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10-239

「ようこそ、回復の泉へ」
 甘い水色を連想させる優しげな声。青みを帯びた長い髪。清しいブルーの綾
衣。
 泉の聖女と呼ばれる女性に、少年は無言で歩み寄った。
 期待に満ちた微笑みを浮かべる彼女に、ちゃり、と手渡す魔っ貨。少年の顔
はあくまで無表情。聖女の顔に浮かぶ失望の陰り。
 少年――年若い外見に大人びた雰囲気の、彼はまるで自動販売機に相対する
かの如く、無機質に一言、全回復、と告げた。
 傷跡。血糊。疲労。
 彼を蝕むダメージの深さは一目瞭然。泉の聖女は改めて穏やかな微笑を浮か
べ、
「どうぞこちらへ」
 少年の先に立ち、部屋の奥へと案内した。
 床は固いのか柔らかいのか、素材は不明で、まるで光を放つよう。
 その中心にこんこんと湧き出る、目を奪われるほど澄みきった水。
 少年は泉のほとりに片膝をつき、片手で泉の水をすくって飲んだ。
 一口。また一口。
 泉の聖女の見守る中、彼の心身が活性化され、傷も疲れも、たちまちに癒え
て失せた。
 立ち上がり、彼は彼女に背を向けた。何らの興味も――好意も、脅威も――
いだいていないかのように。
 邪魔をした。淡々とそう告げ、躊躇いのない足取りで真っ直ぐに出口へ向か
う。
 ……ふわり。
 いつの間に移動したのか。少年の胸に寄り添うように、白く細い身体が涼風
の如くしなだれかかった。
「まさか、もう帰るなんて言わないでしょう?」
 そっと囁き、強く抱く。
「なかなか来てくれないのだもの。寂しかったわ」
 少年の唇を盗む。泉の聖女は欲情に濡れた妖しの瞳。火照った肉体に、蠱惑
の匂いが立ち昇る。
 少年は、パーカー1枚を羽織った無難なシャツとスラックス姿。開襟の胸元
に、唯一アクセサリーめいて勾玉のペンダント。それは慎ましい色合いの磨き
込まれた玉石飾り。
 泉の聖女がペンダントに触れそうになって、途端に少年の腕が動いた。彼女
の指先から勾玉を守りながら、綾衣の薄物を脱がせていく。さっさと済ませて
終わらせようというのか、素早いが、機械的な所作。

 瞬く間、顕わになる裸身。艶かしくも豊満な、そこにいるのは泉の聖女では
なく、性の快楽を待ちわびる、ただの一人の女だ。
「大丈夫。疲れたらまた回復させてあげるから。いつものように」
 爛れた誘惑に乗って、少年が女の肌へと指を這わせる。
 ――もうっ。きみなんか、だいっきらい。
 少年の心の中、遠い記憶の中だけにある声が、真情とは正反対の拗ねた言葉
を投げかけてくる。
「……また、誰か他の人のことを考えているの?」
 女の繊手が少年の両頬を捉えた。深い口づけを強請って……叶えられず、単
に触れるだけのキスで済まされる。お座なりな。すんでのところで身をかわす
かのような。
「相変わらずね」
 女はくすくすと笑った。
「気にしちゃダメよ。今は私と、この私と楽しんでちょうだい」
 二つの身体が床へと倒れ込んだ。女の汗に男の汗が混じり合って、清らかな
室内に淫猥な匂いが満ちた。

 回復の泉。いつ、誰が、何のために創設したのか、詳細不明の回復施設。そ
れはたとえば神社の裏手、鯉が泳ぐ池の小脇に出入口がある。又はたとえば下
水道、埋設されなかったはずの土管を出入口とする。いずれも水に関わる場所
だ。
 ここは港湾、潮が満ちれば海に没する階段を降りたその先に、泉への扉があ
る。
 微かに漂う潮の香り。
 遠くに聞こえる波の音。
 母なる海に回帰するヒトという種の原点ゆえか、ここに辿り着いた人間は、
真っ先に心が癒され、安堵の気持ちを覚える。
 だが少年は、ヒトではなかった。ヒトの形をしてはいるが、見る者が見れば
即座にわかる。彼は人間ではない。悪魔でもない。人間と悪魔が合体してなる
存在――人から化した悪魔――悪魔人ですらない。
 彼は異形の魔人。
 それは人修羅と呼ばれる。
 浅く日に焼けた肌にくまなく、タトゥーめいて描かれた暗色に輝くライン。
奇怪なその紋様は、見る者に不安と畏怖とを与える。
 人間に生まれ、人間を捨てて、人間を超えた者。謎の力――マガタマと共に
あるモノだ。
「人修羅も、子供を作ることができるのかしら?」
 指で、掌で、唇で、舌で。隅々まで確かめるように少年の全身を愛撫する女。
執拗なほどの攻めように息を荒げながらも、少年は素っ気なく答える。
「知らん」

