を見ているときには、同時に、彼も《私》を見ている。
  2. 《アニマ》《私》《実感》である。《モノたちとの対話》の《実感》である。

区別

あっしらさんと《アニマ》

  1. http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/1004.html
    1. 「この世界にあるものすべてのものは、生命と私は考えております。(原子・電子等と成分とその動き等)
  2. ありゃ、あっしらさんはアニミストだったんだ。

《私》《身体》《アニマ》《血》

  1. 《私》《身体》《アニマ》は、《私》《身体》の『死』を恐れている。《私》《身体》《アニマ》は、《私》《身体》から流れ出る《血》を恐れている。

《私》以外のモノの主体性・主観性およびそのモノに内在する《思いこみ》、を《アニマ》と呼ぶ。

《あの時・あの場所の・あのモノ》の《我》《アニマ》と呼び、

  1. 《今・ここの・このモノ》にある《アニマ》《我》と呼ぶ。

《アニマ》は、それぞれにとってそれぞれが絶対者であることにおいて、相対者であるモノである。・・カントのあれかも。「自律的自由をもつ人間が互いの人格を目的として尊重しあう社会」→「《アニマ》を持つモノが互いの《アニマ》目的として尊重しあう《モノの群れ》」

《アニマ》《同質者公理》による《思いこみ》の拡張概念である。

  1. 《同質者公理》によれば、《他者》モノであるように《私》モノである。
  2. 《思いこみ》《私》の内部に在る。
  3. 《私》モノであるから、《私》《思いこみ》《私》という「モノに内在する《思いこみ》」である。
  4. 《同質者公理》によれば、《私》というモノの内部に《思いこみ》が在るように、《他者》というモノの内部にも《思いこみ》が在る。
  5. 《私》《他者》とに共通にある「モノの内部の《思いこみ》」を《アニマ》と呼ぶ。

「魂についての知識は特に高貴で有益なものである」(『デ・アニマ』p.2)

  1. 科学は魂については、その存在自体を否定しているようである。科学者の側にはあるのに、科学者が分析するにはふさわしい対象とはみなされていないので、彼らは科学的な言説においては、その存在自体を否定する。

《アニマ》モノに内在する情報の総体である。

  1. 一般にはカオス的な様相とシステム的な様相の両者を含む膨大な情報の総体である。システム状態からカオス状態を経て別のシステム状態に移行することをカオス的遍歴という。
  2. モノに内在する情報モノの内部で循環し、蓄積し、作用し、変形し、加工され、創出され、そのモノ動きを決定し、モノの外部に噴出する。もちろん、モノの内部の情報は、モノの外部からの影響でも、モノの内部に生成する。
  3. モノAの外部のモノBからの情報が、同一性を保ってモノAの内部に生成される場合には、モノBからモノAへの情報の伝達という。《思いこみ》の伝達という。
  4. 情報《思いこみ》の元素(アトム)である。
  5. 情報は、その受け取り手にとっての意味があるかぎりにおいて情報でありうる。意味があるというのは受け取り手を変化させ、動かす動きを変化させる)という意味である。情報記憶するというのは、受け取り手の内部の状態を変化させることであり、受け取り手を動かすことである。情報は受け取り手に依存する主観的な存在である。

モノに内在する《思いこみ》《アニマ》と呼ぶ。

《アニマ》《ヘラクレイトスの「ロゴス」》

  1. 《アニマ》《視点》に対するモノは、《自然法則》の《視点》であろう。
  2. モノにはモノ《アニマ》がある」という命題を立てれば、その命題は《ヘラクレイトスの「ロゴス」》である。

アリストテレスの「アニマ」と《アニマ》

  1. アリストテレスは《生きモノ》《アニマ》しか問題にしていない。《アニマ》は、モノのすべてに在る。

《アニマ》《背後者回路》

  1. 同じか? ○:。×:《視点》が違う。《アニマ》は主観の《視点》であり、《背後者回路》は客観の《視点》である。《アニマ》《絶対者公理》《視点》であり、《背後者回路》《相対者公理》《視点》である。《アニマ》《息しつつあるモノ》《視点》であり、《背後者回路》《知りつつあるモノ》《視点》である。

《アニマ》《他者》への共振

  1. 《共振しつつある身体》
  2. 『道徳感情論』
  3. ミラーニューロン
  4. ユダヤ的なゴイムへの共振の拒絶。
  5. 共感と共振

《アニマ》とコンピュータ

  1. 《アニマ》は、要するにコンピュータと同じである。インプットとアウトプットと記憶装置と情報処理装置で構成されたモノである。
  2. 素粒子にも、インプット(他の素粒子との相互作用)とアウトプット(《動き》)とがある。記憶はその素粒子の存在そのものの位置や運動量などのパラメータであり、処理装置はインプットをアウトプットに変換する自然法則である。

モノの中の《アニマ》と、《思いこみ》の中の《アニマ》

  1. たけ(tk)が、死後にも《アニマ》があると言った場合には、「《他者》《思いこみ》の中のあるヒトAに関する《アニマ》」が、あるヒトAの死後にも存在する、という意味で使っている。
  2. 《思いこみ》の中の《アニマ》」は「モノの中の《アニマ》」を指し示す《思いこみ》である。
  3. 《思いこみ》でもいいじゃないか、《ヒトの群れ》《思いこみ》で成り立っているのだ。《思いこみ》で安心できれば、よいではないか。信じればよいではないか。・・でも、もちろんウソだけど・・。心地よいウソを信じよう。

