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盗まれた鍵

第百八話:”盗まれた鍵”

「どう話しても相手と話が噛み合わない。
いつも一歩踏み込めず、つまらない奴だと思われる。
そんな経験をお持ちですか」

閑散とした喫茶店。その男はいきなり話を切り出した。
いかにも胡散臭い状況。
事実俺は街角でこの怪しげな男に
「あなた、人生に行き詰ってるような顔をしていますね」と
身もフタもない言葉を掛けられ、そのまま強引に連れられてここに座っている。

宗教や自己啓発ゼミナールの勧誘に引っかかったような事態。
俺も馬鹿ではない。都会での自衛方法は十分に身に付けているつもりだった。
しかし目の前の男は風采こそ地味で弱そうなのに、
何か奇妙なほどの圧力を持っていた。
断る事はできなかった。

「…仰るとおりです。
知人程度なら居ますが、何でも語り合える親友など持ったことがありません。
元々女家族の中で育ったせいか、
異性はもとより同姓とのコミュニケーションさえまともにこなせたことがない」

俺は話しながら、見ず知らずの男に家族のことまで打ち明けたことに内心驚いた。

「そうですね。今はそんな人がたくさんいます。
…表面上では社会人らしく振舞いながら心の扉を硬く閉ざし、結果孤独になっていく。
現代人が精神を病む大きな原因のひとつです」

「はい。一人で生きていけるならいいのだけど、社会生活を送る以上
他人と連携を持つ必要がある。
心を閉ざし続けてきた、俺のような人間には辛い限りです」

まるで言葉を引き出されているかのように、
普段には考えられないほど舌が回る。

「心中察します。…そこでですね。ひとつ、面白い話があります」

男はそう言うと胸元を探る。

「これは、鍵…?」

「はい。『心の扉』という言葉がありますね。
誰もが持ち、時には開け、時には閉ざす扉。
扉ですから、鍵束も誰もが持っているのです。
人は無意識のうちに、必要なときに必要な鍵を取り出して、
自分の心の扉の一部分を開放する。
あるいは、手持ちの似た鍵を使って、
相手の心を無理やりにこじ開けることもできます」
「…鍵とは、何かの例え話…?」

「違います。本当に面白いのは、ここから。
心の扉なんて言葉は、普通は例え話です…、
しかし。私の鍵は、あなたの心の扉を開けることができるのです」

男は様々な形の鍵の中から一つを選び、
「これは、あなたがこの街にやって来た理由の鍵」

がちゃり。
そう言って、俺に向けた差し出した鍵を空中で回し、「開けた」。

「…俺は。…ぼくは、故郷が嫌だった。
あの街。何も考えずに止まった時間の中で生きる連中。
狭く煮詰まった人間関係の中で、
何も話そうとしない俺は、奴らの格好の餌食だった。
奴らは俺を虫呼ばわりし、疎外し、
虫に関連させたあらゆる嫌がらせをされた。
…だけど、家ではただの優等生だった俺は、
その事は親に言わなかった、言えなかった。
毎日が地獄だった。
街を出ることばかり考えていた。
だけど、ぼくの家は母子家庭だった。
自立は、彼女を一人にさせる事だったんだ。
街を出る時に母さんは余りに驚いて…錯乱して…
ムキになって罵り合って…、そして、」

がちゃん。

「もう結構です。辛い経験をされましたね」

突然に喋りすぎて、息が上がっていた。
男が手にした鍵を「閉めた」とき、溢れ出す言葉は止まった。

「…今のは…」
「これが、他人の心の扉をこじ開ける行為です。
まるで魔法のように話してしまったでしょう…?」
「信じられない」
「見ず知らずの人間に話してしまうような事ではない。
 ご自分でも分かっているはずです。
 私はこの鍵を使って、実際的に、あなたの心の扉をこじ開けたのです」

「どうして、こんな事をするんですか。
…僕の全てを暴いて、脅しでもするつもりですか」
「いやいや。そんな事はない。
実は私は慈善団体の者でして。
鍵束を、皆様にタダでお分けしているのです」
「鍵…、この鍵束を?」
「いえ。これは私のものですからね、差し上げることはできません。
鍵はあくまで一人一人、皆違うもの。オーダーメイドで作っているのです」

