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21-335

・システム 真女神転生X
・キャラ  運命の少年(基本ルール)、影の銃姫(闇のプロファイル)
・傾向   長い! 暗い! ハードレズ有(!?)


「あなたが本当の救世主なら、生き残って」
頬に涙の筋を引いて、彼女は言った。
片手に構えた銃を、俺に向けて。
その時、俺は何も出来なかった。
逃げる事も、立ち向かう事も、言葉をかけることすら、出来なかった。
響く炸音。雷鳴のような音が鼓膜を通り抜けていくのに、じっと身を任せて。
彼女の放った銃弾が、心臓のある左胸に吸い込まれていくのを、俺はただ見ているだけしか出来なかった。


初めて彼女を見たのは、2年にあがって最初のHRだった。
別に、一目見るなり衝撃を覚えた――とか、そういうわけじゃない。
サラッとした長い黒髪が印象的で、対照的に、肌の色が透けるように白くて。
綺麗な子だな、と密かにときめいたりはしたけど。
でも教室の席で友達と談笑する彼女は、それ以上は特にどうという事も無い、同年代の女の子に過ぎなかった。

その頃は、まだ俺も、そして恐らく彼女も、小さくて退屈で、でも満ち足りた『日常』の中にいたんだと思う。
同年代のヤツラと同じように、朝起きれば学校に行き、夕方は帰りがてらに遊び歩いて、勉強は嫌いでも、テストの結果が良ければいい気になり、悪ければ落ち込んで。
家族には色々と小さな不満を持ちつつも、親父に小遣いをせびったり、夕食に母さんが好物を作ってくれた時には、少し上機嫌になったり。
そんな、ささやかな幸せに浸っていた。
そして、学校という小さな『日常』の世界で、彼女は確かに光っていた。

学年一の秀才だとか、運動神経抜群で大会で優勝したとか、生徒や先生に完璧に信頼されていたとか、
そういうわけじゃあない。
確かに、勉強は良く出来たし、運動神経も悪い方ではなかった。友達だってたくさん居た。
けれど勉強も運動も、学年主席や、運動部のレギュラーに敵うほどじゃない。
友達は多かったけど、仲の悪い相手だって、何人もいた。
美人ではあった。けれど同じくらい可愛い子だって、多くは無くても何人かいた。
『そこ』にいるのが、彼女でなければならなかった理由なんて、ない。
けれど、いつも彼女は、自然とクラスの中心に居た。
明るくて気さくで、芯の部分はしっかりしている女の子。
そんな人間だから、彼女はいつも、周りの人間に頼られていた。

きっと成績や運動と同じように、彼女よりも人望やカリスマのある人間は、他に捜せば、きっといくらでも見つける事が出来ただろう。
けれども、あの学校の、俺と同じクラスでの毎日は、そんな事と関係なく楽しかった。
他愛ない箱庭のような世界でも、俺達は満足していた。たとえ視野が狭かったのだとしても、俺はあの頃の幸福を否定するつもりは無い。

ただ、ここまで偉そうに言っておきながら、かく言う俺は、彼女ほどにも勉強も運動も出来ず、目立つ方でもなかった。
だから、それなりに美人で、勉強が出来て、人気者の彼女とは、口を利く機会なんてなかった。
まともに話したのは、新しい学年がスタートしてからいくらか経った、5月の体育祭での事だ。
くじ引きで決まった演目を確認して、自分の幸運が信じられなかった事を、今でも覚えている。
心密かに憧れていた女の子と、二人三脚で組む事になるなんて、誰だって出来すぎだと思う筈だ。
ぼんやりと呆けていると、彼女は自分から、俺の席の前にやって来た。
「運動、得意なほう?」
「あ、ああ、それなりに」
とっさに無愛想な反応を返してしまった俺に、彼女は変わらず、眩しい笑顔を見せてくれた。
「頑張りましょう」

練習の合間に、彼女と交わした会話。
好きな食べ物、趣味、音楽、テレビ、etc――。
友達同士では、なんでもない会話だ。
けれど些細な情報1つを得るたび、荒いラフ画だった彼女の像に少しずつ色が付いていくような気がして、言葉を交わすたびに、俺はドキドキしていた。
ケーキよりは和菓子が、特にどら焼きが好きだということ。
家では、飼っている猫をいじくるのが趣味だということ。
韓流ドラマが結構好きで、中学生の弟と、よくチャンネルの奪い合いになるということ。
知るたびに彼女との距離が縮まり、そして彼女と一緒に居られる時間に、より大きな幸せを感じるようになっていった。
俺自身の事も話したように思う。それに彼女がどんな反応を示したかは覚えていない。きっと、自分の事を話すだけで手一杯だったんだろう。
恥ずかしかったし、彼女に嫌われるかもしれないと考えると少し怖かったけど、自分を知ってもらう事は、嬉しくもあった。
最初は動きが合わなくて散々だった二人三脚も、練習を重ねるほどに上達した。
だけど体育祭本番で、俺達は惜しくも2位だった。
悔しいなあ、と、言葉とは裏腹に快活に笑った彼女は、足首を結んだ紐を解く間際に、言った。
「来年は、1位を狙いましょう」


一ヶ月後、彼女は行方不明になり、そして遂に帰ってくる事はなかった。


額に乗せられた、冷たい感触で目を覚ました。
目に映ったのは、記憶にある彼女の笑顔じゃなかった。夢の続き――じゃあない。
険しい表情で覗き込んでくる皆の顔を見返し、口を開く。
「ここは……」
「私の診療所よ」
ハスキーな声で『先生』が言う。
言われてみると、確かに見覚えのある部屋に、診察ベッド――先生の診療所に違いなかった。
ポンと、横から投げられた物が目の前に落ちてくる。
ひしゃげてもとの形を留めていなかったが、これは――学章バッジ?
冗談でも、大口径の銃弾を止められるような代物じゃない。
しかし、角度の問題で当たり所を逸らしてくれたのだとか。
「お前の命が助かったのは、本当に僥倖だ。『幸運』以外の何物でもなかった」
厳しい声音で、きっぱりと言うのは『アニキ』。普段は気さくな人だけど、こうなった時、アニキは本当に怖い感じがする。
でもきっと、その怒りは俺に向けられているものじゃない。

重い沈黙が部屋に落ちる。
望まれた筈の再開は、予想だにしない、最悪の形だった。
彼女の姿を目にした時の、心からの安堵と喜び。
それらは一瞬後に、跡形も無く溶け落ちた。
「だから言ったでしょ、あの子、もう死んでるって」
ベッドの縁に腰掛けた小さな妖精が、痛ましげな顔で目を合わせてくる。
確かにあの時、コイツはなにか警告を発していたような気もする。
謝罪と、傷を治してくれた礼を言うと、ピクシーは何も言わず、俺から目を逸らした。
黙り込む間に、アニキは俺が寝ている間に調べてきてくれたという情報を、ぽつぽつと話してくれた。
彼女がガイア教団の、『CAGE』と呼ばれるネクロマンサーのグループに捕まっていた事。
そこで彼女は命を奪われ、アンデッド――幽鬼として蘇らせられ、連中の『使い魔』にされた事。
救世主を殺すため、暗殺者として働かされている事など――。
「もう躊躇っている場合じゃない。放っておけば、彼女はこれからも殺し続けるぞ」
アニキの言葉に、反射的にベッドのシーツを握り込む。
言いたい事は分かる。分からない筈がない。
だけど……。
「確かに、私達が動かなければ、もっと多くの人が殺されるでしょうね」
同調するように、先生が口を開いた。
「そして私達が動かなくても、いずれは〈メシア教会〉か、〈葛の葉〉や〈クレイモア〉といった退魔組織に、彼女は滅ぼされる」

――そこまでは考えていなかった。
……いや、本当に?
すぐに予測できて当たり前の事なのに。
メシア教会の選んだ〈候補者〉とはいえ、『こちら側』と無関係に生きている人間だって、たくさん居る筈だ。
そんな人たちを殺せば、当然、退魔組織から狙われるだろう。
――人間ではなく、悪魔として。
……認めなくちゃいけないのか?
彼女は、もう――

「でも」
先生の声の調子が、少し変わる。
「彼女は、もしかしたらそれを望んでいるのかもしれない」
「え?」
放心した俺に向けて、アニキが言葉をかぶせる。
「いきなり殺された挙句、アンデッドにされて、しかもこれこれの人間を殺してこいと命令される。お前だったら『死んだ方がマシ』とは思わないか?」
答える言葉を、俺は持たなかった。
俺ならば、耐えられる筈が無い。
でも、耐えられなくても、無理にでもやらされる。
今の彼女は、『使い魔』という奴隷だから。
だったら、今、彼女が、本当に望んでいる事は――
「……あんまりだろ、そんなの」
「じゃあどうする? アンデッドにされた人間に向かって、『生きろ』とか言うつもりか?」
――
手首を押さえる何かに気付いて、視線を下げる。
ピクシーが泣きそうな顔で、ベッドについた手を押さえていた。
無意識のうちに、白く握った拳。
――アニキは正論を言っただけだ。目を逸らしているのは、俺のほう。
でも、それでも!
「俺は、嫌だ。ただ殺してやるだけが慈悲だなんて、認めたくない」
「……もう一度相対したら、きっと彼女は、今度は止めを刺すまで攻撃をやめないわよ? それでも?」
先生の問いに敢えて答えず、俺は手を突いて身を起こした。
「いいさ、その覚悟があるってんなら、もう何も言わねえ」
差し伸べられたアニキの手。
一瞬、振り払おうかとも思ったが、おとなしく握る。
たちまち、日に焼けた逞しい腕が俺の体を引き上げる。
先生は何も言わず、無言で背後から俺の体を支えてくれる。
その時になってようやく、2人は俺に反対していたんじゃなく、俺の覚悟を試していたのだと気付いた。
「手、貸してもらえますか?」
俺の問いかけに、アニキはバシッと肩を叩いて応えた。
反対側の手を、先生がそっと握る。
そして肩にとまったピクシーが、まっすぐに俺の目を見つめた。
「あの子の隠れ家なら、見当は付いてるよ。案内する」
仲魔の――仲間たちの顔を見回して、俺は大きく頷いた。