《アニマ》と《客観的アニマ

  1. 「場」に《アニマ》がある。
  2. 「場」に電磁波や重力や光があるように・・。
  3. 「場」に《極座標の原点》を置くことができる。
  4. とりあえず、定常波である素粒子に《アニマ》がある。
  5. 素粒子の《群れ》《アニマ》がある。

《アニマ》と《他者のクオリア

  1. 我々の《私》《他者》の出現によって、《他者の身体》というモノの上に、《他者のクオリア》を感じる。
  2. 《他者のクオリア》は、モノの色や、そのモノの音(そのモノが発する音)と同様に、モノの属性として、我々はそのモノ重ね合わせて感じる。
  3. 《他者》の出現は《知りつつあるモノ》を背後から撹乱するが、それは、《知りつつあるモノ》を維持しようとする場合に、《知りつつあるモノ》が破壊されるのを防ごうと抵抗するからである。《知りつつあるモノ》に執着しなければ、単に、《他者のクオリア》を感じるだけである。原初の《混濁》の状態であれば、単に、《他者のクオリア》を感じるだけである。
  4. 《他者のクオリア》を感じるモノは、《今・ここの・このモノ》である。
  5. 《今・ここの・このモノ》は、(《身体》への)関心が失われた《身体》である。単なる、《混濁》の領域としての《身体》である。
  6. 《他者のクオリア》は《他者のアニマ》である。《他者のアニマ》《今・ここの・このモノ》に害を為し、益を為し、関心を寄せ、思いやり、怨み、その他諸々の感情をいだくモノである。また、《今・ここの・このモノ》に無関心で、他のモノに関心を寄せたり、そのモノ自身に関心を寄せるモノである。《他者のアニマ》はそのモノの内部において《他者の思いこみ》世界の中にあるものである。《他者のアニマ》《他者の身体》の中の《視点》であり、フィルターがかかった世界を見るモノである。《他者のアニマ》コトバによって背後から突き動かされるモノである。
  7. 《私》《他者》の出現により、《他者のアニマ》を、《他者》というモノ重ね合わせて、感じる。《私》は、《私》《他者のアニマ》から守るために、《他者》コトバを発する。《私》《他者のアニマ》が《私のコトバ》によって動かされることを知っており、《私のコトバ》を《他者のアニマ》に投げつけることによって、《他者のアニマ》《私》への攻撃に向かわなくなることを知っている。そのようなモノとして、《他者のクオリア》を感じたときに、《私》《他者》コトバを発する。
  8. 《アニマ》の原形は、同じ《群れ》の『仲間』に対する感覚である。《私》と同じ《群れ》の『仲間』との間では、《思いこみ》の相互の伝達が行われる。『《思いこみ》の伝達が可能である』という《思いこみ》を伴った、モノへの感覚が《アニマ》である。
  9. →「ゴリラの人類愛

《アニマ》《近傍物理空間》

  1. 我々は、3次元空間の中のモノにそのモノ《アニマ》クオリアを感じているに違いない。

水が水平になること、音を伝えることと水の分子の《アニマ》

  1. 水の分子レベルの運動で、分子レベルの相互作用で、水が水平になることを説明できるか? 音が伝わることを説明できるか? おそらく同じ説明方法になるだろう。
  2. 隣の分子の微妙な運動を検知してそれを反対方向の分子に伝えること。引力・斥力のバランスでは、分子単位で1/2の運動になってしまう。隣の分子の運動とほぼ同じ運動をしなければ、次の分子に伝達することはできない。壁の運動で遠い位置にある分子の運動の総体が影響するのか? 1/(L**2)の影響力しかない遠い分子の影響があるのか?
  3. 格子状に並んだ水の分子が水平状態でバランスを取っているときに、一つの分子が落ちてきたとき・・。上下方向の運動が、なぜ、水平方向の移動になってバランスをとるのか?
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↓
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  1. 分子間の斥力の式って?

《アニマ》と反証可能性

  1. うーむ・・。

《我》と反証可能性

  1. うーむ。・・。

《知りつつあるモノ》と反証可能性。

  1. 《知りつつあるモノ》がなければ、世界は知られていない。
  2. 世界が知られていないなら、《知りつつあるモノ》はない、か?

《アニマ》《アニマ》シミュレータ。

  1. 《アニマ》シミュレータは可能か?
  2. 《アニマ》《我》の生存に執着するか?
  3. ライオンの首を噛まれたシマウマの姿が印象的。すぐに諦めてしまうようにみえる。もっとも、首を噛むというのは、気絶させる効果があるらしい。気絶させることが、食べやすくするコツであるらしい。というか、捕食者がけがをしないコツというべきか?
  4. ケガをして、動けなくなって、餓死する動物はどうか? 悲しそうな眼はしている。しかし、『執着している』としても、外部から観察可能ではない。
  5. 《他者》《我》に執着しているか、分かるはずがない。

《アニマ》と錯誤

  1. 生き物には錯誤がつきものだ。食虫植物が、おいしそうな花の形で虫をおびき寄せる。蜜を提供する花でも、なんで、その形が虫にとっておいしそうな形を意味するのかは、偶然というか、その形の花でおいしい蜜が獲得できたから、その花の形を好ましいモノとして感じるようになる。おいしい蜜を指し示す記号としての花の形であって、それ自体として何らかの意味があるわけではない。それも、一種の錯誤?
  2. メリットがある記号だと思ったら、メリットのない/デメリットのある記号であった場合に錯誤というのか? 錯誤はメリット/デメリットを背景とする概念か? 『意味がある』という《思いこみ》は『メリット』を背景とする《思いこみ》である。