 年上の女は余裕たっぷりに笑った。
「あらあら、無責任だこと」
 幾らか不機嫌の混じる声音で、少年が返す。
「できると言えば、やめるのか?」
「ふふ、まさか」
 獣のような眼光で、女が挑みかかっていく。
「訊いてみた、だ、け」
 手足の牽制、主導権の奪い合い。体位を入れ替え、首尾良く女が馬乗りにな
る。
 成熟した女の肉体が、濡れそぼつ口を赤くひらいて、屹立する少年自身を生
身のまま呑み込んでいく。仰臥する少年の中心に硬くそびえる塔は、柔らかく
彼を出迎える襞に、上から下まで全て包み込まれた。
「……っはぁ…………いいっ……!」
 振り絞るような感嘆の女声。
「最高よ、貴方の」
 泉を訪ねる何人の男に同じ台詞を囁きかけたのか。
 だが、真相を知る必要はない。大人の嘘は蜜の味。今一瞬の交わりに、馬鹿
正直な誠実さなど、単に無粋なだけだ。
 女にのしかかられたまま、少年が腰を動かす。
「あんっ! もう、おイタはダ……メぇっ!」
 たちまちのうちにビクンと反応、泣き声めいて、女が鳴く。
「あっ、ああっ、あっ、……あっ……!」
 強く突き上げ、弱く掻き回し、微妙にして絶妙な突き込み。度重なる痴態に
興奮しきった身体が、本人の自覚、少年の思惑をも越えて、最高潮への階梯を
凄まじい勢いで駆け昇っていく。
「いい……いいわっ、いい、いい…………っ!」
 問わず語りに繰り返す声。少年の視界でぶるぶる揺れる乳房を、女は片方、
これ見よがしに持ち上げた。
「吸ってっ」
 白く盛り上がる丘の色づいた尖端に少年がむしゃぶりつく。キツく歯を立て
てやると、激しい嬌声を上げて女はよがった。
 淫らなリズムで打ち付け合う結合部分から、熱の塊が全身に広がっていく。
急激に高まる内圧。何もかもを押し流していく強烈な快感。
 それでも。
 少年はずっと冷めていた。
 身体が熱くなればなるほど、心は冷たいまま、意識と肉体との乖離を皮肉げ
に眺めている。
「ああああーっ!」
 悲鳴に近い絶叫を上げて仰け反る女。その体奥に男の迸りを放って、少年の
内を占める束の間の絶頂。

 生々しい営みを終えて、彼の中には肉の満足感と心の虚無感とが残る。
 気だるい。後戯を求めて擦り寄る女が疎ましい。
「……少し仮眠を取らせろ」
「ヤればヤりっぱなしってわけね。ふふ、可愛い」
 嫣然と、大人の女の含み笑い。適当に服を着た少年を更に奥の小部屋に案内
し、そこにある大きめの寝椅子を指さす。
 身体を投げ出すように寝椅子へと倒れ込んだ少年に、女は囁きかけた。
「恋人にはちゃんと優しくしてあげているの? それとも彼女にもそういう態
度?」
 その質問には答えぬまま、少年の魂は眠りの底へと流れ、漂った。

 夢の中。知らない記憶が再現される。時代はわからない。場所もわからない。
多分、そこは“この世界”ですらない。
 暗い。赤い。熱い。息苦しい。……戦場。
 囲まれる。異形のモノどもに。だが、彼ら二人もまた、他に受け入れる者の
ない“異形”であった。
 だけど充分だった。彼らには充分だった。そこに自分がいて、隣に愛する者
がいて、共に生きていた。それだけで、充分だった。
 ――……ないで。一人にしないで……!
 泣き顔。ああ、おれは何度きみを泣かせれば気が済むのだろう。涙など見た
くないのに。いつだって、笑っていて欲しいのに。
 横たわるおれ。おれを見下ろすきみ。離れまいと縋るかのように、おれの手
を両手でしっかり握って。
 おれの喉から、かすれた声が漏れ出る。
「御免。おれ一人、先に……」
 死ぬことになりそうだ。台詞の最後を言わせずに、きみが激しく首を振る。
「嘘だよ。そんなの嘘に決まってる。本当にきみは嘘つきなんだから。きらい
だよ。だいっきらいだよ」
 そう、おれは嘘をついた。きみを護ると誓ったのに。きみの最期を見届ける
まで、きみを護り続けると、きみを護り抜くと、そう誓ったのに。
「次の……生まれ変わった、その先で…………」
 五感の全てが薄れていく。戦わなければいけないのに。護らなければいけな
いのに。このままおれが死んでしまえば、残されたきみが、どれほど惨い目に
遭わされるか知れないのに。
「きっと、きみを護る、から」
 きみを残しておれは死ぬ。甘えん坊で寂しがり屋のきみを、このおれが天涯
孤独にしてしまう。ましてやこんな敵陣の真っ只中に、おれはきみを置き去り
にして。
 悲しむのはおれでいい。苦しむのはおれでいい。それなのに、おれはきみを
ばかり悲しませ、苦しませてしまう。