「どうして、そんなことを…?」
「私は一職員に過ぎませんから、詳しくは知りません。
しかし。タダで鍵を作って差し上げることができるのは、事実です。
条件は、鍵を絶対に失くさないことと、
年に1度、使用状況について簡単なレポートを提出いただくこと、それだけです。
詐欺などではありません。
この私の鍵を使って、確認していただいても結構ですよ?」

『あなたは、人の心も自分の心も開く事が出来ないと言った。
心とは厄介なものです。掴みどころがない。
けれど実際に形としてある鍵を使えばどうでしょう。
例えば、あなたの心の必要な部分だけ開けて、他には厳重に鍵を掛けて生きる。
それだけでも、随分救われるはずです。
または、他人の心の似た部分を、似た鍵でこじ開ける。
きっとあなたは、一生の友人を得ることでしょうね』

最後に男の言った言葉を思い出す。
俺は結局鍵を作ってもらった。
恐れる心よりも、求める心の方が強かった。
鍵を作る作業は思ったより簡単なものだった。
病院に呼び出されて、心理テストとCTスキャン、血液を採取されただけ。
数ヶ月して…俺に送られてきた鍵束、連なる数十の様々な形の鍵。
手に取ると、思った以上に軽い。

先が二股に分かれた鍵を取る…と、不思議な感覚がする。
「これはあの、街を出た理由の鍵…」
手にとるだけで心に刻まれるように、ひとつひとつが理解できる。
「これは…初恋の相手についての鍵、家族のことの鍵、幼いころの夢の鍵、
 …思い出したくない記憶の鍵、本当に好きなことの鍵、嫌いなことの鍵…」

試しに、「初恋の相手についての鍵」を使ってみた。
自分に向けて、ガチャリ。回す仕草だけで思い出が一斉に蘇る。

…土曜日の昼下がり…、人気はなく…、
午後の陽がカーテンの外側を揺らしている。
小学生の頃。青白い空気の教室だ。
その日、僕と彼女は日直で一緒だったんだ。
彼女は近々、海外に引っ越すことになっていた。
早めのお別れ会も終わり、空白の時間を過ごしていたんだろう。
日直の仕事が一通り済み、終わったよと声を掛ける。
彼女は窓辺で、金魚の水槽を見つめていた。

「金魚。向こうの学校にもいるのかな?」
彼女はそう僕に言う。根拠なく答える。
「…そりゃ、絶対いるって!多分、すごくキレイなのがいるよ、外国だからさ」
「うん…」
水槽を見つめたまま、
僕は言葉を掛けることができない。

「だからさ。覚えていたいの。
いつでも思い出せるように…、今が最後だから、目に焼き付けたいんだ」

彼女は教室をぐるりと見渡して、

「大好きだったこの水槽も、その向こうに見える校庭も、
いつも賑やかだった教室も、静かなときの教室も、
クラスのみんなのことも、…キミのことも」

最後には僕の方を向いて、そう言った。
泡の音だけが教室に響いていた。
夏が始まるころの匂いと、透き通った水みたいな彼女の香り。

「絶対に忘れないんだ」

…僕も。
絶対に、忘れない。

がちゃん。

俺は鍵を閉めた。
この後は、ごくつまらない話…、
すぐして彼女が引っ越した事、友達の女子が泣いていた事、
手紙を出そうとした事、だけど、料金不足で返ってきた事。
その後、俺は急に恥ずかしくなって手紙を川に捨てたんだっけ。
彼女が外国から帰ってきたときにはすっかり大人びていて、
その頃、俺はもう、今とたいして変わらなくなっていた。

「…忘れたのかな?」
「俺は…、覚えていた」

そんな事ばかり考えてしまう。
鍵を全て手に取り、開けることはもうせずに、厳重に閉めた。
すると、嘘のようにコロリと眠ることができた。
久々の熟睡だった。

生きる事は苦痛だ。
アルバイトの時間が近づくたびにそう思う。
しかし、今日はすこし違うのだ。
厳重に締められた心の扉は、ちょっとやそっとで揺らがない。

「おはようございまーす」
「…はよっす」
「…」
バイト先のコンビニ。
いつになく声のトーンが高い朝の挨拶に、同僚の後輩が怪訝に俺を見る。
店長は横目でちらり。
棘を刺すような態度も気にならない。まるで傍観者のような気持ち。