《こころざし》《アニマ》

  1. 《こころざし》モノ《アニマ》にもある。素粒子が元素の形で群れを維持しようとするのは素粒子の《こころざし》である。
  2. リンゴの樹が実をつけようとするのはリンゴの樹の《こころざし》である。
  3. 《こころざし》はある程度の一貫性をもった、モノ《求める思いこみ》である。
  4. 《アニマ》は一貫性をもっているとは限らない。瞬間的に生じて、瞬間的に消滅するモノもある。
  5. 《アニマ》《背後者回路》を含む。《こころざし》は一定方向へ進む、一定の形を維持するといった、持続的な傾向性をもった《アニマ》である。

《アニマ》とMVC

  1. モデル(M)=内部状態=《隠れた思いこみ》、ビュー(V)=外部への噴出《求める思いこみ》、コントローラ(C)=外部から内部への噴出《知った思いこみ》

《アニマ》と想像力

    1. http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/education/hassou4.html
    2. 幽霊というのは想像力の賜物ではなく、むしろ、想像力の欠如である。未開人が機械を見て「幽霊だ!」と言った瞬間、内部構造を想像する力を失ってしまう。同様に、現代人がエイリアンや超能力に騒ぐのも想像力の欠如だ。
    3. マゼランが新しい地球観を教えてくれたように、超常現象なしの新しい宇宙観を教えていかなければならないだろう。しかも、それはただの「知識」に終わるのではなく、危機的状況にある地球の姿を教えることに他ならない。
  1. たしかに、《アニマ》と言った途端に、『幽霊』と同じような《思いこみ》を生じさせてしまうだろう。分かったつもりになるようなコトバ、はまずいかもしれない。

『なすべきこと』と《モノアニマ

  1. 《私》『なすべきこと』は、《私》にそれを生じさせたモノ《アニマ》の中に在る。
  2. 《私》モノを知ることによって『なすべきこと』《思いこみ》を持つ。
  3. 《私》『なすべきこと』《思いこみ》《浄化》すると、《私》『なすべきこと』が、それを生じさせたモノから噴出していることがわかる。・・あり得ない結論だが・・。
  4. 《私》『なすべきこと』は、《私》モノとの間の相互作用の中にある。
  5. モノアニマ》を主観的に捉えるべきではない?
  6. モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《モノアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。
  7. モノアニマ》、モノ《アニマ》《他者のアニマ》《他者》《アニマ》

カッツの「態度の4機能」と《アニマ》

  1. 「カッツ・・によれば、心理的欲求の充足という観点からみると、態度は次の4つの機能を持っている。
      1. 適応機能:環境からの報酬を最大に、罰を最少にしたいという欲求を充足させるように態度は機能する。対象に対する態度は、対象から得た賞罰による満足・不満の程度によって規定されるが、この適応機能を通して、人間は、好ましい目標への接近、好ましくない目標からの回避という適応行動を促進させる。
      2. 自我防衛的機能:自我と対立する外的事実、内的衝動を否定・拒否する機能である。それらを受容・容認することが不安・内面的葛藤の原因となれば、この態度機能の働きでそれらから逃れようとする。適応機能が、外部の目標に対して生まれるのに対して、この機能は、個人の内部に発している特徴を持つ。
      3. 価値表現的機能:人間は、自己の中心的価値を積極的に表明し、自己イメージを明確にあらわしたいという欲求を持っている。態度は、この欲求を充足させるように機能する。意見の表明、集団への参加などを促進させる態度は、この種の心理的欲求を充足させるものである。
      4. 知識機能:人間は、外界からの情報を通して環境を理解したいという欲求を持つが、環境があまり複雑な場合には、態度が判断の基準、または準拠枠となって、環境理解のたすけをする、ステレオタイプとよばれるもの、この種の機能を果たす態度に他ならない。
    1. カッツは、上記の4機能によって、態度の形成・発展・受容の過程のダイナミックスを説明する・・」(p.260、7-17『心理学の基礎知識』
  2. 適応機能は《求める思いこみ》、自我防衛機能は《怯えた思いこみ》、知識機能は《知った思いこみ》、かな? 表現機能も《求める思いこみ》か? 環境からの報酬を《求める思いこみ》《思いこみ》噴出そのものを《求める思いこみ》
  3. (本物の猿の)ボス猿追従ザル同士の争いを仲裁するのは価値表現的機能と言うべきか。
  4. (本物の猿の)小猿の遊びは知識機能であろう。
  5. 植物では適応機能と自我防衛機能と言った所か?
  6. 無生物の《アニマ》では?
  7. 《ヒトのアニマ》の機能と言うべきか?
  8. 帰属集団との関係では、同調欲求とパーソナリティ欲求がある(7-18)。同調欲求は適応機能か自我防衛欲求、パーソナリティ欲求は価値表現機能か?