愛用の刀の柄を握りしめ、俺は崩れ落ちそうになる体を、必死で支える。
香木の匂いの立ち込める闇。
燭台の灯火の投げる薄明りの中に、ズルズルと奇怪な影が踊る。
スカイブルーの青地に、白線の入ったブレザー。
ところどころ破れた穴から覗く、赤黒く濁った色。
ぼろきれとなった制服と、飛び散った肉片。それらがピチャピチャと、音を立てて這いずり回る。
まるで、外道と呼ばれる悪魔のように。
だが、ソレの正体は、不定形の魔物なんかじゃない。
粘液の糸を伸ばして、切断された腕が、肩の断面に絡みつく。
霜を吹いて、灰色に壊死した皮膚が剥げ落ち、その下から真白い肌をさらした足が、裂けたスカートの中に飲み込まれていく。
長い髪を振り乱して、彼女は3度目の再生を終え、立ち上がった。
「ぐっ――!」
耐え切れず、口元を押さえた指の間から、少し嘔吐がこぼれた。
――1度目を見たとき、どうしようもなく、俺は吐いた。
想像を絶する、グロテスク極まりない光景。
なまじ、もとが綺麗な女の子だけに、その死骸は無残だった。
――その死骸が肉を蠢かせて再生する様は、悪夢という表現では追いきれない。
「……ハ、……まだ、……こんなもので、動揺してるの?」
陶然と、どこか艶かしい吐息をもらして、彼女は再生した体を確かめるように首を回す。そして、蔑むような目で俺を見た。
「まだ、よ。まだ私は、死んでない」
両手に腐肉のこびり付いた拳銃を構え、彼女は一歩、足を踏み出す。
「もっと、もっとしっかり狙って。もっと強く打ちかかって。もっと力を振り絞って、もっと徹底的にやって!」
焦点のぼやけた瞳。
熱を帯びた声。
彼女――だったものの成れの果て。
狂態に、尽きたと思っていた涙が、自然と湧き上がる。
「今度こそ、私を殺してよ!」

――結局、俺は戦うしかなかった。彼女の願いどおりに。
大久保の小さな雑居ビル。
そこが、ガイア教団から与えられた、彼女の墓所だった。
先生とアニキ、ピクシーは、俺を向かわせるため、ガイアの黒魔術師たちの足止めに踏み止まった。
みんなの決意を無為にしないためにも、俺は退くわけにはいかなかった。
なのに――。

ガアァン! と、魔獣の咆哮にも似た轟音をあげて、大型拳銃が閃光を吐く。
撃ち出された弾丸には、人間の命など容易く潰してしまう威力が込められている。
が、刹那の間に、射線に別の影が割り込む。
石と石をぶつけたような、乾いた音。
飛び散るのは血ではなく、陶片のような白い欠片。
「――またソイツ? うざったい仲魔を連れてるのね」
うんざりした声で、彼女が呟く。
俺は震える息を吐いて、咄嗟に盾となってくれた髑髏の剣士に礼を言った。
「すまない、スパルトイ」
「……礼には及ばん。だが、こうも長引くと、さすがに辛くなってくるな」
「きついホー、ご主人。そろそろ逃げるホー」
背後から声をかける、雪ダルマの姿をした妖精も、辛そうだった。
「ごめんよ。でも、逃げるわけにはいかないんだ」
逃げられるわけが無い。
それは、本当の意味で、彼女を見捨てる事になってしまう。
それだけは、出来ない。
「でも、そろそろオイラの魔力も尽きそうだホ。これ以上復活されたら持たないホーッ」
唇を噛んだ。
実際、状況的に辛い。
――どうして彼女を倒しきれない?
迷いがあるから? 確かにそれもある。だがダメージを与えるたびに、彼女は再生して立ち上がってくる。
支配する魔術師に与えられた力なのだろうか。それにしても、ここまで強力な効果を発揮し続けるものなのか?
「あんな再生能力、無制限に使えるのか?」
「んなわけないホー。あれは魂を削って奈落の闇を内に取り込み、霊気を増大させる技だホー」
「代償があるのか?」
「使うたびに、闇に心を侵されるホ。使いすぎたら自我が擦り切れて、魂が奈落に堕ちるホ」
「奈落?」
「地獄って言ったら分かるホ? 魔界のセフィラからも外れた深遠。悪霊や幽鬼が囚われる、永遠の苦しみの園だホー」
「……どうして」
そんな力を使ってまで戦う覚悟が、俺には信じられなかった。

心から死を望むという彼女の言葉に、俺の安っぽい情熱は一蹴された。
望まない戦いに引きずり込まれて、けれど俺は、武器を手に取らざるを得なかった。

轟音とともに、再び鉛弾が飛来する。
立て続けに落雷が起こったような、音の爆発。
信じられないような高速の連射が、そばの棚にあった怪しげな燭台を、微塵に還す。
床に転がって、物陰に逃れて――
――大丈夫、当たっちゃいない、
いや、本当に?
張り付いたように握り締めている刀と、白く変色した指先。耳障りな音は、自分の喉から漏れる息遣い。
感覚の無くなった自分の体が、全く信用できない。
知らない間に、大怪我をしているのかもしれない。
「逃げるの?」
銃声の残響の向こうから、彼女の声が届く。
逃げやしない――反射的に言い返そうとした言葉は、口の中で消える。
彼女の言葉を否定したかったわけじゃない。自分に言い聞かせる言葉だった。
――本音を言えば、逃げ出したかった。
好きだった女の子の成れの果てと、延々と悪夢めいた戦いを続けて、
いつしか、胃袋の中身も、胸の決意も、全て吐き尽くしてしまった。
きっと、発狂した方が、楽になれるだろう。
銃弾を避けて、床を這いずり回る。
カサッと、手が何かを探り当てた。
引き寄せたそれを見て――逃げたいという欲求は、急速にしぼんでいく。

逃げられるわけなど、ない。
この部屋――彼女の玄室に入った俺が、最初に見つけたもの。
ドア口に散乱した、白い書類。
所々赤線の引かれた名前の羅列が何を意味するのか、すぐに理解できてしまった。
彼女も被害者なのだと、いくら言い聞かせても、俺の意識はソレから離れられなかった。
望まれない行いだった。仕方の無い事だった。
それでも、ソレは無言のうちに語りかけてくる。告発してくる。
チェックの入った〈候補者〉のリスト。
それは、間違いなく、彼女の犯した罪の証だった。

続けざまに放たれる銃弾をかいくぐり、時にスパルトイを盾にして、俺は走る。
動きに応じて、彼女の注意がこちらに向く。その瞬間、横手からフロストが吹雪を放ち、2つの銃口を牽制する。
既に2回は繰り返した攻防だ。
銃の間合いで戦おうとする彼女に肉薄し、切りつける。
最初は躊躇して出来なかった。スパルトイが青銅の剣を繰り、彼女の左手首を飛ばす所を、見ているだけしか出来なかった。
二度目に、刀を打ち込んだ。
脇腹を割って、刃を埋め込む感触に、俺はまた吐いた。
そして、これで3度目――。
「――カァァーッ!」
気合を上げて、スパルトイが剣を一閃させる。
ブレザーの胸部分が、スパンッと、横一文字に断たれ、その間から赤黒い肉が覗く。
だが、血はこぼれない。血の巡らない、死んだ体が、今の彼女の体だから。
斬撃の勢いに呑まれ、彼女がのけ反る。
その隙に、また刀を――。
今度はどこを狙う? 一撃で決めなければ、また再生されるのは目に見えている。
狙うなら、急所になりうる所を。
たとえば――そう、首とか。
――彼女の首を、俺が?

無意識のうちに、糸一本分ほど、ほんのわずかな力が、手から抜けた。
首を狙った一撃が、逸れて肩に食い込む。
「いかん、それでは!」
「――あまい、ね」

のけ反った、天を仰ぐような姿勢のまま――
グリンッと、まるで甲虫が身をよじるように、眼球だけを動かして、彼女は俺を見る。
甲殻にも似た、無機質に黒光りする瞳。
諦観だけが染み付いた、死んだ目。
ギチッと顎を引き攣らせて、彼女は大きく口を開く。
虫歯1つ見当たらない、白い、綺麗な歯並び。
1本だけ、やや不ぞろいに突き出た犬歯。
悪夢のような非現実の中で見るには、妙に現実的で、馬鹿馬鹿しいくらい間抜けで、
しかし、この状況は、何も変わらない。
ガポッと、泡がはじけるような音がした。
開かれた彼女の口の奥から、油じみた靄のようなものが吹き出す。
それは、ピリッと刺激のする匂いで――
「――がはっ!?」
突然、喉の奥に大量の綿を詰め込まれたように、息が出来なくなる。
両目から涙がこぼれ、胸の奥にムカムカとした熱が生まれる。
痺れた体から、熱が失われていくようだ。
痙攣する腕から、刀が落ちた。
横目には、同じようにスパルトイが膝を折っている姿が入った。
白骨の体の半身に、黒い、どこか穢れたような染みが浮き出ている。
硬い骨の体を、腐食させられている。
「カァ……、貴様、毒を」
「――あなたに、銃弾は効かないみたいだし」
言って、彼女は無表情で、うずくまる俺に目をやった。
「残念、だわ」
死刑宣告。
持ち上げられる銃が――
不意に横に向けられ、轟音をあげる。
柱の影で、「ヒホー!?」と、甲高い悲鳴が上がった。
「終わりね。あなたの仲魔にも、もう力は残っていない」
そのとおりだ。
スパルトイもフロストも、もう限界。俺にも、余力なんか残っていない。
「あなたなら――そう思った」
ゴツッと、無骨な鉄の塊が、頭に押し付けられる。
「でも、あなたも違った」
引き金に、指がかかる。
「救世主じゃ、なかった」
「その、救世主を殺すのが、キミの、使命なんだろ?」
「『あいつ』が捜している救世主なら、きっと私に負けたりしない。私を、救ってくれる」
儚い夢を語るような調子で、彼女は囁く。
――そうなの、か?
俺が救世主じゃなかったから、彼女を助ける事が出来なかったのか?
「……身勝手な事を。貴様など、滅ぼされるのが関の山だ」
スパルトイの言葉に、彼女は無言のまま、フッと微笑んだ。
――月が、雲に隠れる間際に放つ光。
そんな連想が浮かぶ笑い方。
「キミが、救世主に、望んでいるのは――」
何度も公言していた筈だ。
真の死。
完全なる、永遠の眠り。
だが、それなら。
「こんな、無茶な再生を繰り返して、魂を削って――そこまでしても、本当の救世主でなくちゃいけないのか?」
「違う」
静かな声で、彼女は答える。
「私の罪を浄化してくれる人が、本物の救世主よ」
「な……んだ、て?」
銃口の存在を忘れて、俺は彼女の顔を直視した。

……彼女は、『本物の救世主』を待っていたわけじゃない。
逆だ。
彼女の待っていた人間――彼女に勝つ人間が、『本物の救世主』でなければならなかった。
手を抜かずに、徹底的に戦うのは、使い魔として命令されたからだろう。
だけど――。