アルバイトは人の多い時間帯だけ3人で対応する。
といっても今日のように天気の悪い日は客足も遠のき、雑談も増える。
俺はこの雑談って奴が大苦手だった。
何の話を振られても困る。全くついていけない。
よって必然、孤立する。その居心地の悪さ。

「でさあ。そのAV女優がさ、凄ぉおおおおく不細工なわけ。
もう何に例えたらいいのか…、フットボールアワーの岩尾?」
「岩尾っすかww、店長そりゃ嘘だぁ、ありえねッスよ!」
「いやマジマジ!今度貸したげるから、本当ありえないんだ」
「勘弁してくださいww、あ、先輩いいじゃないっすか、借りてみたら?」

で、こういう話題を振られると特に困る。
大体突然振られるとは分かっていないから、ワンテンポ遅れて「あ、俺、」と言う頃には

「え〜?彼にぃ?彼はさぁ、コドモ好きだからぁ」
「ははww、相変わらず先輩ロリコンだ」
「森山クン、店内でそんな言葉いっちゃだめだぁ、
お客さん入ってきたらさぁ引いちゃうからさぁ」

この間2秒。そもそも入れる余地がない。
断じて言うが俺はロリコンではない。初級〜中級の2次コンだ。
話は半月前に遡る。
店にやって来た幼女が、プリキュアのTシャツを身に着けミックスコミューンを熱心に弄り
フラッピとチョッピのキュートな音声おしゃべりが聞こえてきたので、
俺はつい注視してしまったのだ。

その視線をどう勘違いされたのか、今や腐れペドの仲間入り。
事あるごとに揶揄され、いくら辞めてやろうと思ったか。
…そうだ。どうせ辞めるなら、「暴いて」からでも遅くない。
俺がロリコンであると言うのなら、お前達は何なのか。
胸中の鍵をそっと出す。

「森山君、えーと。そういう君は、ほんとの所どんな性癖なの?」
「へ!?何言ってんすか突然」
店長が眉をしかめて俺を見る。
「ちょっとぉ。何なんだよ普段はウンともスンとも喋らないのに、
いきなり失礼じゃないのぉ」
「何だっけ変な空気ww、いや俺は巨乳好きっすよ。ちょっと熟女入ってるかもww」

「それ、ホント?」
「…何なんすか。言っときが、あんたみたいな変態とは違うよ」
「ロリコンじゃないけどね俺は。まあいい、俺を見ろよ」
「…あ、いらっしゃいませぇ!ほらお前、バカ!お客さんだぁ」
「何睨んでんだよ、きめぇ」

右手には鍵。この鍵が彼の性癖を暴く。

がちゃり。思いっきり開けた。

「俺は普通の趣味だっつってんだろ。普通の趣味だって…、
普通の…、普通…、不通…、便秘がね、
あれ?なんだ?俺、いや、
…最高だよなぁ便秘だったら!俺も彼女も大好き、スカ、それで知り合ったんだよ!
なんたって俺は大が好きだね、浣腸入れてギリギリまでクンニしてやって、硬いのが一気にブバァッと来るんだ!
あれ、なんだ糞ッ!…糞、いいんだよなぁ、俺はもう女の顔一目で分かるよ、
そいつの糞のパフォーマンス。あの客は怪しいな、腹張ってて、まさに臭ぇ、いいモノ貯えてる!
へへへwww、あんたひり出してくれよこの店の便所でさ、昔から掃除当番の日はウキウキしてさ!」

怯える客。うろたえる店長。狂ったように持論を説く森山。
「ちょ、ちょ!な、何言ってるんだぁ森山クン!お客様すみません、ちょっと錯乱していまして!」

「そうだ、あんたの性癖も聞かなきゃな」
がちゃり。

「何ださっきから!お前いったい何を…、な…、やめろぉ、
お前、あなたさっきから…、
…アタシの森山クンに何をするのよぉ!
イヤッ!アタシを…暴かないでぇ、もっとロマンティックな状況で言おうと思ってたのに…
そうよ!もう打ち明けちゃう、森山クン、あなたみたいなタイプが好き、大好きなのぉ!
そのがっしりとした首、若くしなやかな身体のライン、プリプリしたオケツ、
中腰になってるアナタを見て、どれだけバックで突かれたいと妄想したかしら、
あたしを抱いてッ!うんちなら、いくらでも出してあげちゃう、ねぇ、もう構わないわ、ここでキスしてぇ!」

