ぼくの夢は学校へ行くこと
子供にも読めるようにと書かれたバングラデシュの子供達を知るための本。NGOに参加した著者が、バングラデシュの北東部、シレットのある学校を訪れたときのことを書いています。
著者の考えと、自分の考えがずいぶん違うので、この本に関しては、自分の考えと著者の考えを比べて見たいと思います。
勉強したい子供達
本を読んでいて、著者は「バングラデシュでは勉強したくてもできない子供達がたくさんいるのだから、勉強が十分できる環境にいる(日本人の)あなたたちは、精一杯勉強しなさい」と日本の子供に伝えたいように聞こえました。
私がバングラデシュで関わっていたアロアシャ学園の子供達も、貧しくて学校に通えなかった子供達でした。それでも、「勉強が好き?」と尋ねると、「大好き!」と皆答えたものです。学校は8年生まで教えるのが精一杯で、9年生からは自費で政府の学校へ通わなければなりません。お金がないので働き始める子供達がほとんどでした。
どうして勉強をしたいのか?勉強をしないと仕事につけないからです。お手伝いや職人、労働者として安い賃金で働くことができても、政府関係やきちんとした会社で働くにはまず学歴が必要になります。「医者になりたい」という子供達はたくさんいます。それはやはり「たくさんお金を稼げるから」であって、「人を助けたい」のは二の次ではないでしょうか。
この「生活がかかっているから勉強をする必要がある」ということがないまま、「勉強が好き」ということばかり伝えられていいのだろうかと思いました。
また、本の最後で「おばさん、ぼくたちは今日にでも、ニッポンに行きたい!」という子供達の言葉を、「みんなが勉強をできる日本へ行きたい」と解釈していましたが、私には、「こんな貧しくて将来の見えないバングラデシュに暮らすよりは、いい話ばかり聞いているハイテクの日本へ行きたい」と解釈しました。アロアシャ学園の生徒達にも「日本に連れていってくれ。どんな仕事だってするから。」と言われたことがあります。
バングラデシュのことを日本に伝えるとき
本書は、子供のためにかかれた本だと思います。子供達にバングラデシュのことを伝えるのは難しいことだと思います。
私も、バングラデシュから帰って来て、母校の小学校でバングラデシュのことを話したことがあります。「何を話せば子供達の関心を引けるのか、何を伝えるか?」など、いろいろ考えましたが、同年代のバングラデシュの子供達の生活が身近に感じるのではないかと思い、アロアシャ学園の子供達のことも紹介することにしました。そこでは、アロアシャ学園の子供達の「貧しさ」や「勉強が好きなこと」を強調しました。子供達の特徴の一部でしかないのに。子供にしてみれば、貧しいことは生まれたときからの日常的なことで、日本人が思うほど苦痛ではないかも知れないのに。「歌が好きで、みんな仲がよくて、いたづらが好きで、嘘もついて」という普通の子供の部分は何もいいませんでした。
子供達にバングラデシュのこと伝えるとき、偏見を植え付けないようにしないとと思いました。「自分達よりも可哀想な子供達」ではなくて、「自分達と同じ子供」だというのが、大切ではないかと思います。
偏った情報
NGOに参加したばかりの著者が書いた本ということなので、その間に見聞したことを本にしたのでしょうか。本に書かれている環境は特殊な部分がいくつか見受けられ、本書だけを読んだ読者がバングラデシュに対して誤った認識を持つのではないかと思いました。
バングラデシュの大半(95%以上?)はイスラム教徒で、ついでヒンドゥー教徒が位置し、キリスト教とはかなりの少数派です。このキリスト教徒であるジュトン君に焦点を当てていて、「キリスト教の聖書をすらすら読む」ことを紹介していました。
バングラデシュには、勉強はできなくてもイスラム教の聖典「コーラン」をすべて暗記している村人がたくさんいます。でも、イスラム教のことを一言も説明せずに、ジュトン君の例だけを取り上げているので、2つの誤認識が発生しそうです。まず、「バングラデシュではキリスト教がおもに信じられている」ことで、次に、「聖書を読めるジュトン君はバングラデシュ社会の中での特別だ」ということです。
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