「覚悟の上か? 奈落とかに堕ちるって、分かってて――」
答えなどある筈が無い。
だが、彼女の顔に、雲のように忍び込んだ陰が――。
伏せられた眉の下の、瞳が。
なによりも、雄弁に語る。
俺はそこに、確かにまだ、
彼女の人の心が残っているのを見た。
「……バカな」
いびつに歪んだ自虐と、自分自身、きっと届かないと思っている懺悔の念。
――「自殺をする動物は人間だけ」。前に、なにかでそんな話を聞いた。
たとえ自虐的な性格だろうと、悪魔は自分の生存までを否定しない。
既に死んでいる者達であっても、自覚的に自分の破滅など望みはしない。……俺の知る限りでは。
「バカヤロウだ」
「自覚はしてる」
涙声にちかい笑いで、彼女は自嘲を漏らす。
「さよなら。……せめてあなたは、天国へ」

――やはり、駄目だ。

俺は救世主じゃない。
そんなものには、なれない。

やがて閃光が走りぬけ、俺の視界は、真っ白に干上がっていった。

――凍結。
世界の全てが凍りついたように、俺の周りから、色と音が消えた。
白光の中、彼女の目が驚愕に見開かれる。
それでも瞬時に引き金を引いていたのは、さすがと言うべきか。
恐らく意識しての行動じゃなく、習慣付けられた反射だったのだろう。
細い手の中で跳ね上がる拳銃。
銃口から飛び出す、黒い死の影。
だが、確実に額を貫くタイミングで放たれた銃弾は、俺の目の前でハンマーで潰されたように、ひしゃげて落ちた。
体を包む、大きく、熱い息吹を感じる。
恐ろしいものではない。
慣れ親しんだ気配。
今は、はぐれてしまった俺の親友。家族の時間を母とともに過ごして来た。
黄金の毛をなびかせた魔犬の姿が、網膜に一瞬ちらついた。
光が収まってゆく。見開かれていた彼女の瞳が、すがめられる。
時間が、流れ出す。
「スパルトイ! フロスト!」
倒れ臥していた仲魔に呼びかけた。
普通なら、無駄な行為だ。
だが。
「承知!」
「ヒーホー!」
呼びかけに、2体の仲魔が返事を返す。
『守護天使』の光は、仲魔たちにも力を与えている。
今なら……!
「ハッ!」
スパルトイが雷光のような速度で動く。
振るわれるのは青銅の剣ではなく、円盾。
突き上げるような動きで、金属塊が彼女の腹を抉り、華奢な体を宙に舞わせた。
俺は落ちていた刀を握りなおし、その姿を追いかけた。
もう、迷っている暇は無い。
彼女はもう死んでる――その通り。
彼女はもう悪魔――その通り。
彼女は、人殺し――その通りだ。
俺にはそれら全ての事実を、飲み込めるだけの度量は無い。
彼女を救う事は出来ない。
苦しみを消してやれる言葉も、罪を許せる権威も、心から望む死も、何も、俺には与えてやる事が出来ない。
それどころか、これから常に彼女の味方で在り続けられる意思すら、多分、俺には無い。
でも、でも今、俺の前にあるのは、そういう事でもあるけれど、核心そのものは、もっとシンプルだ。
彼女を諦めるか。
彼女を諦めないか。

――俺は、諦められない。

走り寄る俺に向けて、彼女がふらつきながらも、2つの銃口を向ける。
当たらなくても、足止めには十分な行動。
けど、俺は足を止めずに、走り抜ける。
舌打ちをして、彼女は引き金を引こうとした。
「……え?」
沈黙を保ったままの自分の武器を見下ろして、彼女が呆然と声を漏らす。
かさぶたの様に、白いものに覆われた銃身。
柱の影からフロストが手を振る姿が、容易に想像できた。
灰白色に凍りついた銃。
当然、弾丸など放てるはずも無い。
破れたブレザー姿の彼女が、無防備に立ち尽くす。
それは、ほんの一瞬だったろうが。
「――っりゃああぁあーー!」
幼い覚悟を乗せた俺の一撃は、でも、それなりの気は篭っていたんだろうか。
振り切った刀は、彼女の体を深々と切り裂いた。

「やるっ、ね。でも、まだ……」
倒れた彼女は闘志の消えない目で俺を見る。
濃い闇が、その身を包む。
また再生。
しかし――。
「もう、やめよう」
言って、俺は左腕につけたアームターミナルを開いた。
「なに、を?」
「これ以上、キミを戦わせたくない」
室内の闇を裂いて、液晶パネルが光の窓となって開く。
表示されたショートカットから、プログラムを起動。
システムメッセージが表示されると同時に、彼女の体を覆っていた闇が、霧散する。
「なにっ、――くっ、う」
少し苦しそうに、彼女が身を震わせる。
起動させたのは、『ハント』。
ターミナルに装備された基本機能の1つ、昔の魔法使いが悪魔を閉じ込めるのに使った、『強制服従』の術式をプログラム化したものだという。
これで、彼女は切り離される。
「ぐ、あ、う、あぅ」
彼女は自分の体を抱きしめ、苦悶の声をあげる。
予想していたよりも強い苦しみ方に、俺は少し肝を冷やす。
他人の使い魔を取り上げるんだ。ある程度は苦痛を強いる事になるとおもっていたけど……。
「うぁ……や、め、て」
顔を上げ、俺を見上げる彼女は、髪を頬に張り付かせ、両目から壊れたように涙を流していた。
焦った俺は、跪いて、彼女の手を握った。
――冷たい。
コンクリートの壁を触ったような、体温が吸い込まれるような冷たさが伝わってくる。
一瞬言葉につまりながらも、俺は言葉をかける。
「大丈夫か。そんなに痛むのか?」
他人の使い魔とはいえ、生命力を失った悪魔は、不安定な存在となる。まして、主人から離れて自律行動しているのなら、制御を奪うのも簡単だと思ったけど。
「やめ、て。私を、切り離さないで」
「え?」
「道具じゃ、なくなっちゃう。命令じゃ、う、ああッ!」
涙を溢れさせて、彼女は目を見開き、
天を――暗い室内の天井を凝視した。

「わたし、殺した! 殺しちゃった! おんなじ年の子も! 小さな子も! 弟と同じくらいの男の子も!」
ほつれた髪を振り乱して、彼女は吼えた。
誰に向かって?
俺に向かってじゃ、無い。
いまだ見つからない、本物の救世主に向かってか。
「逃げる子もいたよ! 何も知らない子、ぼうっとしてるだけの子も、武器や魔法で戦ってくる子も、全部! ぜんぶっ!」
ころした、ころした、と、彼女は叫び続けた。
「命令だったから」「いやだった」「やりたくなかった」――
とめどない言葉と嗚咽の洪水。
その最後に、彼女は、弱々しい目で、天井の暗がりに向けて囁いた。
「……ゆる、して」
糸が切れたように、そこで彼女は、ボトッと倒れた。
……かけられる言葉なんか、あるはずが無い。
やがて、彼女はクスッと、小さく笑った。
「バカだな、わたし。許されるはず、ないもんね」
「え?」
「わたし、もう人間じゃない。――アクマ」
口を開いても、否定する言葉は無い。
だから俺は、やっぱり黙っていることしか出来なかった。


ポツッと、鼻先に水が弾けた。
強くなってきた風の中に、埃の匂いが混じる。
見上げると、鈍い銀色の太陽を遮って、黒い雨雲が重々しく広がりつつあった。
俺は鞄から折りたたみ傘を出して、再び歩き出す。
駅に向かう人波の中には、同じように傘を開く姿が目立った。
新宿駅から、電車でわずか5分ほど。
たったそれだけの距離でも、街の様相はガラリと変わる。
コリアンタウンと呼ばれるだけあって、大久保は中韓をはじめ、アジア系の外国人の姿が目立つ。
通りに並ぶのは、料理店に民芸品の店。祭の空気に似た、エスニックな匂いが立ち込める。
しかし、街の全てが繁華なわけじゃあない。
新宿の裏側にあたるこの町は、本来は小さなビルや狭い街区が続く、こじんまりとしたベッドタウンだ。
目抜き通りから外れていくほどに、道は細く、網目状に、とめどなく広がり、
道沿いの商店にも、徐々に、どこか鄙びたような印象の店が多くなっていく。
それは恐らく、人通りも影響しているのだろう。
6月の梅雨時。平日の昼間。
もとから人通りは多いとは言い難い。駅から離れていく程に、更に人影はまばらになる。
鉛色の空と、陽の光を失って灰色に褪せた景色の中、いつしか歩いているのは俺1人になっていた。
見捨てられた土地へと向かっているような錯覚を抱きながら、俺は自分の行いについて考えていた。

俺は救世主じゃない。
自分のエゴにだけ執着する、ただの身勝手な人間だ。
救いを求める彼女に、俺はこの世の地獄を与えた。
支配から切り離された刹那、彼女は手に入れた自由の中で――人間としての罪悪感と、正面から対面さ
せられた。
17――それとも18? 俺と同じ程度の歳の、女の子に戻って。気が付けば虐殺者に成り果てていた
自分を、再認識して。
罪が無い――などとは言えない。
彼女を従わせていた魔術師が黒幕なのは、間違いない。
だが、血の記憶は、決して彼女の中で晴れる事はないだろう。
……死なせてやれないなら、俺はどんな形で、彼女に責任を取るのだろうか。
「いるかい?」
「……また、来たの?」
『玄室』の闇の中、廊下から差し込む弱光の中に、しなやかな足が踏み込んでくる。
次いで、擦り切れたスカートに、ボロボロになったブレザー。
……切れ目から覗く白い肌に、視線を逸らした。
伏せた視線を、もう一度あげて、そこで硬い視線とぶつかる。

黒い、静かな瞳。いつかのような、濁りや曇りも無い。
けれど、遠い。いくら手を伸ばしても、言葉を重ねても、届かない。
水底に月を閉じ込めた井戸に似ている――そんなふうに思う。
――もちろん、綺麗なのは目だけじゃない。
脂気の無い、涼しげな黒髪に、白磁のような、透き通った艶をもつ頬。朱に引き立った唇。
もとから綺麗だった、彼女の顔。
今は冷たいだけじゃない。ガラスじみた硬さと脆さを併せ持ったような、儚さを感じる。