叫ぶ客の尻にしがみつく森山、その尻にすがりつく店長、
もう無茶苦茶だ。
鍵が、ここまで効果のある代物だとは思わなかった。
鍵を締め、呆然とする2人、客は逃げ帰り、代りに警察がやって来た。

2名連行。
やがて雨は上がり、おかげで俺は、
増援が来るまで殺人的な仕事量を一人でこなすハメになった。

翌日から2人はやって来なかった。
店を変えられたか、それとも、辞めさせられたのか。
あの鍵は予想以上に危険だった。
これからは安易に使わないようにしようと思う。

代理でやってきたのは、新しい店長と若い女性。

「それでは、慣れないうちは色々聞かせてもらうけど、よろしくね」
「お願いしますね、先輩」

新しい2人は落ち着いた大人という感じの店長と、
マジメで優しそうな女の子だった。

鍵のおかげで心に余裕が出たせいか、
第一印象、いい人が来たなぁと素直に思える。

「先輩、この商品はここでいいですか?」
「あ、それ売れ筋だから。一番上でお願い」

明るい対応。丁寧な仕事態度。
いい感じだ。

「さて、もうこんな時間か。しばらく奥で休んでていいよ」
「店長、いいですよ、俺残りますから」
「大丈夫。丁寧に教えてくれたからバッチリだよ。
ここは任せて、2人で休憩しておいで」

休憩室で2人。

「先輩、お茶入れますね」
颯爽と立ち、戸棚に向かう彼女。
「いいよ、俺がやるから。分かんないだろ?」
「私、こういうの探す嗅覚があるんですよ。
あ、コーヒーだ。紅茶も…、シュガーとホワイト…、あった。
先輩、コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
「…コーヒーで」
「分かりました!あ、コップだけ、どこか教えてくれますか?」

みるみるうちに準備をすませる彼女。
インスタントだけど、ドリップの仕方が堂に入っている。
すぐに2人分のコーヒーが用意された。

「先輩、この店長いんですか?」
テーブル向こうの彼女が質問する。
「まだ1年半くらいかな」
「あ、それじゃあやっぱり先輩ですね。
 私、前の店では半年お世話になってました」

「前の店はどこだったの?」
「一駅向こうの、市役所の前のお店です。
いい所でしたよ、人も、環境も」
「へー。全く、いきなり飛ばされて…、災難だね」
原因は俺だ。

「いきなり異動を聞いたときは驚きました。
…けど、先輩も店長も、優しそうだから。安心しました」
「はは、店長は優しそうだね」
「そうですねー、すごく包容力が感じです。
 先輩も、私ミスばっかりなのに、優しく教えてくれました」

いい子だ。
ここでかつての俺なら、虐げられた記憶から猜疑心が鎌首を上げ
こいつぁこうは言いながら裏ではキモッ、さっさと帰ってまんこまんこ、
と思っているに違いない、とドロドロの精神状態になる訳だが、
それらをしっかり施錠した俺は素直に彼女を評価できる。

「ところで先輩、おいくつですか?」
「俺?23だけど」
「そうなんですか!それじゃ、同い年だったんですね」
「ほんと?なんだ、じゃあ先輩じゃなかったね」
「やっぱり先輩ですよ。私まだ、半年だもん。
 そっかぁ、同級生かぁ」
と言って、なぜか嬉しそうな彼女。
生まれが同年代というだけで編み出される連帯意識。謎だ。

「さて、そろそろ店長と交代してくるよ」
「あ、私が…」
「初日で疲れたろ?店長とも一度話したほうがいいし、座ってて」
「すみません。それじゃお言葉にお甘えして」

一人でレジに立っていた店長と替わり、レジに立つ。
こうして休憩時間を譲り合うのも、今まではなかったことだ。
客がまばらな時間は、たいてい一人でレジに立たされていた。
店長が心配りできる人間だということがよく分かる。

休憩室から談笑の声が聞こえる。
さて、ここで以前なら、俺がまともに話せないのに奴らは
軽々と楽しげな時間を過ごせる、俺は何なんだ、存在価値とは何か、と
自意識の牢獄に囚われている訳だが、今は大丈夫だ。

けれども。
あれだけ渇望していた和やかな会話に、特に感ずることがないこと。
会話をしていても、心はここになく、離れたところで見ているような。
そんな醒めた感覚が、寂しくはないが…、少し不思議だった。