「だから、そのときは……おれのこと、大好きって…………言って…………」
 馬鹿なおれ。こんなときまで、口に上す言葉は自分の欲望ばかりだ。
 それともいっそ、おれがきみを殺せばよかったのか。一緒に逝こうと言えば
よかったのか。一思いに楽にしてあげればよかったのか。
 わからない。もう、何もわからない。
 わかっているのは唯一つ。次に生まれ変わっても、世界が生まれ変わっても、
おれはきみを探し出し、再びきみに恋をする。必ず。
「ま……待って、待って、嫌だ、死なないで、お願い!」
 きみの姿が消えていく。きみの声が消えていく。匂いも、手触りも、口の中
いっぱいの血の味さえ、遠くかすんで、消えていく。

 少年が回復の泉を出ると、すっかり真夜中だった。
 波止場に、小学生ぐらいの女の子がぼんやりと立っていた。こんな遅い時間
に、と、良識的な大人であれば眉をひそめるに違いない。
 だが、その正体を知ったあとでもその子に関わろうとする者は少ないことだ
ろう。
 悪魔――神話伝承、虚構の存在であったはずの、者であり、物である、モノ。
 今は人間の姿を借りている、悪魔は少年を見つけて、大喜びで飛び上がり、
「ア〜ニキ〜ィ!」
 親しげに声を掛けながら駆け寄ってきた。
「やぁッと出て来た。遅いッスよ、ッたくぅ」
 訳知り顔。色男はつらいッスねぇと下品なキヒヒ笑い。
「で? 次はどこ行くンスか?」
 問われて、さて、どうするか。少年は無意識に、胸の勾玉を撫でていた。
 これは彼女の勾玉。彼女が宿すべきマガタマ。禍玉。
 黙示録の日本。魔都・東京で、彼が覚醒したように、彼女もまた、異形の力
に目覚めるはずなのだ。
 彼女を探しに行く。答えはそれしかない。彼女を探す。探す探す探す。
「やぁッぱそれッスかぁ」
 ま、しょうがないッスよねぇと、呆れたような、諦めたような、それでいて
納得した同意。
「ンじゃ、テキトーに行きましょッか」
 あてはない。あてはないから、足の向くまま、歩いていく。
 右手に海。左手に倉庫街。遥か向こうに街灯り。天高く、晧々と満月。
「でもさぁアニキィ。覚悟はしといた方がいいッスよぉ?」
 てくてく足を進めながら、童女の姿の悪魔が言う。
「折角探し当てたアネさんの生まれ変わりが、実はゴッツいおッさんだった、
なんてことも、ないッちゃあ言えないわけだし」
 その軽口に、脳天への拳骨で応える。命中寸前、小さい悪魔はゲラゲラ笑い
ながら逃げた。

「冗談ッスよ冗談。今度もアネさん、アニキ好みのいい女に生まれてますッて」
 だといいけどな、と少年は苦笑した。
 いつ逢える? どこへ行けば逢える? どうすれば、逢える?
 疑問符ばかりが浮かぶ中、多分、今は戦うことだけが、彼女を護る唯一のす
べ。
 都市にわだかまる影。人心に忍び寄る闇。悪意に満ちて、大きく口を開ける
奈落の陥穽から彼女を護るために。
 戦おう。戦い続けよう。
 強くなろう。強くあり続けよう。
 今度こそ、誓いを果たすために。
 ちゃぷん、ちゃぽん、海が波止場を叩く音。
 ごぼっ、どぷんと波が跳ねる。
「行くな」
 少年が足を止め、先を歩く悪魔を制した。
「……来る」
 ッちゃー、と額を押さえて、女の子はうめいた。愉しげに。
「そのようッスね」
 ……重たげに海水を纏わりつかせ、ぬめった深緑の腕が何本も、何本も這い
上がってくる…………。

Last modified:2012/03/31 10:15:34
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References:[リスト/カテゴリ別/女神転生]