「いつまで、続けるの?」
「いつまで……って」
「こんなこと」
言って、彼女は背を向ける。部屋の隅のテーブルに向かっていき、残っていた無事な燭台に火を点す。

マッチを擦る音がして、赤い、眩しい輝きが闇に生まれた。
後ろ手にドアを閉めて、部屋に入り込む。
薄暗がりの中でも、荒れ果てた部屋の様子は、よく見れた。
飛び散った物の破片。踏み散らかされた呪いの道具。壁に穿たれた銃痕。
1週間が過ぎても、部屋の様子は、何も変わっていない。
「ガイア教団が来るような事は?」
「なかったわ。きっと、これからもない。彼らは、もう私が死んだと――完全な滅びを迎えたと思って
いるでしょうね」
――きっと『あいつ』も。
暗い口調で、彼女は呟く。
「とにかく、無事でよかった」
「……なんなの、それ?」
詰問するような――いや、実際に詰問する声に、俺は身を固くした。
針のような光を宿して、彼女の目がすがめられる。
「あなた、私に何を望んでいるの? 私に、何をさせたいの」
床の埃に視線を逃しながら、俺は唇を噛む。
本当に、俺は何をやらせたいのだろう。
どうするのが、彼女にとって一番いい事なんだろう。
「……殺して」
「まだそんな事」
「何度だって言うわ。救世主なんて、もうどうでもいい。私を解き放ってくれた、あなたなら。
『あいつ』の支配から一時的に逃れられた今のうちに、私を殺してよ」
「……だめだ」
言うと、彼女は眉を怒らせ、滲み出るような憤懣を視線に込めて、俺に叩きつけてくる。
今の彼女は、いわば俺に召喚された仲魔に等しい。
俺の言葉には逆らえない。勝手に命を絶つ事も、許されはしない。
――認めたくない。けど、結局――
「……どうして、私を残したの」
険しく俺を睨み付けたまま、いつかのように、彼女の目から一筋、透明な涙が流れ落ちた。
――結局、俺は彼女を殺し、操っていた、『あいつ』とやらと、同じ事をしてしまっている。
これじゃあ、ただ彼女を苦しめているだけだ。
「私を、断罪しているの?」
結果的には、そんなふうに見えてしまうんだろう。
殺してやる方が、よほど慈悲になる。それを承知の上でも、俺は彼女を残したかった。
「俺は、キミを殺したくない。キミに生きて欲しかった」
「――――」
呆然、という表現が、よく似合う顔だった。
見開かれた瞳。満月のような瞳孔が、ピクリと波を打つ。
やがて、彼女は片手で目元を覆い。
「……クッ、クくっ」
喉を引き攣らせて、震えを吐き出すように、笑い出した。
「くくっ、あっははははは!」
予想された反応だった。自分がどれだけ馬鹿げた事を口走っているのか、指摘されなくても分かってい
る。
「はははっ! 生きて、ほしい、ですって! 私の、体の事、知っていて!
 あはっ、あはははハ! ハハハハハハッ!」
自然と汗が引いていく。
初夏の生ぬるい大気が、冬の底冷えに等しい温度へと落ち込んでいくようだった。
殺気。
そう呼ぶのが、相応しい。
白く噛み締められた唇が、わななく。

「     」

――フザケルナ。
言葉としては、そんなありふれた罵倒に過ぎない。
だが、そこに込められた感情は――。
目を隠したまま、彼女は明るい、裏返りそうなほど明るい声を絞り出す。
「ねえ、生きろって、どうするの? どうすればお望みにかなうの、ご主人サマ」
「――やめてくれ」
「人間のフリをすること? 物を食べたり、服を着たり、眠ったり?
生きてるヒト達に混じって、まだ死んでないフリをするの? アハハッ、
もしかして家に帰ること? きっともう諦めている家族に、今更、ただいまって?
わた、私は、ぶじだったって、お父さんと、お母さんと、それから、それから、
だいじょうぶ、お姉ちゃんは、まだ――まだ、生きてるよって!?」
「そんな事を言っちゃいない!」
吹き荒れる感情の渦に、彼女も、俺も、巻き込まれる。グチャグチャだ。
「生きろってのは、そんな意味で言ったんじゃない」
「なら、なんなの――なんなのよ!」
「それは――!」
なんなんだ?
存在する事か?
動き回る事? それとも言葉が交わせる事?
そんなんじゃ、ないだろう。
前を向いてほしかった。
何か、望みを持って欲しかった。
それは自分のやりたいように、世界と関わっていく事だ。

――でも、今の彼女には……。
言葉の応酬は、自然と途切れた。
顔を抑えた指の間から、雫を滴らせ、彼女は呻く。
「出来ない。許されるわけなんて、ない」
その言葉に、結局俺は黙らされてしまう。
罪という断崖。俺の心はどうしても、そこで真っ直ぐに進めなくなる。

俺は彼女を助けたかった。彼女の絶望を止めてやりたかった。
でも、彼女のためなら、世界の全てを敵に回してもいいとまでは、思えない。
その決断をしてしまえば、多分、俺は自分を見失う。
結局、我が身の方が可愛いだけ?
――もしかしたら、そうなのかもしれない。
彼女と一緒に地獄に落ちる覚悟が出来ない、ただのヘタレ野郎なのかもしれない。
だけど、俺自身が自分を見失った状態では、彼女を支える事なんて出来ないんじゃないか――
そんなふうに思えて、仕方が無い。
彼女を、間違った道に送り込むかもしれないから、安易に罪を許す事に、どうしても躊躇してしま
う。
ただ彼女の望みを叶えるだけじゃ、彼女は救われない。
かといって、自己満足のために彼女を庇護するだけなら、それこそ俺の生きている価値なんか無い。
考えろ。
本当に、彼女のためにしてあげたい事は、なんだ?
思い返されるのは、体育祭での――たった1月前の事なのに、まるで10年も前の事のように感じられ
る――あの時の彼女の笑顔だった。
多分、二度と見る事はかなわないだろう。
1月という、短く、けれど絶対的な時間の断絶が、全てを変えてしまった。
二度とかえらない過去。けれど、今俺を突き動かしているのは、あの記憶に他ならない。
願わずにいられない。
もう一度、あんなふうに笑い合えたらと。
……けれどあるいは、あの頃の幸せを知っているからこそ、彼女の罪悪感は根深いのかもしれない。
自分が失ったのと同じ痛みを、他人に与えていると。
殺した標的の一人一人が、流血の中に消えていった団欒に繋がっているのだと。
きっと一人一人の名前が鎖となって、今の彼女を縛っている。
がんじがらめの彼女は、動く事が出来ない。
そして、俺はそんな彼女に、手を差し伸べている。

――けど、俺は何もしていない。

そうだ。動けない彼女に、手だけ差し伸べて、歩けと言っているだけだ。
無茶苦茶もいいところだ。
本当にそのつもりがあるのなら、俺はまず、鎖を一緒に引き受けなくちゃいけないのに。
「……キミが殺人の罪を許せないってんなら、俺も同罪だ」
「なに、言ってるの?」
険の残る声を出しながら、彼女が顔を覆う手を開く。
夜露を宿したように光る瞳は、斜に細められて、俺を睨む。
「キミを生かす事を決めたのは、俺だ。罪まみれのキミを俺は庇ったんだ。同罪だよ」
「……くだらない、屁理屈よ」
「もしキミに罰が必要なら、今それを下すべき立場にいながら、それを許さない俺にこそ罪がある。
分かるだろ?」
「……なら」
「キミと俺が死んだところで、何の償いにもならない。ただ死ぬだけなら、それは逃げだ。
――そう、俺は思う」
そして、彼女はそれに目を瞑る事は出来ないだろう。
真の救世主の手で、奈落に送られる事を望んでいた彼女なら。
「償う気があるなら、俺と一緒に戦ってくれ」
「戦う?」
「そうだ。キミが、死ぬ必要のなかった人の命を奪ったのなら、これからは、まだ助けられる人の命を
助けるんだ」
贖罪。
罪の鎖を、一本一本、外していくこと。
結局俺がたどり着いたのは、ありふれた回答の1つだった。
白々しい、と、自分でも思える。
いくら償ったところで、罪は消えない。
彼女の心には、永遠に傷が残る。
メシア教会は、自分達の『候補者』を殺した”悪魔”を、狩り続けようとするだろう。
けどそれでも、俺が彼女に出来ること、本心から協力できることは、これしかない。

「耳ざわりのいい事を言って、結局私を戦わせたいんでしょ」
投げ捨てるように、彼女は勢いよく首を振って、俺から視線を外す。
舞い上がった髪が、横顔を隠して広がる。――その陰から。
「結局、あなたも誰かを殺せというのね」
微かに、そう聞こえた。
ドキリと息が詰まった。
――まさか。
だが、妙に胸に響く言葉だった。
「誰かを殺す事なんて……」
否定の言葉を繋げようとしながらも、俺は自分を振り返る。
これまで、曲がりなりにも1人の異能者として、サマナーとして戦ってきた、俺。
振り返ってみれば、巻き込まれて、流されるままに戦ってきた事が多かった。
自分の命を守るためだったり、人に頼まれたからだったり、その場の正義感からだったり。
けれど、いつも何か、漠然とした違和感を感じていた。
今の言葉で、ようやくその本質が、分かってきたような気がする。
彼女を殺したくなかったのは、俺のエゴだ。
――そしてそもそも、俺は誰かを殺したいと思ったことなんてない。
いや、思うくらいはあっても、実行したりはしない。その筈だった。
だが。

……俺はいつから、殺す事を当たり前のように感じていたのだろう。

「……言われた事がある」
「え?」
「『アクマを殺して平気なの?』って。俺は『そうだ』とも、『違う』とも答えられなかった」
新宿の地下道で、渋谷の路地裏で――
人の血肉を餌とする魔獣や、精気を欲する夜魔、妖精と向き合い、何度か問われた言葉。
答えられないまま、俺は刀を抜いた。そして当然のように、必ず血が流れた。
仕方が無い事だと思っていた。
――そう、それらの殺しの幾つかは、仕方ない事だった。
だけど、俺は考える事まで諦めてはいなかったろうか。
もしそうなら――なんのことはない、俺は彼女と同じ、諦観に浸かっていたことになる。
「……気が付いたよ。俺の中では、答えは最初から決まっていた。けど言葉に出す事はできなかった。
……怖かったんだ」
「なに、を」
「殺したくなんかなかった。でも俺は殺してきたんだよ、悪魔を」
言い訳だったのだろう。
悪魔だから殺してもいいと、無意識のうちに結論付けて。
――それなら、仲魔は?
スパルトイ、フロスト、ピクシー。
いつも俺を助けてくれる、大切な仲魔――『仲間』達。
俺の中では、彼らも、アニキや先生と同等の存在になってきている。
1度自覚してしまえば、種族の違いは、もう俺の中では言い訳にならない。