「おはようございまーす」
「先輩、おはようございます!今日、いい天気ですね」
「おはよう。そうだねぇ、外、ポカポカしてるね。
 こんな日はツーリングでも行きたいなぁ」
「店長ダメですよ。バイク、免停食らってるんですから」
「…あ、うーん」
「あはは先輩、それ禁句です」

数ヶ月が過ぎる。
職場はすっかり和やかな雰囲気だ。
新しい同僚の性格も、少しづつ掴めてきた。

「ほんっと災難だよなぁ…、
 200キロオーバーたって無人の田舎道なのに」
「いやいやいや。店長、ゲームでも200は中々出ないですよ」
普段は穏やかだけど、バイクに跨ると性格の変わる店長。
「あははは。あ、ところで先輩、お貸ししたビデオ、どうでした?」
「渋いねえ。小鹿刑事が葉巻をふかす度にゾクッと来たよ」
見かけに似合わず、昔の刑事物が好きな後輩の女の子。

そして俺はどんな人間だったのか。
鍵はずっと締めたままだった。
何を聞かれても、俺の趣味や意外な一面は出てこない。
ごくつまらない人間。

しかし、それでも以前のように孤立することはなかった。
同僚の彼らは、俺を俺として認めてくれる。
俺も、個性豊かな彼らを受け止めることができる。
何もないから。
だからこそ欠落や、劣等感を感じない。
それを充実、というのかもしれないと思うようになった。

少し遅れた昼食は、店長を店番に、俺と彼女が先に済ませる。
いつもの和やかな昼下がり。

「先輩、今日のコーヒーどうですか?」
「え?そういえば、なんだかすっきりしてるね」
「ふふ、美味しいですね。水出しですから」
「あ。昨日、店長にもらったコーヒーメーカー。試したんだ?」
「はい。私もコーヒー大好きだから、 店に置いてくれて嬉しいです」

昨日は俺の誕生日だった。
店長からはコーヒーメーカー。せっかくなので、店の共用にした。
彼女からは「寝る事が趣味だ」という俺に、安眠用アロマテラピーのセットを貰った。
誕生日を誰かに祝ってもらえること。
もしかして、家族以外では初めてだったかもしれない。

「そういえば、誕生日はいつなの?俺もお返ししなきゃ」
「え、いいですよ、そんな」
「せっかくプレゼントもらったんだから、
返す事も楽しみのうちだよ。俺も、店長もさ」
「…なんだか、逆に催促しちゃったみたいですか?」
「ははは」
「私、10月10日生れです。八方美人のてんびん座ですね」
「…10月10日?」

10月10日。
その日に何かがひっかかる。
俺にとって、重要な日付だ。
…思い出すことは、当然できない。

「あの…先輩、どうしたんですか?」
「あ…いや。体育の日に生まれたんだね」
「そうなんですよ。小学校のころ体育祭がその日で、
みんなクタクタだから、パーティとかぜんぜん無かったんですよねー」

家に帰り、久々に鍵の束を握り締める。

彼女の名前。
同い年だということ。
10月10日。
届かなかったバースデーメール。

がちゃん。

…全て思い出した。
彼女は、俺の初恋の人だった。

10月10日。
初恋の人の誕生日に、彼女は目の前にいた。

「おめでとう。コレ、プレゼントね」
店長が彼女にあげたものは、どこから手に入れたのか、
古い探偵ドラマの助演男優のフィギュア。
「わぁ!し、渋い!店長、探してたんですよ、コレ!
 どこで手に入れたんですか?」
「いやははは。その筋で」
「わぁ、葉巻付きだよ。…すっごく大事にします!」
「やはは。そんなに喜んでもらえると、嬉しいなぁ。
 ほら、彼も何か用意してたよ。きっと、すごくいいもんだ、うん」

「あ…えっと。俺のは、後で渡します。
お昼、少しいいかな。そこの公園行こうよ」
「公園…ですか?」
「ああ…、ちょっとここでは恥ずかしいから」
「え…と」
「あー。さては、よっぽど乙女チックなプレゼントだな。
 うんうん。気持ちは分かる、店は任せてゆっくりしてきなさい」
「…駄目かな」
「…いえ。じゃあ、お昼に」