《アニマ》《絶対者公理》

  1. 《アニマ》は、それぞれにとってそれぞれが絶対者であることにおいて、相対者であるようなモノである。

《アニマ》《知りつつあるモノ》

  1. 《アニマ》は、絶対者としての《知りつつあるモノ》を含むモノである。

《アニマ》と《モノの群れ》の《アニマ》

  1. 小魚の群れは群れの《アニマ》を持つ。
  2. 小石を積み重ねた塔も《アニマ》を持つ。
  3. 砂利をまいた道も《アニマ》を持つ。
  4. モノの群れ》が、ひとまとまりのモノとして知られる時、《知りつつあるモノ》との関係で《アニマ》を持つ。
  5. モノが集まっている、という状態そのものが一つのモノとなる。
  6. 「魚の群れがあたかも意思をもっているかの如くに移動する」という比喩は、「意思」を持たない、という認識を前提としている。しかし、「意思」というコトバの定義が分からないのでコメントできない。
  7. 「集団のホメオスタシスと発展」(p.344、9-28、『心理学の基礎知識』)にいろいろ書いてあるが・・。まとまっていないな。
  8. 《群れ》《アニマ》《群れのアニマ》、《モノの群れのアニマ》、《ヒトの群れのアニマ》

「意思」と《アニマ》

  1. 「魚の群れがあたかも意思をもっているかの如くに移動する」という比喩は、「魚の群れは意思」を持たない、という認識を前提としている。
  2. では、「魚に意思がある」という認識なのか?
  3. 「魚には意思がないが、人には意思がある」という認識なのか?
  4. 「他人に意思があるかは分からないが、自分には意思がある」という認識なのか?
  5. 「自分には意思がある」ということは科学的に証明された事象なのか?
  6. 「意思」というのは社会生活上の概念である。社会生活を営むにあたって、『「意思」というコトバが指し示すモノがある』と思いこむことが便利だから、『「意思」というコトバが指し示すモノがある』と思いこんでいるのである。社会生活上の約束ごとであり、『意思』の実体は《ヒトの群れの思いこみ》である。共同幻想。

《アニマ》《背後者回路》

  1. 《アニマ》モノの外部の《状況》《知りつつあるモノ》であり、《状況》《求める思いこみ》《背後者》噴出するモノであり、《背後者》に蓄積された《隠れた思いこみ》《背後者回路》によって加工して《動きつつあるモノ》を通して《求める思いこみ》噴出するモノである。そういう構造を持ったモノである。・・要するにブラックボックス(インプット−内部状態−情報処理−アウトプット)の構造か・・。
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/入出力
    1. コンピュータ処理の分野においては、コンピュータの5大機能(ごだいきのう)の制御・演算・入力・出力・記憶のうち、入力・出力の機能を取り出して入出力と考える。

《アニマ》イデア

  1. 「たとえば、「これらのもの(この煉瓦や石など)がこの家であるが、それはなにゆえにか?」と問う。そしてこれに対して「それは、家の家たるゆえんのもの(家の本質・形相)がこれらのもののうちに内在しているがゆえにである」と答えられる」(『形而上学・上』p.292)
  2. ここでアリストテレスが「内在している」と言っているのは、イデアである、《アニマ》ではない。「家の家たるゆえんのもの(家の本質・形相)」はそれを作ったヒトイデアであり、それを使うヒトイデアである。ヒト《思いこみ》である。ヒトは、ヒト《思いこみ》モノ重ね合わせて『理解』するのである。

《アニマ》カオス

  1. 《アニマ》は、実際には機械論的な因果関係から生まれた現象だが、機械論的な因果関係から生まれたカオスの現象を含み、その現象を機械論的には説明できない現象を、近似的に、《私》《思いこみ》と類似のものとみなして、説明するための概念である。説明のための《道具的な思いこみ》である。

《アニマ》と種

  1. 「たとえ普遍がこのように個々の事物の本質としての実体ではありえないにしても、普遍は各々の本質のうちに(その説明方法の要素として)内在しておりはしないか。たとえば、動物が人間や馬とかに内在しているように」(『形而上学・上』p.277)・・これ自体は本質=説明方法=《思いこみ》の要素としての上位の種。
  2. 人間の《アニマ》は、ヒトとしての《アニマ》の部分と、動物としての《アニマ》の部分とがある。また、モノとしての《アニマ》の部分もある。《おとこ》としての/《おんな》としての《アニマ》の部分もある。オトナとしての/子供としての/老人としての《アニマ》の部分もある。xxとしての《アニマ》というのは、xxという性質を有するモノたちに共通のパターンとして現れる《アニマ》を言う。
  3. 「種(エイドス)」(p.274)は「形相(エイドス)」と同じ語なのか?
  4. 或るモノを『人間』『動物』『おとこ』というのは、それらの《思いこみ》重ね合わせてそのモノを認識しているということ。そのモノ《アニマ》は一つである。《思いこみ》重ね合わせによって、たくさんの輪郭が出てくるが、実際には一つの輪郭しか有しない。多次元輪郭空間

《アニマ》《知った思いこみ》

  1. 《アニマ》《求める思いこみ》である。《知った思いこみ》《求める思いこみ》を産み出すかぎりにおいて《アニマ》である。というか、《知った思いこみ》《求める思いこみ》を産み出す(可能性を有する)かぎりにおいて《思いこみ》である。
  2. 科学的な知った思いこみの世界》はヒトというモノの内在する《思いこみ》ヒト《アニマ》=である。
  3. モノ《アニマ》《知った思いこみ》はあるか?
  4. ビリヤードのボールがキューの接触を知りつつある時、《知った思いこみ》はただちに動くことを《求める思いこみ》に実現されて、モノの内部には残らない。か? キューにたたかれたという《知った思いこみ》はボールの内部に残る。運動しつつあるという状態の中に残り、振動状態として残り、ボール内部のひずみや、傷や、痛み・疲労としてボールの内部に《知った思いこみ》が残る。
  5. 《知った思いこみ》は、そのままの形ではモノの外部には噴出しない、か?
  6. モノの外部に噴出するのは、モノの外部へ《求める思いこみ》である。モノの形の変化は、モノのそれ自身に《求める思いこみ》噴出である。《知った思いこみ》は、外部に噴出する《求める思いこみ》《背後者回路》として噴出する。
  7. キューでたたかれたために生じた小さなひび割れは、《知った思いこみ》である。ある時それが原因になってボールが壊れる時、《知った思いこみ》は『壊れる』という《求める思いこみ》原因となる。壊れるという動きにとってひび割れによって記憶された《知った思いこみ》は過去因である。『壊れる』ことを《求める思いこみ》は、壊れる直前において将来因である。