ジッと小さな音を立てて、蝋が焼ける。
燭台の火影が揺れて、赤光にたたずむ彼女の姿が、微かにぶれた。
「……バカな話。悪魔なんて――」
「たまたま、キミは俺にとって特別だった」
「っ! な――」
「同級生で、お互い普通の人間として暮らしていたから。だから悪魔になっていようが、殺したくなか
った。身勝手な理由だよな。
でもおかげで、俺も自分の罪悪感に向き合うつもりになれてきたよ」
彼女に比べれば、俺はどうしようもなく卑怯な”人間”だ。
罪悪感から目を逸らして、自分の中の矛盾を見ないようにして、殺す事を合理化しようとしていた。
「戦う以上、命の奪い合いになるのは仕方ないと思う。でも俺はその事を割り切るべきじゃなかった」
「……甘すぎるわ。余計な感傷なんて」
「キミと同じだ」
言葉を途切らせた彼女は、唇を噛んで、正面から俺を見つめた。
息を吸い込み、俺は自分の心をまとめる。
「俺はキミの罪を許してやる事は出来ない。キミの苦しみを代わりに引き受ける事も出来ない」
無言のまま、眉一つ動かさずに、彼女は俺を見る。
強張った表情。俺の言葉をどう受け止めているのか。気にはなるが、今は最後まで話すしかない。
「でも、俺はキミのために何かしたい。キミが自分の苦しみと向き合って、乗り越えるための手伝いが
したいんだ」
「……そんなの」
「逃げるのが嫌なんだろ? ただ楽になるのは、自分で許せないんだろ? だったら俺と一緒に、来て
欲しい」
言うべき事は、それで全てだった。

溶けた蝋の匂いが、闇の中に広がる。
灯火はいつしか、暮れの空の残照のような、か細い光に変わっていった。
濃さを増してきた闇の中、表情が見えなくなった彼女の、囁きだけが耳に届く。
「やっぱり、駄目」
……落胆の溜息が漏れそうになる。
やはり、難しいのか。いや、分かっていた事だ。”人”一人を説得するのが、どれだけ大変かなんて。
何か返事をしようとして、しかし続いた彼女の言葉に、俺は不審を覚えた。
「今の私には、出来ない」
「今の?」
「私は、まだ――」
薄闇に浮かぶ彼女の影。
青いブレザーは、喪服に似た灰色に染まっている。
何故だろうか、表情が見えない事が、今になって急に気になりだす。
夢の中で聞くような、妙にフワフワした、意思の掴みづらい声。
今、彼女がどんな顔で――どんな気持ちで俺に話しかけているのかが、見えてこない。
「――っ」
声を出そうとして、息苦しさを覚えた。
空気が変わる。
足元から沼に沈み込んでいくように、ゆっくりと、俺の周りの世界が変貌を始めた。
部屋の四方を包む闇が、無生物の質感を失い、怪しい息遣いを始める。
空気の対流に何者かの呼気が混じり、無音の反響を返す壁は、囁きの気配に満たされる。体温を吸い取
る空間の体積は、洞窟のように膨れ上がる。
窓のない部屋の中で、俺は確かに、黄昏の訪れを聞いた気がした。
空が宵闇に沈み、あしたが夜に変わっていく。
人の時間は終わり、人ならざるものの時間が、訪れる。
鼻先も分からないような、一面の闇。
夜の海に似た、全ての気配を飲み込むような静寂。
白煙の筋が、瞳にこびり付いて尾を引いている。

蝋燭が消えて、真の闇が訪れていた。

空気が重い。数百年の時間を閉じ込めた墓穴のような、朽ちた臭気が漂っている。
古びた雑居ビルの一室は、仄暗い異界の気配に包まれ、古代のカタコンベと化したようだった。
戸惑いが消えない。
異界化?
何故? 誰が? 彼女がやったのか? それとも他に誰かが?
「――夜になったから」
混乱する俺に向けて、ポツリと、闇の向こうから彼女の言葉が響く。
この場所に根ざした、半ば自然発生的なものか――
考える時間は与えられなかった。
不意に、闇の奥が揺らめき、重なりあう黒の戸張を割って、深海の生物のような、おぼろなシルエット
が迫る。
背中から倒れた衝撃で、呼吸が止まった。
胸の上に覆いかぶさる、柔らかい、肉感的な肢体。
擦り切れた生地を通して、丸みを帯びた、張りのある肉の感触が伝わる。
人と違うとすれば、体温が無い事だけだった。
温度の無い接触。現実感が希薄で、それは夜魔の見せる淫夢にも似ていた。
「な…に、を」
「抵抗、できないよね。今なら」
ジクリと、重い液体がゆっくりと染み込むように、彼女は小さく言葉を落とす。
意味が分からず尋ねようとして、だが、開いた俺の口から漏れたのは、
「っうあつ!?」
右肩に走った鋭い痛みへの、悲鳴だった。
涙で滲んだ視界を横に向けると、華奢な手が肩に食い込んでいるのが、うっすらと見える。
人形のような細い指先から伸び、俺の体に食い込んでいるのは、巻貝の化石のようなもの――歪んだ爪
だ。
「武器も無い。仲間もいない」
シルエットとなった彼女は、顔を見せないまま言葉を続ける。薄ら寒い思いが、今更のように胸の中で
育ち始める。
――異界化したエリアからは、外にむけて助けを呼ぶ事は出来ない。
その事を思い出し、動揺する間にも、彼女は俺に覆いかぶさる。流れた髪が蔓のように俺の上を這う。
「今なら、簡単にあなたの命を取れる」
夢見るような調子で、彼女は声を紡ぐ。
「こんなふうに、急に襲われるわよ……私を連れてゆけば」
「どう、して?」
「まだ、『あいつ』の支配が解けていないから。完全にはね」

――まさか。そんな筈は無い。
悪魔召喚プログラムの性能は、何度も使ってきた俺自身が、よく分かっている。
俺と彼女は、確かに契約によって繋がった筈だ。

「『あいつ』はね、幽鬼だったのよ。ネクロマンサーなのに、自分自身がね」
内心の疑問に先回りするように、彼女が話し始める。
「吸血鬼の事は知っている? 血を吸った『親』は、吸われた『子』に対して、支配力を持つって」
「……聞いたことがある」
不吉なたとえに、どうしようもなく嫌な予感が膨らむ。
耳を塞ぎたい。けれど、彼女の声はタールのように、吐息と一緒に左の耳たぶにこびり付く。
「私はね」
反射的に唾を飲んだ。
「殺されてから、アンデッドにされたんじゃないの」
聞きたくなかった。
闇の向こうで、彼女が声を立てずに嗤った気配がした。

「食 い 散 ら か さ れ て、”こう”な っ た の」

※※※

幽鬼の少女は、その事を語らない。
ゆえに少年は、その詳細を知らない。

それは別の場所であったのかもしれないし、同じ部屋――彼女の『玄室』であったのかもしれない。
目を覚ました時、少女は暗がりに一人、捕らわれていた。
窓の無い空間に、わずかな明りが点々と灯るだけ。奥行きも分からない部屋には、麝香のような、甘く、鼻にむせるような香りが立ち込めていた。
記憶にあるその部屋が、現在の『玄室』と違った点は、方々に灯された明りが、鬼火のような青い炎であった事、そして手足を縛られた彼女が、奇怪な魔方陣の中に転がされていたという事だった。
魔方陣といっても、三角形を2つ重ねた、いわゆる六芒星――ではない。
将棋の盤のように、規則的な格子模様が正確な方形に引かれた図。
その4つの隅には、やはり青い蝋燭が立てられている。
格子枠の中には、見慣れない、おどろおどろしい文字が、赤い顔料で書かれていた。
――その文字が密教の梵字で、ただしガイア教団が呪殺に用いるため、極度に歪んだ、悪意的な解釈の筆法でしたためられたものだと知るのは、後の事だった。

朦朧とした意識で、気を失う前の最後の記憶をたどる。
原宿の占いの店に行った事。
友達に誘われたのに、それを断って一人で行った事。
後ろめたさを覚えながら、貰ったチラシを手に、路肩のテントをくぐった事。

混濁した頭で最初に思ったのは、断ってしまって悪かったな、という事だった。
わりと仲のいい友達だった。無理に隠す必要はなかったと思う。
でも恥ずかしかったし、不安だった。からかわれるんじゃないかと嫌な目で見る事までしてしまった。
本当に、悪い事をしたと思う。
……起き上がろうと身をよじって、縛られている事に気づく。
手足を動かせない。けれど、慌てたり焦ったりという気持ちは湧いてこない。。
麻酔がかかったような、気だるい、眠気とも陶酔ともつかない波が、心を覆っていた。

「思ってもなかった収穫ね」

耳に忍び込んでくる、響きのいい、沈み込むようなアルト。
聞き覚えがあった。あの店の占い師。
ウェーブの掛かった豊かな長髪と、古代中東の女王のような、切れ長の目が印象的だった。
女の自分から見ても、ゾクッと感じてしまうような色香の持ち主。
あの女が、隣にいるのだろうか。

はたして、女はそこに――転がされた少女の傍らに立っていた。
少女の記憶通りの、見る者に寒気すら覚えさせる美貌。
優雅に流れる艶髪。風紋を思わせる滑らかな眉。その下に嵌る瞳は、アメジストのように深い。
高い鼻と、色の濃いルージュを引いた唇。
女の美貌は、どこか威圧的に映える。女王という喩えは、なるほど、いかにも相応しかった。
「ノーマークの〈候補者〉。これだけの逸材を見落とすとは、教会側も手落ちを犯したものだわ」
紫暗の唇を歪め、女は笑う。そっと少女に歩み寄りながら。
「きたるべき黙示録を生き抜くよう、運命に選ばれし〈候補者〉。
類稀な加護を持つ彼らを抹殺するのは、普通の人間や悪魔では難しい。けれど……」
しゃがみながら、女は手を伸ばす。
雪のような肌に、細くしなやかな手つき。
しかし、その先端を彩るのは、唇と同じ紫暗に染まった爪だ。
ほんの一点の色の介在で、女の白魚の手は、まるで牙を隠した毒蛇のようにも見えてくる。
その毒牙のような指で、女はツゥッと、少女の頬を撫でた。
おぼろに霞む少女の瞳が、微かに見開かれる。
「けれど、同じ宿星のもとに生まれついた者の手に掛かれば……フフッ、どうなるかしらね?」
女の長い指は、頬から流れて少女の顎に掛かる。
少女の肌の、スルリと絹を撫でるような感触に、女は満足げな笑みを浮かべる。
「きれい。あなたみたいな子に祝福を与えられる事を、『神』に感謝しなくちゃ」
そうして――女は暗く濡れた唇で、少女の赤い唇に吸い付いた。

小学生の頃、好きだったマンガがあった。
背の低い事を気にしている主人公の女の子が、色々な事に迷いながらも、恋と友情に突き進んでいくというお話だ。
話の詳細は覚えていないが、最後は主人公と男の子のキスで大団円を迎えていたと、彼女は記憶している。
今でも、彼女はその話が好きだった。
周囲から、すっきりと大人びた美人だと評される彼女は、自分の恋愛観が少女じみている事を自覚していた。
それでも、いつか自分の身の丈にあった恋愛を出来るんじゃないかと、友達にも打ち明けない、
淡い憧れを大切に暖めていた。