その日の午前中の仕事は、少しいつもとは違う。
彼女は、きっと何か察しているのだろう。

鮮烈な空気。
体育の日とあって、公園ではジョギングをする人を多く見かける。

「先輩。ここ、空いてます」
ベンチに2人で腰掛ける。
食事は毎日共にしているのに、すこし違う感覚。
会話はない。

「あー、…秋だねえ。あのケヤキ、もう随分黄色いな」
「あー…、黄色いですねぇ。右の木の、倍くらい」
少し間の抜けた会話。

食事が終わる。
「あの…、先輩。コーヒーです」
「ありがとう」
また、黙々と飲む。

「ごめんな。こんな所呼んでさ」
「いえ。ただ…」
「ただ、何?」
「店長を待たせて、悪いなって」
「…」
「ごめんなさい!けど…何だか、これって…」

紙袋を探って、丁寧に包装したそれを差し出す。
「プレゼント」
「先輩…」
「開けてみてくれる?」
「…」

出てきたのは小さな箱。
その中には…

「これ…、風鈴…?」

金魚の絵柄が入った風鈴があった。

「金魚、好きだったよね」
「金魚は…好きです。
 けど、どうして先輩が知ってるの?話した事はない…」
「ずっと昔…小学生の頃、
 君はいつもクラスの金魚の世話をしていた」
「…!」
「普通、女の子はあまり水とか触るのが苦手だったから、
 その姿はよく覚えてる。
 夏休みにも毎日毎日世話をしに出かけていたらしいね。
 けれど、あれは秋のはじめだったか。
 君は、家族の都合で転校することになった。それも、ずっと遠くへ」

彼女はただ風鈴を見つめて。
「どうして…それを知ってるんでしょうか」
「そんな彼女の事を忘れられないバカがいてさ。
 みんな嫌がってた金魚の世話を受け継いだ。
 で、手紙を書こうと思ったんだ。彼女の誕生日に。
 彼女が、金魚のことを心配していると思って。
 俺がちゃんと世話しているから、ってね。
 向こうの国はすごく暑いらしいから、金魚の柄が描かれた風鈴といっしょに」

「…私は、そんな手紙を知らない」
「バカだったんだ、本当に、…俺は。
 封筒に無理やり小さな風鈴を入れて、ギリギリでポストに入れた。
 50円切手をありったけ貼り付けてね。
 そんな手紙が届くはずがない。
 返信されて戻ってきたとき、
 切手を勝手に持ち出した事で凄く怒られてさ。
 手紙とプレゼントは…捨ててしまったんだ」

沈黙。
ジョギングの一団が前を通り過ぎる。
取り残されたようなふたり。

「…金魚は、その後どうなったんでしょうか」
「ちゃんと世話したよ。
 だけど…、君が再び戻ってくるころには、みんな死んでしまった」
「それは…良かったです。
 ありがとうございます」

彼女が立ち上がる。
その手にプレゼントはない。

「どうして、受け取ってくれないんだ」
「先輩」
「…」
「私、このプレゼント…受け取れません。
 そんな資格は、無いんです」
「資格なんて関係ない」
「あるんです。
 私…、先輩として、かつてのクラスメイトとして、あなたの事は好きです。
 だから…、打ち明けます。
 私、店長のことが好き。この数ヶ月間、ずっと見てた。
 だから、先輩の気持ちには…」

「違う!今は、好きとかそんな事を言ってるんじゃない。
君に、あの日渡せなかったものを渡したかった…それだけだ。
ずっと後悔していたんだ、君が帰ってからも、
いくらでもチャンスがあったのに渡せなかった事…
俺は、それを取り戻したかっただけなんだ!」

「先輩!…勝手に、人を美化しないでください。
それ以上昔のことを思い出させるなら…私は、あなたを嫌いになってしまう」

嫌い。
言葉に、心が疼く。
心の扉の隙間から、感情が漏れ出すのが分かる。

「嘘だ!あの日のことは、美化なんかじゃない。
俺は、はっきり覚えている。君は、俺のことを絶対に忘れないって言った…」
「…知らない」
「いや!君は、きっと覚えている!」
「知らないって!」
「思い出させてあげるよ、君の、初恋の人」

あの日の思い出の鍵。
初恋の人の思い出の鍵。
それを握り締めて、回した。

「…私。大好きな人がいた。
…あれ、どうして…、話してるんだろう。
彼は、毎日金魚の世話ばかりして、ヘンな奴だって思われてた私を
ただ一人認めてくれた人だった。
みんなは、私のこと避けてた。
男の子は、みんな。女の子は、形だけの友達を除いて、みんな。