4原因説《アニマ》

  1. 外部因、内部因、過去因、将来因。
  2. 《アニマ》は内部因である。外部因は内部に取り込まれてから《アニマ》の一部となる。過去因と将来因は、そもそもが、そのモノの内部因である。過去因はそのモノの現在の状態として作用する原因であり、将来因は、そのモノの内部の現在の《思いこみ》として作用する原因である。将来に対する漠然とした/明確な期待や不安が、現在のモノの内部に《思いこみ》として存在し、それが動きに作用する場合に、それを将来因という。

無生物と《アニマ》

  1. アリストテレス以来の西洋のアニマ論は、生物だけ、特に動物だけに限って《アニマ》を認めるようであるが、そのように制限する必要はない。アスファルトに埋まった小石にだって《アニマ》はある。
  2. ヒトの魂』という《思いこみ》があって、『ヒトの魂に似たモノ』を捜す、という視点で「アニマ」を定義する。
  3. 『生物に特有の現象』という《思いこみ》があって、『生物に特有の現象』の視点から「アニマ」を定義する。

生物機械論と《アニマ》

  1. 生物機械論と《アニマ》とは矛盾しない。機械論的装置は、カオスを作り出すことができる。三体運動はカオスを作り出す。単純なS(n+1)=A*S(n)*(1-S(n))といった連続関数でさえカオスを作り出す。機械論的装置は、機械論的な分析や、機械論的な予想を不可能にするカオスを作り出すのである。

情報《アニマ》

  1. 情報《アニマ》の元素である。
  2. 《アニマ》モノに内在する情報の総体であり、一般にはカオス的な様相を含む膨大な情報の総体である。モノに内在する情報モノの内部で循環し、蓄積し、作用し、変形し、加工され、創出され、そのモノ動きを決定し、モノの外部に噴出する。もちろん、モノの内部の情報は、モノの外部からの影響でも、モノの内部に生成する。モノAの外部のモノBからの情報が、同一性を保ってモノAの内部に生成される場合には、モノBからモノAへの情報の伝達という。
  3. 情報ってのは生気論の生気そのものじゃないのかな?
  4. 物理学者は生気論を端から相手にしないが、情報物理学、情報科学というのは在る。
  5. シャノンの「情報量」の定義はナンセンス。アリストテレスの全著作の文字情報よりも、一枚の犬の写真のbitmap画像の方が情報量が多いことになるだろう。たしかに、その瞬間のその犬の毛の一本がどの方向に向いているか、は事象の確率からみれば大きな違いだ。しかし、情報ってのは、受取手にとっての意味であるはずだ。
  6. メモリのビット列はcpuの状態によって、意味が異なるのだ。コマンドとしてのビット列も文字情報としてのビット列も同じ、という分けにはいかない。
  7. http://ja.wikipedia.org/wiki/情報
    1. 情報理論では、選択情報量を次のとおりに定義する。
    2. E を確率 P(E) で生起する一つの事象とする。事象 E が起こったことを知らされたとき受け取る情報量 I(E) を
    3. I(E)=log(1/P(E))=-log(P(E))
    4. とする。
    5. ・・
    6. 通常は底を2とする単位“シャノン”を用いる。この名称は、情報理論を創設したクロード・シャノンにちなむ。1996年以前はこの単位を“ビット (bit)”としていた。変更は JIS X 0016:1997 (ISO/IEC 2382-16:1996) による。
    7. 1シャノンの情報量とは、生起する確率が等しく1/2である二つの事象について、次にどちらが生起するかが分かったときに受け取る情報の量である。
    8. I(E)=log(2,2)=1[シャノン]
    9. したがって、“0”,“1”による二元符号は、両者が等確率で現れるときにそれぞれ1シャノンの情報量をもつ。
  8. 情報は、《アニマ》のうちの、極めて小さい部分について、そのように言われる。
  9. 情報は、極めて小さい部分で分析可能で、法則的な予測が可能な部分について、そのようにいわれる。
  10. 情報は、膨大な量の組み合わせで、カオス的な状態になり、カオスの中から、新たな情報を産み出す。膨大な情報が産み出すカオス的な動きの総体が、《アニマ》である。

《アニマ》目的

  1. アリストテレスの目的論に結びついて《アニマ》が論じられることが多いようである。
  2. 『デ・アニマ』では目的論とは結びつけられていないと思うのだがな・・。
  3. 《アニマ》目的論と結びつけるのは誤りである。

《アニマ》『目的』

  1. 《アニマ》『目的』《思いこみ》を持つことができる。《ヒトのアニマ》だけかな?
  2. 《アニマ》《求める思いこみ》を持つことができる。《求める思いこみ》は、それが将来への《見通し》である場合に、『《求める思いこみ》が達成された状態』の《思いこみ》『目的』という。
  3. 《アニマ》『目的』《思いこみ》を持つとは限らない。
  4. 『目的』は結果についてのイメージが情報としてモノの内部に存在する場合である。そのような《思いこみ》が必ずモノの内部にあるわけではない。
  5. 肉食獣が獲物を狙う時、『目的』を持っているだろう。
  6. 植物が、太陽に向けて葉を広げる時、その動きがもたらす結果についてのイメージを《思いこみ》として持っているかどうかは不明である。
  7. 《他者》の内心については、ヒトであっても、確認することができない。まして、植物においてをや。《他者》であるヒトについて『目的』を持つ、と考えるなら、植物においても『目的』を持っていると考えるのが自然であろう。アスファルトに埋まった小石の内部状態については、全く予想もつかない。しかし、『目的』を持っているということを否定することもできない。ヒトである《他者》『目的』を認めるなら、小石である《他者》にも『目的』を認めるべきであろう。
  8. 道具『目的』道具《アニマ》ではない。道具『目的』は、道具を利用する側の勝手な《思いこみ》である。