そんな彼女の思いは、あっけなく壊れていった。

キスは、ほんのり甘くて、暖かいもの――そんな夢想は瞬く間に覆される。
女の唇は冷たく、粘りつくように執拗で、しかしその柔らかさは、どうしようもなくリアルなものだった。
逃げ場をなくした吐息が2人の口腔の間でせめぎ合い、やがて少女の鼻腔から、悩ましげな呻きとなって抜けていく。
拒絶しようとわななかせる唇を、自分の唇で包み込むようにして、女は少女の唇を吸う。
ついで、吸われて緩んだ口の端から、唇を割って女の舌が入り込んだ。
「ン、ンッ――ン」
ゴプッと、女の唾液が少女の口に流れ込む。糸を引きそうなほどの粘り気で、そして焦がした糖蜜のように苦く甘い。――実際には唾液の味しかしないが、喉の奥まで溶ろかすような感触が、少女の味覚を混乱させる。
舌に絡みつく舌――。
唇と同じように冷たかったが、ジワリと染みとおるように柔らかく、少女自身の舌の感覚を犯していく。
しなやかで……快感としか、言いようのない……
「っ、ンッ!」
散りそうになる意識をかき集め、少女は顔を振って、精一杯の抵抗を試みた。
口に息を集め、女の舌を追い出そうと頬を膨らませる。
しかし、力み口腔を尖らせた瞬間、女は少女の口をこじ開けるようにして、自分の唇を口内に侵入させた。そのまま唇で包むようにして、女は少女の舌を、口全体で吸う。
「――――っ!    」
その瞬間、女の口と舌が与えてくれる刺激が、少女の感じる全てになった。
まるで、舌が自分の体全てになってしまったようだった。自分の体、自分の体感の全てを、女に掌握されている。女の口以外の何かを感じたり、思ったりする事を、許されないよう――。

気が付けば、女の口は離れていた。虚ろな目で闇を見つめる少女の口元は、2人の唾液に濡れて、真珠色の艶を帯びている。
霞む頭の隅で、手首に食い込む痛みに、彼女は今更のように気づいた。
縄が食い込むのも構わず、手足に力を込めていたのだろうか。
クスッと、闇そのものが笑ったような声が聞こえる。
「可愛いわね。それにやっぱり、オイシイわ、あなたの」
再び、女の気配が近づく。しかし抵抗しようという気力は、もう少女には残っていなかった。
「もっとじっくりと頂きたいところだけど、きりが無くなりそうだし、今は手短にいきましょうか」
女の動きは、残酷なまでに澱みがなく、滑らかだった。
制服の襟から忍び込んだ女の手は、蛇のように少女の体を這った。
しなやかな物が肌を這い回る感触に、少女の口から意図せぬ声が漏れる。
「フ、ンンッ」
胸元に絡みつく五指は、それぞれが別の生き物のように、時に激しく、時に緩やかに、少女の肉をこね回す。少女の白い頬は紅潮し、徐々に、吐息に熱が篭る。
「もっと感じて」
そっと耳元に囁き、女は白い歯で、少女の耳たぶを噛んだ。
「ヒゥッ!」
「向かい合うの。あなたの原罪と」
時に唇で触れるだけ。時に犬歯を押し当てて。時に、カプリと奥歯で優しく噛み含む。
口の中で耳たぶを弄びながらも、手の方も動きは止めない。ゆるゆると撫でるように乳房を揉んで、かと思うと敏感な乳頭部に、いきなり爪を立てる。
絶え間ない刺激に、次第に少女の呼吸が崩れ始める。
「女の肉体は罪の証」
「ん、ンン、あ、ふ、」
「淫欲の情は、神より与えられし罰。かくてエヴァの子孫は、男に支配される」
「ンあ、あ、ハ、――ハゥッぅ!」
一際、少女が乱れた息を吐いたところで、女は一旦責めを止めた。
「神に誤算があったとすれば、さしずめ男が女の虜になる事を見抜けなかった事かしらね。リリスとエヴァ、かたやアダムを嘲弄し、かたや堕落の道に誘い――」
言葉を絶やさないまま、女はブレザーの裾を捲り上げる。
「結局、女は生まれながらの魔物というわけよ」
冷たい笑いを残して、女は卵形の頭を、細い首をブレザーの中に埋めていく。
ちろっと、まさしく蛇のような赤い舌を覗かせ、瑞々しい膨らみに近づいて――。
「ふぁ!? フゥぁあぁぁぁっっーー!!」
目を涙に曇らせ、しかし酔ったような色を浮かばせて、少女は絶叫する。
甘く、しかし焼けるほど強い酒を飲んだように、陶酔と惑乱がない交ぜになった表情で叫ぶ。理性が掻き消えた口元からは、垂れた涎が銀色の糸を引いている。
くちゅ、ちゅぷ、と服の中から水音を響かせながら、女はなおも続ける。
「多淫の性こそ、全ての女に共通する、魔の素因。悪徳を極めた先には、暗き始原が口を開ける」
「ヒィン!?、あっハ、は、あぁぅぅン!」
そのまま4,5回も少女を鳴かせて、ようやく女は顔を抜いた。
「前戯はこの位でいいわね。では、いよいよ頂くわ」
するっと、女がその手で、少女を縛る縄に触れる。途端に縄はひとりでに切れたように、ほどけて落ちた。
しかし、少女は動かない。
もう逃げ出すだけの力も残ってはいない。
いや、それとも、逃げ出そうという意思が残っていないのか。
「あなたを私のものにしてあげる。あなたの知らない、めくるめく世界を、見せてあげる」
女は傷をつけないよう、破かないよう、丁寧に少女の服を脱がし始める。
「快楽と欲望に身を任せて。そして、私の忠実な猟犬になって。
そうしたら、もっともっと、いくらでも可愛がってあげるから」

――ほどなく、2人の女が、闇に裸身をさらした。

「あヒッ! あっ、アッ、あっ、アあっ!」
「ん、はぁ、ふふっ」
白い体を絡み合わせて、2人の女が交わる。
――交わるといっても、専ら女が少女を貪り、少女は一心に女の愛欲を乞う側に回っていたが。
初雪の降った後のような、微かに血色を浮かせた肌の少女に対し、女の肌は、大理石に似た完璧な美白
だった。温度の異なる二つの白は、水に油を混ぜたように、溶け合うことなく互いを抱きしめる。
文字通りの乳色をした女の乳房が、垂れるように少女のそれに押し付けられる。脂肪の塊がわななき、
2人の精は内側から炙られたように、房の中で熱く煮える。
「あっ――あぅん、ハ、アッ」
「ん、いい――いいわ」
少女の熱が移ったのか、いつしか女も、自らの肌に熱をともしていた。
乱れた髪を散らし、女は両手で自らの乳房を掴む。白い肉の中で一点、果実の芽のように屹立した、赤
い乳首。それを、同じく固く勃起させた少女のそれに、擦り付ける。
途端、風船が割れるように、少女が弾けた。
「っ! ぃっぁはあっ!」
「は、ん、ふふ、そんなに、いい?」
当然、少女は答えられる状態ではない。振り乱された黒髪は自身を縛るように首元にまとわりつき、口
元からは涎の束が粘り垂れている。虚ろな目は暗かったが、ただの闇ではなく、何らかの感情が――否、もはや誤魔化しようもない、情欲の火が燃え続けていた。
「可愛い娘。あなたの全てを、私に頂戴」
言って、女は少女の下半身に手を伸ばす。改めて確認するまでもなく、少女のそこは、しとどに濡れていた。
腿の付け根を辿り、柔らかな恥毛を撫でると、それだけで少女の口から、ねだるような甘い声が飛び出
す。
「唇での口付けは、もう貰ったから」
言いながら、女は自らの腰を落とす。
「『下の口付け』も、私が貰うわ」

そうして、女は少女と、貝を合わせた。

ほとんど声とも呼べないような、原始の音の塊を、少女の白い喉が吐き出した。
衝撃。痺れ。灼熱。爆発する感覚に、肉体が暴れ回る。
それは文字通りの、「吸い付き」だった。
人間の体とは思えなかった。膣圧の加減か、女の秘唇は、まさにしゃぶりつくように、少女の貝に歯を立てる。
恥肉を吸われ、誰にもさらした事のない秘奥を支配され、恥辱と喜悦に、少女は鳴き、吼える。
襞を擦り合わせ、まるで唾液を交換するように、互いの愛液が交わされる。自らの内に流れ込んでくる、女の冷たくトロトロとした蜜を、少女はいやというほど感じた。
それは麻薬のように、少女の大切な芯を溶かし、腐らせ、甘く発酵させていく。麻薬のように、女の蜜無しではいられなくなるように。
クシュッと空気を弾けさせながら、2人の愛液は白く泡を立てる。絡みあう足の間を流れ、魔陣の床に落ちて、そこで再び一つになる。
流血を連想させる禍々しい赤の陣が、しだいに腐った虹のような、淫欲の池に侵されていく。
――変化はその時に、既に訪れていた。
激しく体熱を放射し、交わりながら、少女は寒気を覚え始めていた。情事の中で、激しく燃えれば燃え
るほど、熱を吸い取られていくような。
しかし、もはや止まりようはなかった。
涎を引きながら、1度女の腰が離れる。
片手は少女の陰部に、もう片方は自らのそれに。
女は手をかけ、指を潜らせる。甘い疼痛に、少女は再び、哀願するような声を吐かされる。
「真珠、ちょうだいね」
クチュリと、指が動き、貝の中が押し開かれる。サーモンピンクに色付いた肉の壺が口を開け、その大
切に隠された奥から、少女の真珠が――小豆色の肉の芽が覗いた。
女は自身の秘唇も開き、肉体の最奥から、同じ物を引き出す。原生生物を思わせる、矮さく弱く、グロテスクな女達の宝。女は恍惚に染まりながら、少女は恐怖と、肉への飢えに苛まれ、それを迎えた。
2つの肉芽が、1つになる。
その瞬間、肉体が消えた。内に篭り、あれだけ身を焼いた情欲は、綺麗に吹き飛んだ。
女の中に溶けていきながら、少女は歓喜の奈落へと落ちていった。
心臓は止まり、血はぬくもりを失っても、それでも少女の体は、女と一つだった。
満ち足りた悪夢の中で、少女は死に――生まれ変わった。

※※※

物音1つせず、自分の鼻先さえ見えない闇の中。
床に転がる俺の上には、闇に溶け込み、顔を見せないまま、彼女が覆いかぶさっている。
息を呑み、身構え――
どれほどそうして凍り付いていたのだろうか。
それに気づいたのは、視覚も聴覚も効かないため、体の感覚全体が鋭敏になっていたからだろうか。
身じろきした時、服の胸にじわっと広がった寒気で、俺の緊張は途切れた。
冷たい。重さを増した肌着の繊維が、胸に張り付いている。
冷水のような感触に、俺は最初、それが何であるのか分からなかった。
首筋にまで伸びているのは彼女の髪で、俺の上には彼女がいて――
――胸の上には彼女が顔を乗せていたのだと思い当たる。