…彼は、夏休みに教室に来ると、いつもいた。
私が不愛想なのは照れ隠しだった。
そんな生意気な私に愛想をつかさずに、見守ってくれたあの人…」

…あれ?
…知らない、知らないよ、そんな人。
…ぼくは、夏休みには、ずっと家にいた。

「私が好きだった人…、先生のこと。
いつも飄々としていて、だけど、すごく包容力があって、優しかった。
水槽の掃除が終わると、お前は本当に優しいな、って褒めてくれた。
それが嬉しくて、毎日毎日学校へ通っていたのかもしれない。

海外への引越しが決まったとき、嬉しさと悲しさが半分ずつだった。
クラスの居心地は悪かったけど、先生と別れるのは辛かった。
あっという間に日は過ぎて、引越しは目の前…、
それで…、先生に告白をした。
好きです。
今は無理でも、…大きくなったら、付き合ってください…、
バカだよね。
当然、断られた。
きっと大きくなったら、他に好きな人ができるよ。
君は優しいけど、寂しい子だ。その時には、たくさん甘えなさい。
彼はそう言った。
彼の腕の中で、思いっきり泣いた」

…知らない。そんなの、全然知らなかったよ。
…先生なんて。…ばかじゃないのか。
…ぼくは、ずっと君を見続けてきた、あの日だって…

「…先輩、ごめんなさい。
実は私、あなたの事…大嫌いだったの。
あなたの視線が気になった。
いつも、世話をしてるときばかり見て、ああ、変な奴だと思われてるんだなって。
…何も気付いてなかったんだね。
あの日…確かに思い出せるよ。
泣いて、泣いて、結局捨てられたんじゃないかって。
バカみたいにしてた金魚の世話も、みんなに不気味がられただけで、
何の意味も無かったんだって。
最悪の気分だった…、こんなの、忘れてたまるかと思った。
意地を張って失敗するなんてコリゴリだった。絶対に忘れないって」

『…キミのことも』
『絶対に、忘れない』

鍵を閉じる。

全ては、彼女の言うとおり。

俺の記憶は、盗まれていた。
誰に?
自分自身で?都合のいい部分だけ?

「先輩。…どうして、こんなに話してしまったのか…
分からないけど、理由は聞きません。
私、最低だから。

…いまの先輩のことは本当に好きです。
できたら…すごい、我侭なんだろうけど、
今までみたいな、あったかい関係でいたい。
だから…受け取れません。ごめんなさい。
…あはは。
店長、待ってるだろうから、先戻りますね…」

今の俺が好き。
何もない、この俺が?
そうやって。八方美人で切り抜けて。
また、お前は俺の心を奪っていく。
…打ち明けることで、俺の記憶の鍵は、
何より大切で、何10年と守り続けてきた鍵は、
盗まれ、用意に砕かれた。

寂しい感情に連なること。
やりきれない感情に連なること。
全て厳重に閉じたはずなのに、たまらなく寂しくて、やりきれない。
鍵を取り出して、滅茶苦茶に閉める。

心に響く異音。
なんだ、鍵って折れるんだな、こんな簡単に。

俺はそのまま、家に向かっていたのだろうか。
誰か、おかしな人間が立ちふさがっている。

「おい…てめぇ。止まれや」
誰だよ。
「おら、覚えてっか。久し振りだなぁ?
俺だよ。も・り・や・ま。出てきたら、まっ先にボコボコにしようと思ってたぜ」
もりやま?知らねぇ。
「っけんなコラッ!」
腹に蹴り。
「お前がッ!妙なことしたせいでッ!」
顔に膝、2発、あ、3発、
「前科付くわ、振られるわ、内定も消えて、俺の人生さぁ、ボロボロだ!」
おいおい。頭はまずいよ、マジで…
「なめんなッ!死ね、マジ死ね」

人が集まる。

「ちッ。いいか。元店長の変態親父も、お前殺すってよ。
俺も殺し続ける。逃げんなよ、コラ」

朦朧とする頭。
痛みって、鍵で締められないもんかな。
…さすがにそれは…、なかったな。

その日の夜、俺は故郷へ向かう電車に乗った。
これ以上殴られてたまるか、というのも一つ。
そして、俺にはもう何一つない、という確かな予感。

店長や彼女から電話があったけれど、面倒なので切った。
本当にいい人たちだ。
普通、見捨てる所だろ?そこはさ。

故郷はそこにある。
きっと変わっているだろう、故郷。
造りの新しい駅前デパート。
閑散とした住宅街。
賑やかだった思い出は、きっと心の底に眠っている。

白い校舎と、大きな体育館が建つ小学校。
田舎らしい悪趣味な飾り付けの花壇。
何もかも身新しいのに、我が家への道を覚えているのはどうしてだろうか?