《アニマ》と生気論

  1. http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/2sizenkan.html
    1. 機械論的な自然観とそれとセットになった科学のあり方に反発したのはゲーテだけではなかった。アメリカの文学者で先駆的なエコロジストとしても知られるH・D・ソロー(一八一七−一八六二年)もその一人であった。フィールド・ナチュラリストとしてのソローは「安らかな共感を込めて自然を覗き込む自然になりたい」と願いつつ、自然を観察し記述した(D・オースター『ネイチャーズ・エコノミー−−エコロジー思想史』、リブロポート、一九八九年、一○七頁)。ソローの言う「自然を覗き込む自然」とはゲーテにおける「対象的思惟」に他ならないだろう。多少の時代的ずれはあるものの、大西洋を挟んで、ゲーテとソローは、ほぼ同じものを目指していたのである。アメリカの環境思想史家オースターは、ゲーテやソローの自然観を「牧歌的自然観」あるいは「ロマン主義的自然観」と呼んでいる。すなわち、牧歌的自然観とは、支配の対象として自然をみるのではなく、自然の一部としての人間は、生物界を含む自然全体との調和・共存を目指さねばならないとする生物中心主義的自然観であり、エコロジー思想の根幹を成す考え方でもある。この牧歌的自然観は、生物=有機体をモデルとして自然を捉える「有機体論」と密接不可分な関係にある。一方、前述した機械仕掛けをモデルとした機械論に立脚した自然観は、前述したように自然を支配搾取することを目指すことから「帝国主義的自然観」と呼ばれる。以上の議論を整理して、二つの自然観の特徴を次のように比較対照することができる。
    2.                       〔表〕二つの自然観の対比
自然観 態度 方法 モデル(世界観)
牧歌的自然観自然との共存・共生共感的・全体論的自然は有機体(有機体論)
帝国主義的自然観自然の支配・搾取客観的・分析的自然は機械仕掛け(機械論)
  1. http://www.cdb.riken.jp/emo/japanese/table/table3.html
    1. デカルト Rene Descartes;「方法序説」数学的精神, 動物の体を機械と比較, 動物機械論(生命機械論 Mechanistic view of life)生気論(アリストテレス的目的論と結合)とは対立, 理性的精神, 心身二元論
  2. アリストテレスは生気論に分類されているのか・・。
  3. http://anon1.com/90B68B43985F/
    1. 生気論(せいきろん)とは生命の営みには何らかの非物質的存在、すなわち生気が関わっており、合目的性が備わっているとする学説。一般的には機械論と対立するものとされる。現在では自然科学による生命現象の説明が行われ、生気論によるものと置き換えられてきている。現代の自然科学では機械論や実証主義などに基づく科学的方法により生命を解明しようとしており、生物の合目的性や非物質的存在は基本的に否定され、生気論は受け入れられていない。ただし現在でも自然科学によって説明できない事象もまだ多くあり、伝統医学|伝統医療における「気功#気|気」の理論など、非物質的存在の概念は臨床面で有効なものもある。またほとんどの伝統医療では生気エネルギー — 生物と非生物を決定づけるもの — が不均衡になることによって病が生じると考えた。西洋の伝統ではこれらの生命力は四大気質とされ、東洋では気やプラナなどと呼ばれる。
  4. 非物質的存在、っていうけど、情報とかエネルギーってのは非物質的存在ではないのか? カオス的な運動ってのは、機械論では説明できぬじゃろ。
  5. 自然科学によって説明できな事象の、根本的なモノ《我》だろう。主観的認識主体というモノだ。「実証的な方法」では客体的認識主体という矛盾したモノしか出てこないのだ。
  6. 情報は、或る主体にとってのみ存在する。主観的な存在である。ビット列はそのままでは何の意味も無い。それがcpuの状態によって、コマンドとして受けつけられればコマンドとしての意味を持つ、文字コードを受けつける状態であれば、文字コードとして処理される。整数の数値を受けつける状態であれば、整数として受けつけられる。かくのごとく、情報は、主観的な存在である。cpuという主体にとっての存在である。
  7. 我々が「cpuにとっての意味」というときには、我々がcpuの立場に入り込んで、その意味を理解するのである。《他者の世界の鏡像》でビット列の意味を知るのである。
  8. http://oak.zero.ad.jp/nexus/TERA8.9.10.html
    1. 二十世紀に入って、同じくドイツの生理学者ハンス・ドリューシュ(1867〜1941年)はこの機械論的還元に反発する。彼は胚の発生現象に目をつけて逆に、機械論的な還元ができない「エンテレヒー」なる生命独自の原理を提唱した。エンテレヒーは、ギリシア語で「目的(テロス)を自分の中に含んだもの」という意味のエンテレケイヤからきている。
    2.  こうしてドリューシュは、生理学からさらに心理学に移り、ついに生命の形而上学を訴えるようになった。彼の立場は、これまでのずさんな生命力論(生気論)をこえた、新生気論といわれる。
    3. ・・
    4.  さらに新生気論の哲学的後継者であるベルクソンによると、生物と無生物とは、まったくの正反対の方向に分裂させられている。