声も出さず、震え1つ発さずに、彼女は泣いていた。

「あの、さ……」
「ね……やっぱり、殺すしかないでしょ。だから……はやく、ね?」
声をかける事が出来ず、俺はしばらくの間、押し黙ってしまった。
彼女も、それ以上は何も言わない。
――やっと、ここまで来たのに。
拳を握り、ともすれば放心しそうになる心を、繋ぎとめる。
――諦められるわけがない。彼女は、今ここに、俺に寄り添っている。
どうして諦められる?
「方法は? なにか、方法はないの? 呪いを切る方法、手がかりでも、なんでも」
返事はない。
ポタッと、今度は胸に水滴が弾けるのが、はっきりと感じられた。
「教えてくれ。ただの予想でもなんでもいい。キミの思ってる事でも」
「――く」
蚊の鳴くような声。
そこに宿る怯えも、その時の俺には気にする余裕はなかった。
「何? どうすればいい? 何をして欲しい?」
「抱く、のよ。私、を」
消え入りそうな囁き声。
あまりといえば、あまりな言葉に、俺は再び絶句した。
「夜魔や幽鬼は、性交を通じて人の精気を奪い、時に犠牲者を自分の眷族に変える。私に掛かったのも、
その呪い」
「あ……うん」
「現在の契約者であるあなたが抱けば、霊縁はあなたに結び直される。それで私は、完全に『あいつ』
から自由になる」
固い声で、彼女は説明する。だが俺には、半分も耳に入れる余裕がなかった。
「それだけ。……簡単でしょ」
「ああ――」
「抵抗はしないから、やるならやって」
錯覚の圧迫を感じて、俺は浅い息を吐いた。
抱く?
彼女を、ここで?
現実感が希薄で、「本当にいいのか」と考えるより先に、「何故」という疑問の方を感じてしまう。
彼女には憧れていた。
一方的な片思いだ。実る事はないだろうと本気にはならなかった。
それでも、間違いなく初恋だった。
――今ここで彼女を抱く事は、かつての俺の、恋愛の続きなんかじゃない。
人と悪魔の戦いの中で、必要に迫られて行う行為。主人と、その所有物である使い魔を区別する、冷酷
な行為に他ならない。
俺は。
俺は――

「……最後まで言わなくても、いいよ」
乾いた笑いと共に、彼女の言葉が降る。
「嫌でしょう? 死人なんかとセックスするの、気味悪いでしょう? ひょっとしたらあなたも、精気
を吸われて亡者になるかもしれないし」
「そんなつもりじゃ……」
「同情なんてしないで。――ねえ、やっぱり言いなさい、気味が悪いって。死んだ女になんか触れたくないって、
ちゃんと自分の口で言ってよ。あなたの口で、私に言ってよ!」
「違う!」
「ウソ!」
もう、隠す様子もなかった。
怒り、泣きながら、彼女は爪を肩に食い込ませる。走る激痛に、俺の意識は数瞬の間を飛び越える。
「いいわ! ならはっきり言ってあげる! 『あいつ』は私を犯したの! 私の、色んな初めてを奪っ
て、辱めたのよ! それから殺しをさせるたびに体を餌にして、私を慰め、飼いならそうとした! 私
はそれを、それを――!」
ギッと、一際強く、彼女の爪が俺の肉を抉る。肩の中で稲妻が弾け、激痛のショックが視界の闇を灰色
に染める。喉の奥で悲鳴をかみ殺せたのは、僥倖というしかない。
「だから、言いなさいよ! 汚い女だって! 人殺しの悪魔の、救われる価値の無い、最低の女だって !」
「っ、言うもんか……口が裂けたって、そんな事言うもんか!」
その返答に、彼女はまた怒る。
爪を食い込ませ、激痛に苛まれながら、俺は拒絶の言葉を繰り返す。
後は同じことの繰り返しだった。
徒労に疲れた彼女が、爪を引き抜くまで、俺は同じ言葉を繰り返した。

散々泣き、わめき散らした後は、彼女はもうすすり泣くだけだった。
喉を引き絞るような嗚咽が耳を流れていく。
彼女の表情を隠す闇に、俺は今更のように感謝していた。
「……俺は、さ」
――言葉を飾る事も、話の筋を組み立てる事も、もう出来なかった。
「きっと、信じられないと、思うけど」
――だから、正直にいくしかない。
「キミのことが、好きだったんだ。いや、多分、今でも」
しゃっくりのような息を呑んで、彼女の嗚咽が途切れる。だが返事を待たず、俺は話し続ける。
「大切にしたかったんだ。キミと、平穏だった頃の思い出を」
「……そんな、もの」
恨むような声で、彼女は俺の言葉に噛み付く。
「そんな、もの! もうっ、とっくに壊れてる!」
「……分かってる、分かってるよ。だから、取り戻したいんだ」
言いながら、俺は初めて、自分から彼女の手を握っていた。
「っ!」
「冷たいな。それになんだか固い」
普通の筋や骨の感触じゃない。たとえるなら、鉱物に絹の布を被せたような、不自然な柔らかさと固さ
が並立している。肌こそ艶やかでも、ぬくもりを失い、人ならぬ肉に変質した手は、やはり異質な手触
りだった。
震えて引こうとする手を、強く握り捕まえる。
「言い訳にしか聞こえないだろうけど――好きなんだ」
「……それなら、それならっ!」
最後まで言わせたくなくて、俺は手探りで彼女の首に触れ、引き寄せる。
唇は冷たかった。冷水のような唾液を口移しにもらい、飲み込む。途端に、体の奥から爛れたような熱が湧いてきた。
これが幽鬼の魔力――催淫とでも言うべきものだろうか。
彼女を辱め、殺した力。
飲まれてはいけない。けれど、受け入れようと思った。
何もかもが変わり果てた今、変わっていない事といえば、彼女への思いぐらいのものなのだから。

「チュ、ん、ンクっ、んふぅ、チュク――」
「ぐ、ん、……待ってくれ、ンンッ!?」
空気を読まない俺の告白は、何かを崩してしまったのか。
俺から始めたキスは、あっという間に攻め手を逆転させていた。
まるで喰らいつくように、彼女は舌を絡ませ、俺の口に唾液を送り込む。吐き出す事も許されず、俺はそれを諾々と飲み続けるしかない。
まるで媚薬の原液を、延々と飲まされ続けているようだった。
腹には気味の悪い熱がともり、胸には甘ったるいむかつきが満ちる。もどかしさに、押さえつけられた
手足をジタバタとさせてみるが、彼女の四肢はびくともしない。
首元に絡みつく絹糸のような髪が、まるで俺を縛る鎖のようにも思えてくる。
「ぷはっ――どう? こんな浅ましいのが、今の私なのよ?」
「ンくっ、……構わないよ。どんなだろうと、俺は好きだ」
言葉の返事はない。無言のまま、彼女は猛然と俺に覆いかぶさる。首筋にフッと鼻息が掛かり、唇が触れる。
次の瞬間には、硬く、切ない痛みが弾けた。
「んあっ!? まって、まってくぅっ!?」
「ンゥ、ン」
むず痒い感触に、俺はどうしようもなく興奮し、情けない声を出してしまう。首筋への甘噛みだけで、
下半身に痛いほどの力が集まる。
――ヤバイ。
本当に、狂いそうなくらい興奮してしまう。
――幽鬼としての魔力がそうさせているとは思いたくなかった。
これは、彼女だからだと。
不意に、両手を押さえつけていた重圧が消えた。
何かと思う間もなく、俺の服に彼女の手が掛かり――
ブゾンッと、雑草を引きちぎるような音がして、服の前面が裂かれる。
「う、あっ」
「あなたが――――うから」
潤んだ囁き声。それを聞くだけで、俺の頭は熱くなる。
「絶対、絶対に、」
うわ言のような呟きを落としながら、彼女は俺の胸に顔を埋める。
艶やかな髪が素肌をくすぐり、網のように広がって胸板を包み込む。ついで、冷たい舌で乳首をゾロッと舐められ、
「うアウッ!」
キモイと思いながらも、俺はとうとう、嬌声をあげさせられてしまっていた。
電流のように走った感覚は、体の内では収まらなかった。完全に無意識のうちに、俺は弾かれたように
手を回し、彼女の華奢な体を抱き締めていた。
抱きすくめられた彼女が小さく震え、その体から力が抜けるが、頓着するだけの余裕はない。
憑かれたように、肩を掴んで引き戻し、もう一度俺から、彼女の唇を奪う。
積極的に舌を絡ませ、彼女の唾と吐息をありったけ貪る。
――あるいは、という思いが頭を掠める。
彼女を犯した『あいつ』とやらは、こんなふうに彼女を犯したのだろうか。
俺の、大切な女性を――。
「ンンッ、ン……」
さっきまでと打って変わって、彼女は一方的に俺のキスを受けるだけだった。
綿毛を摘むように俺の首に手を回し、むしろ催促するように、全身を押し付けてくる。
「ッぷぁっ、……あつい」
トロンとした、どこか愛おしそうな声で、彼女が呟く。
足りない、と思う。
もっと満たしてやりたい。
彼女を抱きしめたまま、体に力を入れる。肩の傷が痛んだが、気にしない。
そのまま彼女を引っくり返すようにして、位置を入れ替える。
異質な硬さと力を持つくせに、彼女の体は羽のように軽かった。
「あっ」
裂けたブレザーの隙間から、手をもぐりこませる。
彼女の膨らみは、ちょうど手の中に収まる位の大きさだった。
冷たく柔らかく、まるで雪と絹を編み合わせて作った鞠のようで、その手触りに、いやでも情欲の火が噴きあがる。
「あ、はっ、あ!――んっ!」
どれだけ愛撫しても、彼女の体は冷たいままだった。
しかし彼女の上げる声は、触れば触るほど、抱き締めれば抱き締めるほど、熱い艶を帯びてくる。
その点では、彼女は全く普通の女の子に違いなかった。――たとえ悪魔でも、俺の好きな、たった一人
の女の子だった。
「ふ、あ――そ、こ」
服の破れ目を探り当て、彼女の体に噛り付く。口一杯に弾むような塊と、肌から揮発した乳臭い香りが
満ちる。
「ふぁっ!――ンぁあ!」
頬の筋肉全体を使って吸い付きながら、舌で乳首――乳道を刺激すると、闇すらも溶かすような嬌声が
上がる。首に回した手に力をこめ、彼女は強く俺にしがみつく。
焼け付くような情交。
理性を吹き飛ばすような興奮を感じて、しかし同時に、俺はどこか、薄ら寒い感覚が体を包むのを感じ
ていた。
――幽鬼の吸精。
点滴で氷水を流し込まれるように、少しずつ、少しずつ、彼女と重ねた肌を通して、冷気が俺の中に入ってくる。
彼女とのセックス。これ以上耽溺するのは危険だった。
「――きて」
俺の気付きに合わせたようなタイミングで、彼女が囁く。
声に操られるように、俺は躊躇うこともなく、スカートの中に手を入れる。
手に触れる下着は、雨に打たれたように、既に冷たい蜜でグショグショだった。
下着を抜き取ろうとすると、俺の動きに応じて、彼女も俺のズボンに手をかける。が、
「すこし、まって」
言い置いて、彼女は押し除けるように自分の体を起こす。特に抵抗せずにいると、彼女は俺の首を抱い
たまま体を起こし、俺の膝に尻を乗せた。
ちょうど足を投げて座り込んだ俺の上に、彼女が腰をくっつけるようにして座り込んだ形だ。
「……して」
消え入るような声を出しながら、彼女はズボンのチャックを広げる。応じて、俺も下着を引っ掛け、一
息に下げた。
自分の男を、彼女のそこにあてがうと、軽く触れただけで彼女の花弁が動いた。
1日の内の一時しか開かない花が、その時が来れば自ずと咲くように、彼女の陰部は自然と開いて、俺
という雄を受け入れていく。
「ンッ――クゥゥッー!」
「く、あっ」
想像通りの柔らかさ、そして冷たさ。まるで本当に、夜露に濡れた花の中に入っていくような気持ちに
なる。
雄を包み、ねぶるように奥へ奥へと、彼女は招く。溢れ出る蜜が、肉を伝って俺の腰まで流れ込む。
――チッと、何かを千切る感触があった。
「くっ、ん!?」
「いい、から――いいからっ」
雄を完全に飲み込み、それだけで満足できずに、彼女は俺にしがみつく。
しなやかな足は俺の腰をぎゅっと挟み、めくれ出たままの乳房が胸板に押し付けられる。唇は三度目の
キスを求めて吸い付き、唾液と共に舌が結ばれる。
全身で交わり、余すところなく体を使って、俺達は貪り合った。ありとあらゆる箇所を接触させ、擦り
合わせ、結び、溶け合わせるように。
「――ハッ、もう、出るっ」
「ン、出してっ、このままっ!」
耐えるほどの間もなく、彼女の中で、俺は弾け、放出した。
「あぅ、あ――くる、きて、る」
震えを逃がすように、彼女も俺の体にしがみつき、何かに耐えるような声を出す。
やがて緩やかに、波は途切れていった。
急激な虚脱感に包まれるところに、絶頂に達した彼女が体重を預けてくる。
彼女の体は、少し温かいように思えた。俺の精を吸い取ったからだろうか。
「……体、つめたいね」
「キミは、少しあったかい」
そっと肩に手をかけると、制服の内から、冬の陽だまりのような、微かな温もりが伝わる。自分の熱が
宿ったのだと考えると、何かむず痒いような、いても立ってもいられない気持ちだった。
「これで――大丈夫、だから」
そう呟く彼女の声は、少し震えていた。
――言われて、何のために彼女を抱いたのかを思い出す。