鍵を与えた男に、レポートで報告すべきだろう。
この鍵はまだ不完全だ。

ぼろぼろの家の前で立ち止まる。
庭から溢れるゴミの山、更に誰かが捨てただろう空き缶や生ゴミ。
それは間違いなく我が家だった。

ベルは鳴らなかった。
中に入る。
足の踏み場もないゴミの山。

「母さん」

子供をあやすおもちゃや通学用品が積まれた部屋。
母はその中にいた。
うす汚い椅子に掛け、ゴミの女王さながらに。

「帰ってきたよ」
彼女は答えない。

「8年前に飛び出た息子だ」
彼女はそれを聞くと、肩をすこし震わせて俺を見た。

「…おお。おお…」

恐ろしく見開いた目から、涙が零れ落ちる。

「戻ってきたんだね…ああ。
 信じてたよ、あの人でなしに裏切られたのは、
 あの男がどうしようもないクズだから。
 けど、あんたは私の子だ…、裏切れるはずがない、
 ずっと戻ってきてくれるって、信じてたよ…」

痩せこけた母。
俺が盗んだ8年間。
たった8年の歳月が、人をこんなに変えるのか?
裏切りと孤独が、ここまで人を追い詰めるのか?

彼女が手を伸ばす。
ボコボコに歪んだ俺の頬に手をやり、両手で抱きしめる。
「…そうだ、こうやって抱いたわね、
 あんたがこの家を出たとき、こうやって抱きしめた。
 一人でもちゃんとやって来なさい、
 あんたは立派な息子だって。
 本当に、約束通り立派になって帰ってきてくれたのね…」

その記憶。

母さんもまた、作り変えている。
彼女はが差し伸べた手。
それは、俺の首に掛かっていた。

俺もまた、彼女の心を盗み、作り変えさせたのだ。
真実の鍵は、今俺の手の中にある。

「…うん、母さん。俺は戻ってきた」
「そうだね。そうだね…」

「けど、俺はもう、あなたの息子じゃない」
「何を言ってるの。
 息子じゃないか。たった一人、血を分けた家族…」

「ごめんなさい。本当に、今までありがとう…
 さよなら、母さん」
「な…何を言ってるの。悪い冗談よね、悪い冗談…」

がちゃん。

手にした鍵。
家族の記憶。
母に向かって、その鍵を閉めた。

「…何、ここ」
「正気に戻られましたか」
「分からない。…あなた、どちらの方?
 …この部屋、何なの?私…、」
「市役所の者です。
 あなたは、長い夢を見続けていたらしい。
 …後は任せてください。ゆっくりと療養して…、
 全てはそれからだ」

心の鍵は盗まれた。
鍵ごと、記憶ごと、全てが壊され、もう取り戻すことはできない。

誰が?
鍵を形にしたあの悪魔のような男?
それとも、俺の美しい思い出の鍵を奪い砕いた彼女?

いや。

選び、自分自身の記憶を盗み、さんざんに愛撫し、
挙句の果てに壊したのは俺自身だ。
母さんの記憶を鍵ごと、もう開けることができないように、
全て盗み隠したのも俺だ。

最後のレポートとともに、俺は鍵を送り返した。
「この鍵は不完全です」と、一言だけ添えた。

俺はこれから、平穏に生きるだろう。
あらゆる絆、あらゆる苦悩から切り離された人生だ。

けれども、たまに漏れ出すこともある。

ゴミ屋敷を掃除していると、処分したはずの風鈴が出てきた。
古ぼけた、安っぽい風鈴。
それを手にして、俺はほんの少し涙を流した。

喪にも

可妙な
物 語

作品情報

作者

出典

  • 第ニ夜[260-264][283-307]

あとがき

  • (投稿なし)
Last modified:2007/02/18 04:10:28
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References:[第百一話〜第百十話]