《ヒトのアニマ》《アニマ》

  1. 区別すべきか?
  2. 「心」とか「精神」といったモノの別名みたいだが、ヒトというモノに内在するモノとしての「心」とか「精神」を《ヒトのアニマ》という。

モノ動き《アニマ》

  1. モノ動きは、モノの内部の《思いこみ》《アニマ》=の噴出である。
  2. ビリヤードのボールがキューに突かれて動く時、ボールがキューの動きを感じて、《知った思いこみ》を持ち、動くことを《求める思いこみ》を持ち、その結果として、自ら動く。という説明方法も可能。
  3. そのような《思いこみ》の回路は、物理法則に反しない形で起るであろう。
  4. ヒト《思いこみ》の回路も、物理法則に反しない形で起る。
  5. ヒト動きを意図、意志といった《思いこみ》原因として説明し、《同質者公理》を採用するなら、モノ動きモノの内部の《思いこみ》噴出として説明すべきであろう。
  6. ビリヤードのボールがキューに突かれて動く時、キューに突かれたのは、ボールの表面の一部分でしかない。それがボールの全体を動かすのは何故か? キューに突かれた部分の《ちから》がボール全体に広がっていく必要がある。《ちから》が広がっていくというのはボールの内部の状況である。ボールの内部で広がるのは、『キューに突かれた』という情報の伝達=《知った思いこみ》の伝達=であり、《ちから》《求める思いこみ》=の伝達である。ボール内部の部分に広がっていく《ちから》は、ボール全体の《ちから》として統合されて、ボールを一定の方向に動かしていく。

ヒト《アニマ》《他者の思いこみ》

  1. 同じモノ、か? 《他者》というモノに内在する《思いこみ》、だから、同じ。

科学《アニマ》

  1. 科学者は自らの内の《思いこみ》の存在を観察できないのだろうか? 仮説は《思いこみ》である。検証は《思いこみ》モノとの弁証法である。検証への意欲は《求める思いこみ》である。実験のプランは《道具的な思いこみ》である。実験結果の予想は《道具的な思いこみ》である。実験結果の認識は《知った思いこみ》である。実験結果と実験結果の予想との突き合わせは《思いこみつつあるモノ》の作用である。実験結果と実験結果の予想との突き合わせから出てきた結論は《知った思いこみ》である。公表への意欲は《求める思いこみ》である。論文への記述は《知った思いこみ》コトバに載せることである。
  2. 《道具的な思いこみ》? 実験のプラン、実験結果の予想、検証すべき仮説。
  3. 科学は「ヒト《アニマ》」の一部分である。
  4. 科学は《神の視点》から《モノの世界》を客観的に観察して記述したコトバの体系である。
  5. 《神の視点》はヒト《アニマ》である。『神』ヒト《アニマ》である。
  6. ヒト科学コトバを使って、《神の視点》から《モノの世界》を客観的に見下ろすことができる。重ね合わせによる認識。
  7. 科学コトバ科学的な《知った思いこみ》の入れ物である。
  8. ヒト《知りつつあるモノ》科学的な《知った思いこみ》《思いこみの世界》入り込むことができる。
  9. 科学的な《知った思いこみ》《思いこみの世界》ヒトというモノの内在する《思いこみ》ヒト《アニマ》=である。
  10. ヒト科学コトバを使って《モノの世界》を認識するということは、《モノの世界》科学的な《知った思いこみ》重ね合わせることを意味する。科学的な認識とは《思いこみ》モノへの重ね合わせによる認識である。
  11. 《神の視点》とは外化された特別者の視点である。外化される前の特別者の視点とは、《我》の視点である。世界の中心としての《知りつつあるモノ》の視点である。外化された視点とは、鏡である。《知りつつあるモノ》世界の中心から逃れることはできない。《知りつつあるモノ》は鏡としての《神の視点》に移った世界を見るのである。《神の視点》の《思いこみ》の中に入り込むことによって、《私》は《神の視点》から世界を見る。外化された《特別者公理》
  12. ヒト《アニマ》は、《思いこみ》入り込むことによって新たな視点を持つことができるような《アニマ》である。『新たな視点を持った』という《思いこみ》を持つことができる《アニマ》である。モノの内部に内面化された鏡の《思いこみ》を通じて、その鏡に写った世界についての《知った思いこみ》を持つことができるような《アニマ》である。
  13. 追従ザルは、ボス猿コトバを通じて、ボス猿の視点を内部的な鏡として内面化して、『ボス猿』という鏡を通じて世界を認識する、という《アニマ》を持ったモノである。

《思いこみ》《アニマ》

  1. モノに内在しない《思いこみ》」はあるか?
  2. 《思いこみ》はそのモノ動き原因か?
  3. 《私》《思いこみ》《私》に内在する《私》《アニマ》である。
  4. 《同質者公理》によれば《私》《アニマ》があれば、他のモノにも《アニマ》がある。