夢から醒めたように、フッと寒気を覚えた。
行為を終えた事を自覚し始めるにつれ、どこか後ろめたい気持ちが滲み出てくる。
小さな棘が、これで良かったのだろうかという割り切れなさが、どこかに引っかかっている。
クヨクヨと考たところで、他に方法がなかったのは分かっている。だというのに、きっとその時の俺は 、
まるで自分の方が傷ついたような馬鹿面を晒していたのに違いなかった。

「あのね」
小さな囁き。
泣き出しそうな声の調子に、喉の奥が痛いくらいに張り詰める。
「私、も」

「――私も、好きだった」

――何を言われたのか、よく分からなかった。
「全部、ぜんぶ、もう終わっちゃった事だけど」
これは――何の告白なんだろう。
そしてこの気持ちは、何なんだろう。
思いが通じた喜びなのか、恋が終わった悲しみなのか。
「でも、ほんとに好きだった。……きっと、今も」
矛盾するような彼女の言葉に、しかし俺は何の抵抗もなく、共感できた。できてしまった。
何か言い返したい。けれど既に好きだと言ってしまった俺には、これ以上に語れる言葉は、もう無い。
だからいつかと同じように、俺は黙るしかなかった。
いつかと違い、彼女を抱き締めたままで。

――――

月明かりの下、夜の墓地は、影絵のスクリーンを広げたように、のっぺりと広がっていた。
希薄な立体感の源は、夜空に煌々と輝く満月か、それとも、うねり、捻じ曲がるように視界の果てまで
広がっている、際限のない墓石の群れなのだろうか。
彼方には、物言わぬ墓石たちの主のような、巨大な石柱が何本もそびえている。現実の光景とは思えな
い。
故人のために用意された庭は、今、眠りの園ではなく、夜の悪夢が現実化したような場所に成り果てて
いた。
「――情報どおり、か」
アームターミナルを起動させ、各種ソフトウェアを走らせる。『エネミーソナー』が赤の警告色を示す
のを確認して、俺は刀を引き抜いた。
深夜の霊園が異界化するという噂話。〈葛の葉〉に調査を依頼され、乗り込んでみたのだが――。
「……繋がるわけないか」
圏外表示のまま固まっている携帯をしまうと、俺は周囲に目を配りながら歩き出した。
複数の人間が一度に入り込んだ場合、異界の中でバラバラにはぐれてしまうという情報があった。有効
な対策を立てられないまま踏み込んだ俺達は、案の定、はぐれてしまっていた。
アニキ達の安否も気になったが、チームの中で直接戦闘力が低い俺が、単独行動しているという状況も
良くない。
合流は早い方がいい。

―― ィー ――

「っ!?」
錆びたブランコが揺れるような音。
夜の霊園で聞くには、あまり心躍るものじゃない。
聞き覚えがある。これは――。

――ギィー 
――グギッ 
――ゲゲッ、――モジイ

気が付けば、周囲の墓石の影から、ギラギラと輝く目が覗いている。
1、2、3、4……
15を越した辺りで、殺気の環が縮み始めたため、俺は数えるのをやめた。

――ヒモジい、ヒモジいョぅ ――

灰色の人影の群れ。
皮が張り付くばかりの、髑髏のような頭蓋。野犬のように白く輝く目。枯れ木のような手と爪に、妊婦
のようにぽっかりと膨れた腹。
「餓鬼(ガキ)か」
呟いて、刀を構える。
話して退かせる余地は無い。もとから獰猛で食欲しか頭にない手合いの上に、今日は満月だ。
血沸き肉躍る殺戮の夜。多くの悪魔達には、言葉すら届かない。
戦うしか、ない。
風を切って接敵し、まず一振り、先頭の1体の頭を叩き割る。
黒く粘ついた血を吹いて傾く体を蹴り飛ばし、返す刀で2体目の腹を撫で斬り。鳥のような悲鳴が上が
るが、それを無視して、切っ先で3体目を牽制し、一思いに走り抜ける。
そのまま包囲を突破――

――出来ない。

行く手の路上にも、ぞろぞろと墓石の影から、ガキが姿を現す。20か、それとも40か。
いくら下級悪魔とはいえ、一人でこれだけの数を相手にすることなど、出来るわけがない。
舌打ちしながらアームターミナルを開く。マグネタイトを温存するため、ここで召喚は避けたかったが、
やむをえない。
召喚プログラムを準備して――

ガアァン! と、魔獣の咆哮にも似た轟音が響くと同時に、迫るガキの頭が潰れた。
続いて2発、3発。
石榴のようにガキの頭蓋が弾け、小さな体がばたばたと倒れていく。ガキ達がたじろぎ、群れの動きが
止まる。

風が吹いた。
硝煙の匂いと、花のような芳香を含む夜風が、鼻の先を吹きぬける。
視界の端になびいた、一筋の髪。

「気を抜かないで。弱い相手でも、数はそのまま力になる」
いつからそこにいたのか、いつかのように両手に銃を構えた姿で、彼女は俺の後ろに立っていた。
今は敵ではなく、味方として。
補修し縫い合わせた制服は、やはりどこかくたびれていて、見栄えがいいとは言えない。それでも、月
明りに髪を流す彼女は、綺麗だった。
「――来てくれたんだ。ありがとう」
「契約と霊縁で二重に結ばれているのを忘れたの? あなたがどこにいても、私には分かるわ」
ギィーッという咆哮。
話している間に立ち直ったガキ達が、再び距離を詰め出す。
だが、そこに再び閃光と轟音が割り込む。
今度は火薬の爆発ではない。大気を引き裂く破裂音と共に、虚空から迸った稲光が敵を直撃した。
炭のように焦げて吹き飛ぶガキの背後から飛んでくるのは、小さな妖精だ。
「ここにいたんだっ」
「ピクシーかっ、他のみんなはっ」
「今2人が一緒に戦っているけど、ここと同じで、ちょっと苦しいんだよ! 早く合流しよ!」
「分かった。先に行って援護しててくれ」
そう叫ぶと、ピクシーは俺を見、ついで彼女に少し視線をやってから、きびすを返して飛び去った。
「信用、されてないよね」
背中を付けながら、彼女は自嘲気味に呟く。
「されてるさ。でなきゃ、キミを仲間に入れる事もなければ、俺を預けたりもしない」
アニキも先生も、彼女の加入に際して、もう一度俺に警告した。
人格の問題だけでなく、これから背負うだろうリスクを。
だが、最後には俺の覚悟を認めてくれたのだろうか、2人とも承諾してくれた。

――俺は、彼女と生きる。
失ったものを取り戻すために。あるいは、再び新しく作るために。

錆び付いた声で呼び交わしながら、ガキ達が互いに連携を立て直そうとしている。
みたび、包囲を狭め始めるのは時間の問題だった。
金属音を鳴らし、彼女が弾倉を入れ替える。
「突破するわ。一緒に左へ」
「ああ」
殺気の壁が、揺らぎながら動き出す。押して、引かれていく波の中に、前兆を感じた。
――襲い掛かってくる直前、ガキ達の輪には、必ず大きな綻びが開く筈だ。
そこを、突く。
10秒先か、20秒先か。力を蓄え、その瞬間に備えようとして。
――不意に、刀を握る手が、冷たく柔らかい手に包まれた。
「あのね」
緊張を残しながらも、その時の彼女の声は、何か上擦って聞こえた。
「あの、ね」
「うん?」

「今後とも、ヨロシク」

タッチでも交わすように、ギュッと手が握られ、それから素早く、彼女の手は引かれた。
――そして、俺と彼女は弾かれたように走り出す。

この先に、救いがあるのかは分からない。
だが俺も彼女も、戦い抜いていけると確信している。
全ての罪と、全ての願いが昇華される、その時を目指して。

(おわり)

Last modified:2012/03/31 13:11:28
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