《アニマ》《世界アニマ》

  1. 世界というモノ《アニマ》《世界アニマ》という。
  2. 泳ぐ時、プールの水は世界であり、身体がプールの水を感じる時、プールの水は《世界アニマ》噴出する。
  3. 《近傍物理空間》は、《世界アニマ》噴出する。が。《近傍物理空間》《私》《背後者》によって再構成された『世界』なので、《近傍物理空間》《世界アニマ》《私》《背後者回路》《アニマ》でもある。しかし、それは主として、《私》《共振しつつある身体》が感じた《共振しつつある世界》の中のモノたちの《アニマ》噴出である。《共振しつつある世界》の中のモノたちの《アニマ》は、整合的に再構成されて《近傍物理空間》モノたちを現出させるので、カオスであるよりは、コスモスである。しかしいずれにしても、《近傍物理空間》《私》の近傍のモノたちの群れで構成される世界《世界アニマ》噴出する。・・整合的な世界からは《世界アニマ》は少ないかも。《アニマ》カオスだから・・。

モノの内部者と《アニマ》

  1. モノAの内部者Bがあるとき、モノAの《アニマ》は内部者Bにとっては世界精神となる。(ヘーゲルの世界精神)。《世界アニマ》『現実』
  2. 或るモノ世界が有する《アニマ》《世界アニマ》という。
  3. ヘーゲルの「世界精神」は《世界アニマ》である。
  4. 《世界アニマ》はそのモノが属する《モノの群れ》の《アニマ》である。
  5. 或るモノが属する《モノの群れ》は多数ある。従って、或るモノ《世界アニマ》も多数ある。
  6. 《世界アニマ》《思いこみの世界》。現実的な《思いこみの世界》《世界アニマ》の投影である。主観的に再構成された《世界アニマ》である。
  7. 世界とは、そのモノが存在する場所である。《世界アニマ》は、そのモノが存在する場所が内在する《アニマ》である。

モノ《アニマ》

  1. モノ《アニマ》が内在するか?
  2. 《アニマ》の物質的根拠は何か?
  3. 物体に《アニマ》が存在するとはどういうことを意味するのか?
  4. 物体には「動き」が存在する。物体には物体の動き原因が存在する。物体の動き原因は、そのモノの内部状態(質料因)、外部関係(形相因)、そのモノの過去との関係(起動因)、そのモノの未来との関係(目的因)に分類できるであろう。それらの「動き原因」がそのモノの内部に存在すると定義したときに、それを《アニマ》という。
  5. 《アニマ》に対する反論は、『ヒト以外のモノには《思いこみ》は存在しない』という《思いこみ》だろう。
  6. モノ《アニマ》は、主として、そのモノの内部要因のカオスから生じる。多数の内部要因の連続関数はカオスを作り出す。
  7. 科学や論理学や哲学はヒトというモノに内在する《思いこみ》ヒト《アニマ》=である。科学《アニマ》の存在を否定することは、科学の存在自体を否定することになる。

モノ《アニマ》モノ動きの法則性

  1. モノは自然法則に従って動く
  2. 人であれ動物であれ、自然法則に従って動く
  3. モノはカオティックな動きの要素を持つ。3体運動。カオスは自然法則の結果として生まれる。カオス原因は自然法則である。しかし、人はカオス動きを法則的に予測することができない。
  4. 人は10個のビリヤードの玉の運動を予測できるかもしれないが、100個の玉の動きを予測することはできない。100個が予測可能だとしても1万個の玉のそれぞれの動きを予測することはできない。コンピュータによってそれぞれの玉の動きをトレースすることによって予測することが可能だとしても、「自然法則」による予測からはかけ離れたイメージだといわなければならなくなるだろう。
  5. 《アニマ》による予測は、その玉は近くの玉に動かされ、近くの玉を動かし、おそらくは、それほど遠くへは行かない、といった予測になる。ただし、群れの周囲にいる玉は、群れの外に飛んでいくだろう、という予測になる。その玉は、そのように動きたがっているのだ。
  6. ビリヤードの玉は、内部に状態を持たず、すべての玉は均質であると仮定されている。しかし、モノは均質ではなく、内部に状態を持っている。ビリヤードの玉ではカオス《状況》の中にあるが、モノカオスは外部の《状況》にも内部にもある。そのようなカオティックな動きをするモノ動き《アニマ》によって理解しようという分けである。
  7. 《アニマ》による認識は、カオスといった数学的な厳格な認識ではなく、人間的な認識能力にあわせた適当な厳格さ=曖昧さ=による認識である。数学に相性の良い地動説による認識ではなく、生活者に相性の良い天動説による認識である。
  8. 頭の中で1万個のビリヤードの玉の予測をせよ。《知りつつあるモノ》は厳格なトレースを諦めて、漠然としたイメージの中で、『ここら辺の玉はこのように動く』といった予測をすることになるだろう。《見通し》には漠然としたイメージが必要なのである。もちろん、コンピュータでシミュレートしたり、実際の実験で試してみる必要があるが、その結果を踏まえて、やはり、漠然とした《見通し》を持つほかはない。
  9. 《見通し》においては法則性よりも《アニマ》のほうが役に立つ。

《他者の思いこみ》《アニマ》

  1. 《他者の思いこみ》《他者》というモノに内在する《思いこみ》であるから、《他者》《アニマ》である。

『法』《アニマ》

  1. 法は《地表のヒトの群れの出来事》である。地表の《ヒトの群れ》『法』という《ヒトの群れの思いこみ》を保持している。『法』《ヒトの群れ》というモノに内在する《思いこみ》《ヒトの群れ》《アニマ》=である。
  2. 『法』と『規範』って何が違うんだろう? 「法は《ヒトの群れ》の規範である」としても、「《ヒトの群れ》のものでない規範」というのはあるのだろうか? 『格律』=「《ヒトの個体》の規範」というのがあるのか?

《アニマ》コトバ

  1. 《アニマ》コトバとして表現されるか?
  2. 《アニマ》コトバとして存在するのか?